公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意
第二子を妊娠しても働くあぐり(田中美里)に、作家の平山真佐子(吉行和子)はエイスケ(野村萬斎)が最近上海などを舞台に小説を書いていると言う。国産のパーマネント機を作って忙しいチェリー(名取裕子)はあぐりに、岡山に支店を出さないかと勧める。あぐりは和子を出産し、美佐(松原智恵子)の生まれ変わりと信じて育てる。そんな時、世津子(草笛光子)はあぐりに、『婦人現代』の原稿を依頼する。あぐりは断るが…。
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昭和10年(1935)夏
母・美佐の死から8か月が過ぎ、相変わらずの忙しさの中で悲しみもようやく薄れ始めていました。そんなあぐりのおなかにはエイスケとの間に2人目の子供が宿っていたのでした。
大きなおなかのあぐりが来店した平山真佐子にお茶を運んでいた。「あらら。まあまあ、随分大きくなったわね。男かしら? 女かしら? 私は女の子だと思うわ。とってもかわいい女の子」←吉行和子さん本人に言わせたセリフなのに、ここも覚えてなかった。
平山はエイスケが最近上海やあちこちの外国が舞台の作品を書いてるそう。あぐりはエイスケの作品を読んでないか聞かれると「何が何だかさっぱり分からないから」と笑顔で答えた。あぐりはひとつきほどエイスケとは会っていない。
そこに来店したのはチェリー山岡とビジネスパートナーの沢田。
昭和9年にチェリー山岡が国産のパーマネント機を開発すると一挙に世はパーマネントの全盛時代となっていたのでした。
チェリー山岡は岡山市内に今度出来る大きなデパートに支店を出さないかと持ち掛けてきた。チェリーはパーマネント機の販売が忙しく支店を出す余裕はなく、雪と話をしているとあぐりが岡山出身だという事を思い出した。
こちらの記事内に店舗名が書かれています。
銀 座 伊東屋美容室
麹 町 山ノ手美容院
デパートが開店するのは2年後。お金はエイスケが管理していて、沢田も出資してくれる。来年になったら岡山を行ったり来たりするけど淳之介と生まれてくる子供の世話を光代にお願いするあぐり。
あぐりは夕食を終えると、カフェ・セ・ラ・ヴィへ。世津子にエイスケの行方を聞く。以前原稿を届けに来た女性とはとっくに切れてる。元気を取り戻したあぐりは帰ろうとするが、燐太郎と民子に鉢合わせする。あぐりが民子と話をしてる時、燐太郎は世津子に近づき、川原甚八が逮捕されたことを知らせた。
あぐりと淳之介は光代のバイオリン曲「英才促進協奏曲」を聴かされた。そのうち、あぐりは陣痛を起こし、あっという間に出産! 朝ドラは一人目は割と丁寧に描くけど、2人目以降はさらっと描くね。
あぐりの枕元には美佐! 朝ドラ名物?の幽霊。「おしん」もいなかったし、だいぶ明るい作風の「はね駒」も意外とそういうシーンはなかった。でも「澪つくし」はあったね。
病室の畳?に赤ちゃんと二人並んで寝ているあぐり。カメラに二人が収まるためかあぐりの背後にいる美佐。「無事に生まれてよかったなあ、あぐり。かわいい赤ちゃんじゃなあ。おめでとう。大事に育てるんよ」。
この時からあぐりは生まれてきた赤ちゃんを美佐の生まれ変わりだと信じて育てることにしたのでした。
壁には「命名 和子」。見舞いに来た世津子にエイスケが付けてくれたと言っていた。エイスケは人が変わったみたいにかわいがってる。世津子はあぐりがエイスケを追って東京に来た時、「岡山に帰れ」と言った事や「あなたがいるとエイスケが駄目になる」と言った事を「ごめんなさいね、あんなきついこと言って」と謝った。
あぐり「私、あの時からずっと…ずっと東京に来てから頼れるの世津子さんだけでした。今でもそうなんです。これからもずっとそばにいて下さいね」。
この時、世津子の中に小さな決意があったことをあぐりは何となく予感していたのでした。
それにしても世津子さんの衣装が美しい。こんなにこの時代の衣装が似合う人、他にいないんじゃないかってくらい似合う。
あぐり美容院では沢子が「もうすぐ6時です」と辰子、とめとともに店の窓から外を見る。エイスケがカンカン帽を落としながら急ぎ足で帰宅。
和子の入浴は必ずエイスケの仕事でした。毎日定時になるとどこからかとんで帰ってきては手際よく入浴させます。
エイスケ「さあ和ちゃん、きれいになったね」
そして入浴を終えると…
沢子「もうすぐ7時です」
またどこかへいそいそと消えていくのでした。
センスでパタパタ扇ぎながら、カンカン帽を拾って頭にかぶって急ぎ足で行ってしまうエイスケ。
ここ! このエイスケさんのシーンはすごくよく覚えてる。でも前半のシーンは覚えてないから総集編でも見たのか!?
とめ「ああいうの『子ぼんのう』って言うんですかね?」
辰子「言うんじゃないの?」
沢子「変わってますよね、この家の人は…」
「和ちゃん、気持ちよかった?」と裸で布団に寝かされる和子に話しかけるあぐり。いや、ホントに全裸なのでびっくりよ。
エイスケの豹変ぶりに戸惑うあぐりでしたが、和子の入浴の時間はささやかな幸せを感じるひとときだったのでした。和子を出産して2か月後
昭和10年(1935)秋
すっかり体調が戻り、仕事に復帰したあぐりは相変わらず忙しい毎日を送っていました。
世津子が来店し、あぐりに「婦人現代」に原稿を依頼してきた。この時の世津子の秋らしいファッションも素敵。あぐりが「なぜ私なんかが書くんですか?」と聞くと、一度「婦人現代」の創刊の時のメンバーでこの紙面を埋めて見たかった、原点に戻るという意味でもということで、一番身近な事、妻だから分かる作家 望月エイスケの素顔はどう?と提案するが、「じゃあ私、あの人のこと何にも分かりませんから」。世津子は「我が夫、望月エイスケ論」というタイトルであぐりに依頼してきた。
今日の回、和子が生まれた回なのに、覚えているのはエイスケさんが入浴させるために帰ってくるところだけ。エイスケさんらしくていいよねー。あぐりもエイスケもまだ20代かあ(エイスケ29歳、あぐり28歳)。