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【連続テレビ小説】はね駒(154)

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

3月、りん(斉藤由貴)は朝ごはんの支度で大忙し。やえ(樹木希林)たちが福島・二本松へ行くため、自分ですべて家事ができるよう張り切っていたのだ。そんな中、中河鶴次(矢崎滋)が再び、二本松の直助からの手紙を持ってくる。昔下働きとして世話になった徳右衛門(山内明)や弘次郎(小林稔侍)たちと再び同じ家に住めることを心待ちにしているという。4月、出発前夜、源造(渡辺謙)は、弘次郎にあいさつしようとするが…。

 

明治39年3月。りんは忙しく朝食を作っていた。やえは見守り、おキヨちゃんがお手伝い。だからさー、結局おキヨちゃんに無償の手伝いをさせるくらいなら、給金払って女中さんいたらいいだろってことなんだよ。おキヨちゃん頼みなのはなんだかなぁ。この家に住まわせてもらってるというのがあるのかもしれないけどさ。

 

りんの女学校時代は、給費生として勉強だけじゃなくいろいろやって来たんだろうし、おキヨちゃんも花嫁修業がてら家事ができた方がいいのは分かるんだけど、仮におキヨちゃん的な存在がなかったら、あるいはおキヨちゃんが男ならどうだったんだろ?と思ってしまう。いろいろ考えたうえで津波の孤児を女の子と設定したのならすごいな。

 

そのあとの夫婦の甘い会話だけど

「あなたがついてるから大丈夫。ご協力お願いしま~す!」と明るく言うりんに対し、

「や~なこった。ハハハハハ」←こら、源造! 手伝う気はないのか。

 

鶴次先生はまた二本松の直助からまた手紙を預かってきた。ここで徳右衛門の年齢が78歳と分かりました。直助は60半ば。りんが明治10年生まれの29歳、弘次郎ややえは50代といったところでしょうか。

 

明治39(1906)年の78歳は文政11(1828)年まれ。岩倉具視が文政8年、西郷隆盛が文政10年、大久保利通が文政13年生まれ。いずれも明治10年代で亡くなっている方々ばかりで、大じいさま「剣術で揉んでやるかな?」と元気だなぁ。

 

明治39年4月。出発を明日に控え、荷物をまとめ、夜、男同士で飲んでいた。徳右衛門は明日のことを考え、先に席を立ち、弘次郎と源造が向き合って話そうとするとき、やえがりんを伴って、ドクダミの干したやつの場所を教えたり、二人の間に割り込んでくるのでなかなか話が進まない。これが「はね駒」らしさ。しんみりした場面でも笑える場面を作ってくれるのが楽しい。

 

「おりんはあの母親の娘です。似てくるでしょう、今に」

「もう似てます」

「申し訳ない」

「もっと似て欲しいです。おりんはいいやつです。かわいいです」

もうっ源造さんったら。照れずに言える源造さん素敵です。だからりんを手伝ってね。

 

やえは台所のあれこれを指示し、「台所は女の城だ。決して人に明け渡してはわかんねぞぃ」とししゃもでバンバンりんの尻を叩く。「しっかり気張ってなぇ! 小野寺さんの奥さん」と言われて、たまらず泣き出し、やえに抱きつくりん。りんの泣き顔、いいよね。

 

徳右衛門、弘次郎、やえを二本松まで送り届けるため、彌七ときわも一緒に行くことになった。みどりも大吉と来てたけど、みどりさんは好きに親子で暮らしたい派かな? 今後も小野寺家で同居はなさそうな感じだね。

 

明るいうちに出発。「行ってらっしゃい! お元気で!」とりんは明るく送り出した。

 

夜。りんが繕い物をし、源造は仏像を磨く。そこに弘がやって来て「おじいちゃんとおばあちゃんみたい」といって走り去っていく。当時二十歳そこそこの斉藤由貴さんが落ち着いたおっかさんみたいになってるの今見るとすごいな。さみしさをかみしめるりんと源造でした。

 

あー、毎日毎日終わっちゃうんだなぁと寂しい気分になります。