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【連続テレビ小説】あぐり (139)「最後の親孝行」

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

昭和23年秋、あぐり田中美里)の新しい美容院が開店して1年経った頃、チェリー山岡(名取裕子)がアメリカで暮らすことになり、沢田(中条きよし)と進めていた計画をあぐりにやらないかともちかける。そのころ毎朝新聞には、晩年のエイスケの文学を評論する記事が、林(高嶋政伸)の署名で掲載され、世津子(草笛光子)や淳之介(山田純大)は誹謗中傷だと憤慨するが、あぐりは人には色んな考え方がある、と気にしない。

昭和23年(1948)秋

 

ラジオから「東京ブギウギ」が流れる。

 

あぐりの新しい美容院が開店して1年が経ちました。始めた頃は物資も不足し、苦労も多かったのですが、常連客も順調に増え、経営も安定してきました。

そんな中でもあぐりは新しい髪型の研究に余念がありません。

 

千花を練習台にあぐりと沢子で新しい髪型の研究。翌日、千花の髪を見たお客様が「まあすてき…!」と褒めるけど、これ毎日セットしづらそう…っていうかこの時代シャンプー毎日するわけじゃないしね。80年代の終わりですら毎日じゃなかった気がする。となると、崩れない髪型のほうがいいのかな?

 

チェリーと沢田があぐりの店に来店。チェリーは夫が戦時中の収容所暮らしで目が不自由になり、歩くこともおぼつかなく、アメリカで暮らすことになった。銀座山岡美容院は雪にすべて任せる。雪さん~。結局独立はしなかったのね。

 

美容師の養成学校が順調で卒業生を受け入れる美容院を全国に作る計画があり、20店舗の面倒をあぐりに見てほしいと言ってきた。あぐりは美容師の育成と支店の品質管理をする。「あぐりさん、あなたいつか岡山のお義父様に『絶対日本一の美容師になってみせる』って言ったわよね…。今がそのチャンスなのよ」

peachredrum.hateblo.jp

チェリーの店の事務所の電話で健太郎と話してるのをチェリーに聞かれていた。

 

沢子はあぐりや千花に相談するが、沢子も千花もその話を受けるべきという。

 

婦人現代社では毎朝新聞の連載記事に世津子も淳之介も怒っていた。「昭和の文壇を彩った作家たちを論評する」という特集記事に望月エイスケのことが書かれていたのだが、「望月エイスケ。堕ちた天才作家」というタイトルに世津子は「こんなのねエイスケに対する誹謗と中傷ですよ」。記事の中身は「あれほどまでに男女の恋愛、情愛をほとばしる感性で書き続けた望月エイスケがプロレタリア文学の模倣に走り、あげくに挫折し筆を折ったことは読者への裏切り以外何ものでもない」。

 

映し出された紙面には「残された我々は一体何なのだろうか?むなしいではないか。そんな裏切り者に自らの貴重な時間を預け、身をゆだねたことか。私は望月エイスケの犯した罪についてここに記さずにはいられなかった。怒りと悲しみを込めて。まさしく彼は堕ちた天才なのだ。(林晃記者)」

 

民子は記者の名前を見てハッとする。

 

あぐり家でも和子が新聞記事を読んで「パパは読者を裏切ったの?」とあぐりに聞いた。和子、成長したね~。というか先週までの和子が結構長かったもんね。あぐりはエイスケが記事になってることが嬉しく、「パパはね自分の書いたものでたくさんの人を元気づけてたのよ。すばらしいお仕事をしたんだから。でもねそれをそう思わない人も世の中にはいるのよ。人にはいろんな考え方があるからね。そんなこと気にしなくても大丈夫よ」と気にしていない。

 

民子があぐりの店を訪れて記事を読んで怒ってるか聞いた。「そうかな…。私は死んで10年近くも経つのに、こうやって新聞の記事になるくらいだからエイスケさんってやっぱり立派な人だったんだなあって思ったわ」←あぐりさんの本は1冊しか読んでないけど、こういう考え方あぐりさんならしそうだと思った。

 

民子の知り合いだと聞くと、「林晃さんか…。あっ晃さんって私の父とおんなじだ」とつぶやく。そうだったね。川村晃さんでした。

 

林は東京から「毎朝新聞」の岡山支局に来て、民子と知り合いだった。そして1年前の復刊記念パーティーで会ってる。

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土曜日はあぐりとぶつかった所で終わってたけど、民子があぐりを紹介していた。あぐりの印象は「あの変な人」。民子は気にしないように言うが、「気になんかしてないわよ。人にはいろんな考え方があっていいんじゃないの」とさっぱりしてる。

 

婦人現代編集部に淳之介と林がいた。林は写真を撮るのもこだわりがあり、几帳面? 林は、先月号の『婦人現代』で特集されていた『戦争によって女たちは何を喪失し、何をもって立ち直っていこうとするのか』という記事を実にすばらしい切り口、記事も無駄のない文章だったと褒めた。淳之介が名乗ると、望月エイスケの息子と気づいて、また写真を1枚撮った。

 

岡山では若い女性の先生に健太郎、磯辺、妻五郎が俳句を習っていた。「冷や奴 食べて見上げる 鰯雲」という句を健太郎が披露した。またしても季語が二つの俳句を作っていて先生に指摘される。冷や奴は夏、鰯雲は秋。健太郎は冷や奴が大好物で冬でも食べると気にしていない。先生を後楽園に誘うも断られた。

 

縁側に並ぶ三人。思わずあくびが出る。磯辺は「年寄りの あくびが3つ 秋の空」を詠む。空を見上げて退屈じゃと何度も言う健太郎

 

晩年のエイスケの父が本当に俳句にハマっていたかどうかは知らないけど、吉行和子さんは今も俳句が趣味じゃなかったかな。

 

カフェ・セ・ラ・ヴィであぐりは世津子と民子に20の支店の話をする。世津子も民子も応援。いつも前に向かって突き進む、あぐりはやる気になった。そこに訪れたのが林晃だった。

 

んー、どうも林のキャラクターが受け付けない(^-^; エイスケの作品をけなされて淳之介は怒ってたけど、実際の淳之介さんは父の作品をまともに読んだことがないと書いてました。