公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意
朝5時、りん(斉藤由貴)は猛烈な眠気と闘いながら飛び起きた。倒れたやえ(樹木希林)の代わりに家事をこなしながら、新聞記者の仕事も休まないと決めたのだ。りんは3歳の娘・明子を連れて出社する。編集長の津村誠吾(地井武男)に、4、5日娘を連れて出勤したいと申し出る。社員規則に禁止条項はないと、津村は認めるが…。
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りんは早起きをしてお弁当をいくつも作っていた。やえや徳右衛門の分もお弁当を作っておくとお昼をわざわざ作らなくて楽、だけど、その分、朝食+昼食作りだもんねー。
夕食の買い物は弘に頼んだ。キヨも早く帰ってくるとは言ってたけど、入学試験の補習授業もあるので、ちゃんと受けなさいとりんも源造も言ってくれた。勉強に対して理解のある人が近くにいてくれるといいなと思ってしまう。
りんは明子の弁当も持って一緒に出社することに。編集長への事後報告になってしまったが、電話もないのにどうしたらいいのさ? 昨日の今日だもん。なーんて、今日はとりあえず一人で出社して明日から連れてきていいですかとか根回ししろってことだよね。
けど、昨日急遽取材に行かなければならなくなったのだって、電話がないから直接言いに行ったのが仇になってしまったんだもん。編集長だってりんが出社しなければ取材はどうしようとしてたのか分からないし、ここはお互いさまと言うことで。けど、だって…うーん、私はやっぱり言い訳が多いな。
「子供を連れて来てはいけない」という社員規則の条項はなく「ルビ付きで出社することを認めよう」と許しを得た。ま、連れてきちゃってるし。ルビ=漢字のフリガナ。
幸い、明子はおとなしい子でじっと同じところにいたけど、ふとりんが記事を書き終えて気付くと姿が見えなくなっていた(←こういうところが、そこまで集中するってある?って理解されないところかもしれないけど、私は分かる)。明子は編集長に上着を着せられて寝ていた。
家では…徳右衛門がやえの姿が見えず、呼びかけると、嘉助の帽子を見つけて持ってきた。「何でも新しいもの新しいものって追っかけて行ってとうとう天国まで行っちまったわ」嘉助の口真似をするやえを見ておれず、徳右衛門はその場を離れ、やえは帽子をかぶって「故郷の空」を歌った。
社に戻った北村から「今日日比谷で出征軍人の激励会がある」と聞いた編集長は誰に行かせようかと言ったとき、なぜか北村が「おりんさんですよ」なーんて言い出して(婦人が多いから?)、りんは子供をおぶって取材に行くことにした。
今はまだ明治38年2月? 明治38年9月5日には日比谷焼打事件という死者も出た物騒なことが起こったみたいです。「おしん」でもなんかあったなーと思ったら、大正時代に起こった米騒動だった。日比谷公園って昔はたくさん人を集めて集会とかよくやってたってことかな。
源造は弘次郎の店に行き、浅草の叔父の寺で供養のお経でもあげてもらってはどうでしょう、と提案していた。
そこにりんが明子をおぶって店に入ってきた。出征家族の激励会をやっていて、戦死した軍人の遺族の家を回って話を聞き、子供を抱えたりんに親しみを覚え、いろいろな話が聞けたと報告した。水を1杯飲んでまた職場に戻るりんを見送る源造と弘次郎。
キヨと夕食作りをして、夜は針仕事をしながらウトウトしてるりんを源造はそっと抱き寄せ、「なんでそんなに頑張るんだお前は…」とつぶやいた。やってくれる人いないもん! 女中さんの一人や二人雇ったって罰当たんないよ(まだ言うか)。この危機を家族で乗り越えようというのがテーマだったのかもしれないけど、いろんな人に助けを求めていいと思うけどなぁ。
ルビ付き記者は、「はね駒」のモデルの磯村春子さんが実際言われていたらしいです。実際の磯村さんは8人(!)の子供がいたらしいので、女中さんがいても手が回らなかったのかもしれません。
ツイッターで”アグネス論争”について触れてる方が多かった。
「はね駒」より後の騒動だったんですね。アグネス・チャンさんが赤ちゃんをテレビ番組の収録に連れてきた。「大人の世界に子供を入れるな」などなどめちゃくちゃバッシングされた。
こういうことが起こっても、じゃ父親は何してんだとはならないんだよねぇ。