公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意
開戦した当初は破竹の勢いの進撃だった。入兆では、野呂(須和田聡)と殿岡(重松収)の壮行会が行われるが、そこで竹田の戦死が伝えられ、婚約者のアミ(高師美雪)は泣き崩れる。日本が本土空襲を受けるようになり、梅木(柴田恭兵)とかをる(沢口靖子)は久兵衛(津川雅彦)に、脱脂大豆を使った質を落としたしょうゆの生産と女子の職工を使うことを提言する。新しく出来たしょうゆを味見した久兵衛は、その出来に絶句する。
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見てるだけだけど2本立てはキツイ(-_-;)
(ラジオ)「大本営陸海軍部12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり」
久兵衛が従業員の前で演説。「梅木を先頭に一致団結して、あらゆる困難に耐えてお国のために生産の向上を図ってもらいたい!」
食卓では昭和彦に「食べ物を大事にせんとバチが当たるぞ。ご飯粒残したら目つぶれるぞ」←こういう言い回し懐かしい。久兵衛は白髪も多くなり、「おしん」の竜三の老けメイクみたいになってきた。
久兵衛も梅木も日本が勝つと信じてる。「この戦争は負ける(キリッ)」みたいな妙な未来人目線の人がいないのがいいよね。
陸海軍は「破竹の勢い」であった。開戦から半月ほどの間に香港、グアム、ウエーキ島を攻略。明けて昭和17年1月にはマニラを、2月にはシンガポールを占領。5月にはフィリピンのコレヒドール要塞を陥落させたのである。
経理の野呂秀太郎と製造部の殿岡忠義が召集されることとなり、壮行会が開かれ、その場で竹田徳十の戦死が発表された。昭和17年3月ジャワ島。広敷の人たちが年齢が分からない。かをるが「入兆」に住み始めた頃にはもういたから、かをるより年上だけど、梅木より下くらい? アミは入籍してたなら軍人恩給がもらえるけど、婚約だけなのかな。
17年4月 日本本土は米軍機による初めての空襲を受けた。軍当局は直ちに銚子市の愛宕山頂上に最新式のレーダーを設置した。
ツエは愛宕山といえば高神村事件を連想→惣吉さんどうしてるんでしょうか?とかをるに尋ねた。
かをるも惣吉の事を忘れたわけではなかった。かつて夫であったという重みこそ歳月によって風化されてはいたが、心のどこかでいつも安否を気遣わずにはいられなかった。
醤油醸造にも小麦と大豆が不足していて、小麦は山川が開発した醤麦という小麦にフスマを混合したものを使うことにし、大豆は 脱脂大豆を使うことになったと梅木が久兵衛に報告した。
今では健康食品?
「入兆」は295年も続いている醤油屋で「入兆」始まって以来の屈辱やと久兵衛は嘆くが、やむをえないことだと梅木とかをるに説得された。
そして、職工が召集や徴用で減っているので女子を雇いたいという言葉にも「女子はあてにならん」といい顔をしなかった。久兵衛曰く「辛抱がないから長続きせん。そら働き手としては男に及ばん」。他に方法がないと言われ渋々承諾。
醤油の原料はますます逼迫した。特に小麦は代用食としてパンやうどんに使われるため、割り当てを受けるのが大変だった。
清次もまた秋田杉にこだわって樽を作ってきたため、材料がなく作れないとるいやかをるに言った。かをるは挽き材を集めてこしらえた昭和樽を研究してほしいとお願いする。
↑こちらによれば、松材を用いた昭和樽、杉挽材(すぎひきざい)を用いた東亜樽(とうあたる)といった樽があったそうです。
かをる「伯父さんの気持ちは分かるけど、うちだってひどい醤油を作っているんですよ。6割もフスマの混じった醤麦で…」
昭和17年6月 日本軍はミッドウェー海戦で初めての惨敗を喫した。さらにソロモン群島でも無念の撤退を余儀なくされた。以後の戦局は日本側の防戦一方となっていった。
かをるの言う”ひどい醤油”を試飲した久兵衛は醤油を吐き出し、「なんちゅうこっちゃ。これが『入兆』の醤油か? 仕込み桶が泣いとるわ。ご先祖さんに何ておわびしたらええんかいの」と涙を流した。
1話が濃いし、見逃したら全然話分からなくなるかも!