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【連続テレビ小説】あぐり (154)「素晴らしき日々へ」

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

翌年5月、淳之介(山田純大)が倒れ意識不明の重体に。大変危険な状態、と言われあぐり田中美里)は病院に泊まり込んで付き添う。勇造(若林久弥)が岡山からお守りを持って駆けつけ、数日後に淳之介は意識を取り戻す。淳之介は燐太郎(野村宏伸)から淳之介の小説『驟雨』が芥川賞候補になったことを聞くが、もう3度落選している淳之介は嬉しくない。林(高嶋政伸)は自分の絵が描けないことに悩む。7月、芥川賞の発表が…。

昭和29年(1954)5月

和子は発声練習をし、理恵はノートに何かを書いていた。

 

へんな夢を見ているの

君は昨日哀しそうだったね

だけど夢を見ているんだね

だから さまさないで

 

鳥は木に止まって

何てすばらしい

 

鳥は木に~以降は手でよく見えなかった。あぐりが林の仕事部屋に行くと、林は白いキャンバスの前でじっと座っていた。あぐりは九州行きを話すが、耳に入っていない。

 

このころ多忙を極めていたあぐりには、この時、林がどんな気持ちでキャンバスの前に座っていたのか知る由もなかったのでした。

 

淳之介は婦人現代編集部で民子の前で倒れた。あぐりは店で新作の髪型の研究中。あぐりが人の髪に触れられるのは今やこの時だけ。

 

和子から淳之介が倒れたことを聞き、家族で病院に駆け付けた。結核で急激な発熱という稀な事例だという。

 

あぐりが病院のベンチで休んでいると、林に家に帰って休むように言われた。林の元には南と尚久が駆けつけ、南が子供の頃に撮った写真を林に預けた。

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この写真は焼き増ししたのか、淳之介が安吉に渡したものが淳之介の手元に戻ってきて、それを持って来たのか…どうでもいいかあ。

 

あぐりは窓辺で淳之介に語り掛ける。

「淳…死んだら駄目ですよ。あなた…まだこれからなのよ。これからたくさん小説書くんじゃないの? あなたまだ30ですよ。エイスケさんより先に死ぬなんて、お母さん許しませんからね…。絶対許しませんよ。もし天国から迎えが来てるんだったら、その人に言ってちょうだい。『僕の代わりに母を連れてって下さい』って…。もしそれがエイスケさんだったら必ず言うんですよ。『僕なんかつまらないですよ。一緒にいても退屈ですよ。それよりお母さんの方がいいですよ。楽しいですよ』って。ねえ、必ず…必ず言うんですよ。淳…何よ! あなたまだ何もしてないじゃないの。何にも書いてないじゃない…。これからなのよ。これからなのにそれなのにどうして私の所からいっちゃうのよ!? どうして私を置いてっちゃうの?」

世津子さんに聞かれてたー。抱き合って泣いちゃう。

 

翌朝、あぐりのもとを勇造が訪ねてきた。淳之介は3日も意識が戻らない。勇造は「磯やんと妻さんから」と金山寺のお守りを持ってきてくれた。勇造役の若林久弥さんも2世俳優で大人になったジュンノーちゃんたちと同世代だけど、山田純大さんたちが長身揃いだったのでバランスとったのかなあ。

 

お守りを手に取ったままウトウトしたあぐりは昔を思い出す。

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あぐり「こんな時に淳之介の顔も見ないでお守りだけを置いて帰るなんて、私、エイスケさん見損ないました!」

光代「全く情けない子じゃ。あれでも父親なんじゃろか。あら? これ金山寺のお守りじゃが…」

 

あぐりは林に起こされて、淳之介の意識が戻り、熱も下がってきたことを聞き、林と抱き合った。

 

病床の淳之介と「よっ…」「やあ」と挨拶するあぐり

 

夜、お見舞いに来た燐太郎。

燐太郎「よかったな、淳之介」

淳之介「今度は長い入院になりそうです。全く僕は病気のデパートですよ。よくもいろいろな病気にとりつかれたもんです」

燐太郎「まあそれも財産だと思えばいいじゃないか」

淳之介「病気が財産ですか」

燐太郎「お前の書いた『驟雨』芥川賞の候補になったぞ」

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淳之介「またですか…」

燐太郎「『また』とは何だ」

淳之介「これで4度目ですよ。また苦しめられます。待つ間イライラして落ちては人にいろいろ言われる…。こうなると芥川賞ってヤツは定期的に僕を苦しめにやって来る嫌~な知り合いのように思えますよ」

燐太郎「それだけ憎まれ口がきければもう大丈夫だ」

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第26回 昭和26年/1951年下半期 受賞 堀田善衛

第27回 昭和27年/1952年上半期 受賞作なし

第28回 昭和27年/1952年下半期 受賞 五味康祐

 

あぐりのもとにチェリー山岡が現れた。チェリーは夫を亡くし、日本に戻ってきた。銀座の店は雪に任せたので、アメリカのノウハウを生かしたビジネスを始めるつもりだと言っていた。

 

民子のもとに絵を持って行った林は元気がない。自分の絵が描けないと悩んでいる。

 

昭和29年(1954)7月

まだ入院している淳之介の病室にあぐり、林、燐太郎がいた。燐太郎が芥川賞の選考会が終わり、淳之介が入選だと知らせに来た。

 

昭和29年7月。第31回芥川賞望月淳之介の作品「驟雨」が選ばれたのでした。

 

第31回 昭和29年/1954年上半期 受賞 吉行淳之介

 

世津子はカフェ・セ・ラ・ヴィのカウンターで「おめでとうエイスケ!」とひとりグラスを傾けた。

 

あぐりはエイスケの仏壇に「エイスケさん! あなたの息子が立派な賞を頂きましたよ」と新聞の切り抜きを供えて報告した。

 

芥川、直木賞決る

  望月淳之介氏「驟雨」で

第三十一回芥川、直木賞選考委員会は二十一日午後六時から東京・築地の「新喜楽」「まだ万」でそれぞれ開いた結果、芥川賞には東京都千代田区五番町三、望月淳之介氏(作家の故望月エイスケ氏長男)の「驟雨」(文學界二月号)その他に、直木賞には東京都杉並区関根町七〇、有馬頼義氏の「終身未決囚」(作品社刊に収められた諸作品)と決った。

月氏は大正十三年生れ、東大英文中退。主な作品は「原色の街」

有馬氏は大正七年生れ、早大中退、著書には「ある父と子の話」「蕩児」などがある。

 

突然の病気! でも吉行淳之介さんはこんなに若くして亡くならないのは分かってるのでそれほど心配せず、そして「あぐり」の世界では病気を引っ張ったりもしないので、今日中に解決。しかし、林やあぐりはそれぞれ仕事に悩みを抱えている!?

 

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馬渕英里何さんはてっきり田中美里さんと同じ歳くらい?と認識してたけど、「白線流し」で高校3年生役をしてたせいだな。

 

戦後だって家族の本当にあったエピソードだけで十分足りるのに、光美堂はいらんだろ。和子だって衣装係で劇団員になったのに、女優になったってだけで結構なドラマになりそうなのに。でもあと2日か~。