公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意
元子(原日出子)の研修内容に、なぜか興味を持った宗俊(津川雅彦)は、毎晩、元子がその日勉強してきたことを聞くのが日課となった。あるときは、放送に使う標準語と方言の違いの研修で、江戸っ子の言葉も東京の方言だと教わったと聞き、宗俊は「べらんめぇ!」と息巻く。そんな宗俊の江戸弁が聞きたいと元子の女子放送員友達に乞われると、宗俊は得意になって金太郎(木の実ナナ)を呼んで三味線を弾かせて盛り上がるのだった。
夜、路地
手拭いを頭に乗せた宗俊と順平が歩いてきた。
宗俊「♪月が出た出た 月が出た」
宗俊・順平「♪ヨイヨイ」
宗俊「♪三池炭坑の 上に」
玄関を開ける。
宗俊「おう、今、帰(けえ)ったよ」
トシ江「お帰りなさい。どうでした?」
宗俊「あ~、いい湯だったと言いてえが、近頃、中の湯は混んじまって、まるで芋洗いだ」
トシ江「近頃じゃ焚きもんも少なくなったし、それに花の湯さんの息子さんが兵隊にとられたんで、おじいちゃんが一(しと)晩置きにしか開けないしね。やっぱり中の湯さんが混むんですよ」
宗俊「あ~、もうほかに何もいらねえや。あ~、ゆっくりたっぷり朝湯がやりてえ」
トシ江「本当にね、早くそういう時代が来るといいですね」
宗俊「おう、元子どうした?」
トシ江「ええ、2階で勉強してますよ」
宗俊「よ~し、ほんじゃあ、お父っつぁん、これから勉強だ。おい、お前、早く行って寝ちまいな」
順平「うん、それじゃあ、おやすみ」
宗俊「おう、おやすみ」
順平「おやすみ」
トシ江「はい、おやすみ」
宗俊「お~い、元子ぉ! お~い、元子ぉ!」
2階
元子「は~い」
宗俊「そんじゃ、そろそろ始めよかぁ」
元子「は~い。全くどういうつもりなのかしら」
巳代子「あれ以来、がぜん向学心に意欲を燃やした父親の役よ」
元子「冗談じゃないわよ、全く」
宗俊「お~い、元子ぉ!」
元子「は~い、ただいまぁ」
茶の間
床に置かれたアナウンス読本。
宗俊「おい…おい、ちょっとそれ…」
あの日、夜遊びを日本放送協会のせいにしたばっかりに、以来、毎日、何をやったかを点検されているうちに、なぜか宗俊が放送員の勉強にひどく興味を持ってしまったのです。
元子「え~っと、そうですね、今日は最初に新聞の読み方というのをやりました」
宗俊「おお、新聞の読み方。何かい? 新聞読むのに何か特別な声の出し方ってのがあんのかい?」
元子「いえ、そういう読み方じゃありません」
宗俊「じゃ、どういう読み方だ?」
元子「つまり」
宗俊「つまり、か。ヘッヘッヘッヘ…なかなか堂に入(へえ)ってきたんじゃねえか」
元子「ん」ぷうっと膨れっ面。
宗俊「ああ、悪かった。やってくれ」
元子「だから、単に記事を読むだけではいけないと大下報道部長さんが」
研修室
大下「え~、つまり現代では全ての記事が言論統制されているから当局の発表したものしか書けない。え~、昔のようにすっぱ抜きとか特種(とくだね)なんていうものも国民の士気を鼓舞するか阻むか惑わすかという判断で、え~、日の目を見たり、ボツになったりするわけであるからして、え~、御多分に漏れず、バリバリの記事なんてものは足りなくなってるんだから、これはと思うような三面記事的事件の追跡なんていうものはとてもおぼつかない。
だからその証拠に各社の新聞記事をいくつか並べてみたまえ。おんなじようなことしか載っちゃあいないんだから。しかしながら、ただ一つだけその新聞社の性格をはっきりと打ち出している記事があることはある。それが何だか分かるかね?」
元子たちは首をかしげる。
大下「コラムだよ、コラム。コラムには各社の特徴がはっきりと出ているからこれを見逃さないこと。いいね」
大下報道部長は大宮悌二さん。俳優、声優さん。どおりで声がいいわけだ。
茶の間
宗俊「なるほどなあ…。その部長さん、なかなか思い切ったこと言うじゃねえか。俺は気に入ったぜ」
元子「別にお父さんが気に入ったからって」
宗俊「ん? 何だ?」
元子「いえ、別に」
宗俊「それで、あと何やったんだ」
元子「えっと…標(しょう)準語についてです」
宗俊「標準語?」
元子「はい」
奥から彦造とキンが顔を出した。
彦造「へ、どうもお疲れさんでございました」
宗俊「おう、ちょうどよかった。今からな、また別の講釈が始まるんだ。お前さんたちもそこで聞きな」
キン「はい、そんじゃ、まあ」
元子「標準語のお講義は桑原たくま先生とおっしゃって放送員として働こうとする者は自分がマイクロホンの前で使う言葉がどういう種類の言葉であるかまず知らなければならないとおっしゃるの」
宗俊「ちょっと待てよ。そのどういう種類の言葉ってえのは?」
元子「つまり、私たち日本放送協会の放送員の言葉は日本語なのね」
宗俊「ハ~ッ、そんなこたぁ、当ったりめえじゃないか。お前ら、バカなこと勉強してんだな、え」
元子「でもね」
研修室
桑原「漠然と日本語といっても日本全国で使われてる言葉が各地方で全く同じだということはありません。例えば東京では『ありがとう』ということを大阪ではどう言いますか? 青山さん」
光子「はい、『おおきに』と言います」
桑原「そうですねえ。ですから、あなたがマイクロホンの前で使う言葉はいろいろと土地によって違う言葉のうちの、どの日本語かということを考えなければなりません」
光子「はい」
桑原「ラジオの持つ性質の一つとして普遍性というものがありますね。普遍性というのは一つの地方、一つの職業に限られず、全国民に同じように通用し、日本人ならば誰でもこれを受け入れられるということです。ということはラジオで使う放送員の言葉は日本人なら誰でも分かる言葉でなければならないということですね。この条件を満たす言葉は標準語だということになります。では、標準語とは一体どういう言葉であるか、それを具体的に考えてみましょう。標準語は大体、現在使われている東京の言葉をもとにしております」
良男「先生」
桑原「はい、三井君」
良男「ということは、日本放送協会は地方の言葉、つまり、方言を否定するということですか」
桑原「いい質問ですね。しかし、答えはノーです。放送劇では方言を使うことによって更に情感が高められることがあります。でも、私は今、放送員、つまりアナウンサーの言葉について講義しているのですから」
良男「分かりました」
黒一点の男子、なかなか鋭い。そして、声がいい。三井良男。
桑原「では、続けます。間違えないでほしいのは東京の言葉ではなく東京の言葉をもとにしてるということです。そもそも、東京で使われてる言葉にしても一つではありませんね。使う人の職業や、あるいは地域によっても違います。山の手のご婦人方による『ござあます』や、いわゆる江戸っ子と称する方々のべらんめぇ的な、ぞんざいな東京語、こういった東京語は普遍的でないという意味において東京の方言と言うべきでしょうね」
桑原役の武内文平さんは元アナウンサーとかでもなく普通に俳優さん。
wikiには存命で100歳となってるけど、仕事をしてたのが1989年くらいまでで消息不明とかなのかな~? 「ザ・商社」では江上支店長、芳信役の増田順司さんは鍋井専務、本多役の山本紀彦さんは石油ジャーナルの記者。当時のバイプレーヤーってことかな。
茶の間
宗俊「方言だあ!? するってえと何か、その野郎は俺たちのことを田舎っぺだと言いやがるのか!」
元子「とは言ってないわ」
宗俊「だって、おめえ、今、ぞんざいな言葉は方言だと言ったじゃないか」
元子「だから、それは標準語に対しての言い方で」
宗俊「よ~し、分かった。そんじゃあな『べらぼうめの すっとこどっこいが でけえ面しやがって 大層(てえそう)な御託並べんじゃねえ おとつい来やがれ』と悔しかったら標準語で言ってみろ」
元子「…」
宗俊「ざまあ見やがれ、ヘッ。何が標準語だ。なあ、彦さん」
彦造「へ?」
宗俊「おめえ、俺が言ったことが、今、ちんぷんかんぷんか?」
彦造「え…」
宗俊「遠慮しないで言ってみろよ」
彦造「ええ…そりゃもう、いつもの言葉ですから」
宗俊「な」
元子「だから日本語には正しい日本語というのはないということなの。だけど先生は私たちにアナウンサーの使う言葉が正しい日本語の見本にならなければならないって」
宗俊「ケッ、見本たぁ恐れ入ったぜ、え。見本と出てくるもんの違いはな、角の食堂のガラスん中の見本を見りゃあ一目瞭然だ。なあ、彦さん」
彦造「ええ、そりゃ、まあ…」
宗俊「ハハハハハ…ざまあ見ゃあ」
食堂
恭子「まあ、それじゃガンコ、毎晩それをやってるの?」
元子「それが毎晩、必ず最後は、けんか別れになっちゃうです」
トモ子「へえ~」
元子「それでも飽きずにお講義聞きたいって言うんだから、私の身にもなってください」
のぼる「でもガンコって案外親孝行なのね」
元子「向こうが分からず屋なんです。それも分からず屋の見本みたいな」
悦子「一度、お会いしてみたいなあ、私」
元子「え?」
トモ子「うん、私も」
悦子「すてきじゃない。そういう言葉って歌舞伎の世話物なんかでお目にかかるだけで生きた江戸弁なんて感激だわ」
光子「キザな人やね、こん人な」
悦子「ううん、本気よ」
元子「けど、本当にお日(し)様がシカシカ光(しか)ってるの口よ」
トモ子「そんなに?」
のぼる「けど、羨ましいわ」
元子「何が?」
のぼる「だってあんなに文化的な叔父様とチャキチャキのお父さん、一緒に持ってるなんて人、そうめったにいないわよ」
元子「冗談じゃありません。その谷間で理不尽な苦しみを味わってるのは、この私なんですから」
トモ子「ぜいたくは敵だ」
恭子「ねえ、ご迷惑はかけないから私たちに一度、人形町、探訪させて」
元子「それはね、変なのがいっぱいいますから、皆さんの好奇心は満たされるとは思いますけど」
のぼる「あら、ガンコは自分の生まれた所に劣等感持ってるの?」
元子「とんでもない。飾りっ気がなくてサバサバしてておっちょこちょいでお人(しと)よしで大好きです、私」
のぼる「じゃ、問題ないじゃないの、ねえ」
悦子「うん」
元子「けどきっとみんな驚いちゃうもん」
恭子「まあ、私たち若いんですもの。いろんなことにうんと驚きたいわ」
トモ子「そうよ。もったいつけることはありません」
元子「分かりました。そんじゃ近いうちに都合をつけさせます」
歓声が上がる。
トモ子「あっ、桑原先生」
桑原と立花が食堂に入ってきて、その場で立って頭を下げる元子たち。立花がうどんを受け取っているので、桑原先生はかなり上の立場の人?
桑原「君、君」
トモ子「はい」
桑原「一度、聞こうと思ってたのですが、まあ、ここ座んなさい」
トモ子「はい」
桑原「君の出身はどこなのですか?」
トモ子「あ…仙台です。生まれたのは山形なのですが」
桑原「なるほど、それだからですね」
トモ子「はい?」
桑原「君の場合はアクセントに重点を置いた勉強をかなり心がけてほしいですね。『仙台』でなくて、仙台は仙台と発音してください」←字だけだと分かりづらい。
トモ子「は?」
立花「仙台は『仙台』じゃないんだ。分かるだろう? 違いが」
トモ子「はい。でも、仙台の人間は『仙台』と言っています」
立花「仙台」
トモ子「…」
立花「どうしたんだね?」
トモ子「はい、先生はそうおっしゃいますが、『仙台』の人間がどうして仙台と言わなければならないのか、そこのところがどうしても」
桑原「先生、です」
トモ子「は?」
元子はじめみんな笑いをこらえて下を向く。
トモ子「もう、東京へ来たら私、何が何だか…」
立花「『東京』じゃなくて東京」
トモ子「え~? だって『仙台』が仙台なら『東京』『先生』じゃないんですか?」
立花「いや、あのね、君…」
桑原「いやいや、慌てることはありません。山形、宮城、茨城は曖昧なアクセント地帯なのです。その上、殊にあなたの場合は山形生まれの仙台育ちですから特徴的にそれが出ていたんです。ですから、その点をはっきり自覚することですね」
トモ子「はい」
光子「アハハハハッ!」こらえきれずに笑いだす。
桑原「青山さんの場合は」
光子「はい」
桑原「しぇんしぇいと聞こえますよ」
光子「はい」
桑原「これも九州独特の発音ですから気を付けるように」
光子「はい、しぇんしぇい!」←お約束。
みんな、笑う。
しかたありません。日本はやはり広いのです。
吉宗から三味線と歌声が聞こえる。
東島「おいこら、吉宗さん!」
トシ江「はいはい、何でしょう」
東島「何でしょうって…こん非常時に三味線ばペンペンとは不謹慎ばい」
光子「いやいや懐かしか! 九州じゃなかですか、お巡りさんは」
東島「おう…ばってん、これは何の集会ね?」
金太郎「いいからさ、ほら、目ぇ三角にしてないでお上がんなさいな」
宗俊「おう、この娘さんたちはな、放送員の卵だ。今、標準語ってもんについてな、俺と金太郎が研究会ってやつを開(しら)いてやってんだ。おめえさんなんか真っ先に怪しいんだからこっち上がんな。しごいてやるぜ」
悦子「わぁ、イキがいい! こういうのをいなせっていうんでしょう」
宗俊「あたぼうよ。はばかりながら緋縮緬(しぢりめん)の大巾だ」
トシ江「調子に乗るんじゃありませんよ!」
のぼる「あの、それ、何のことですか?」
金太郎「『助六』っていう芝居に出てくるんだけどね…」
トシ江「およしなさいってば、金太郎さん」
恭子「そう言われると余計聞きたいです」
宗俊「ふんどしだ、ふんどし」
のぼる「えっ」
恭子「え?」
金太郎「それが大自慢でね、緋縮緬の大巾だってパッと広げて見せる見せ場があんのよ」
トモ子「誰にですか?」
金太郎「お客さんに」
一同「キャ~!」女子たち笑う。
東島巡査もあきれて帽子を取る。金八先生にも青森訛りの警官といつもしゃべってたけど、おまわりさん=地方出身者みたいなのがあったのかなあ?
つらい時代ではありましたが、女子放送員の卵たちのある所、笑いは絶えず、まさに青春は輝いていました。
つづく
来週も
このつづきを
どうぞ……
仙台弁を調べたら、宮城県民ではないですが、私の生まれ育った地域も仙台弁の地域に入ってた。仙台のイントネーション、分かるな~。トモ子さん、頑張れ。
ナレーションの青木一雄さんは1917年生まれだから、元子たちの先輩ということか~。1975年、顧問に昇格し、1978年に退職。1981年だから退職後か。直接、モデルになる人たちを知ってる人がナレーションっていうのもすごいな。
モデルになった近藤富枝さんと同期の武井照子さんは今もお元気なんだ~と思ったら、2022年6月にお亡くなりになったそうです。今後のネタバレかな?
武井照子さんはもう一人の同期、来栖 琴子さんと”三十七年目のクラス会 ドキュメント「本日も晴天なり」”という本を1981年12月に出版されています。来栖 琴子は満州生まれで立山のぼるのモデルかな?