徒然好きなもの

ドラマの感想など

【連続テレビ小説】澪つくし(158)

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

日本が負けた、と玉音放送を聞いた神山(牟田悌三)が伝え、呆然とするかをる(沢口靖子)。とね(草笛光子)に預けてある子供たちの様子を見に、かをるが外川を訪ねると、工場再建のための古木材を運んでくれることになる。細々としょうゆを作り続けるかをる。フィリピンから戻ってこない梅木の手がかりを探りに、かをるが銚子駅で復員兵たちに尋ねて回っていると、満州から引き揚げてきた律子(桜田淳子)が現れて倒れこむ。

最終週火曜日回。

 

「入兆」の庭でかをるとツエが炊き出しをしていると神山がフラフラと入ってきて「日本が負けた…」「ラジオで…天皇陛下様が…」と言った。

 

昭和20年8月15日 日本はポツダム宣言を受諾。無条件降伏して第2次世界大戦は終わった。

 

朝ドラでは割とおなじみの玉音放送はなし。そもそも、かをるの元にラジオはなく聞いてなかった。

 

かをるは吉武家に昭和彦を迎えに訪れた。善吉の息子は清吉。とねと漁労長がいたけど、漁労長が年取ってた。とねが大きめの声で話しかけて返答する感じとか、そういえば私が見慣れた織元順吉さんはこんな感じだった。かをるたちは土蔵の中で暮らしていて、とねに心配されるが、住まいより工場を優先させていた。

 

梅木の事は諦めているというかをるに、とねは惣吉は帰ってくると信じてると力強くいった。「負ける戦争なら行くことはなかったんだ。何が…何が無条件降伏だい。戦死した者はやり切れないよ。何のために命を落としたのか分かんねえじゃねえか。冗談じゃねえ」悔しさをにじませる人って最近の戦争を扱ったドラマではあまり見かけないような気がする。

 

かをるも痛恨の思いであった。もう少し早く戦争が終わっていれば父も母も死なずに済んだのだ。

 

外川から善吉、漁労長、須貝が「入兆」の工場の修繕を手伝ってくれた。須貝さん、最後までいるとは思わなかったな。

 

ツエが沖田が描いた律子の絵を見つけてきた。律子に暴言を吐いた沖田はもう出てこないだろうな。律子の絵を見た善吉は「きっと帰ってきますよ。あの人は生命力が強いから」と励ます。生命力の強いのは惣吉もだけどな!

 

神山はツエに髪を切られながら「情けねえ話だな。赤い口紅つけてパーマかけて、あれでも日本の女かよ」と愚痴った。姿は見せないけど、パンパンだと分かる表現。ツエは「男が悪いんですよ。戦争に負けっから女たちがひどい目に遭ってんです」とバッサリ。

 

「生活のためですよ。未亡人やそれから仕事のない人はどうやって食べていけばいいんですか」そうだよね~。

 

昭和彦は進駐軍からチョコレートやチューインガムをもらってきた。かをるは「捨ててらっしゃい。男としてみっともないじゃありませんか。あなたたちは乞食じゃないのよ。お父さんが帰ってきたら叱られますよ。日本人としての誇りを持ちなさい」ときっぱり言い、昭和彦は川から「バカ野郎」と叫びつつ、チョコレートを投げ捨てた。

 

食べ物に罪はないから食べてもいいのに~そこは思っちゃうな。食べ物が全くなかったらやっぱり食べちゃうよ。

 

カギタからフィリピンへ派遣され無事に帰還した人がいると聞き、かをるは飛んで行った。

 

カギタの人たちはマニラ勤務でセブ島の醤油工場とは敵の攻撃が激しくなって連絡が途絶えた。マニラでも昭和20年2月には米軍に占領され21人中14人亡くなった。戦死、栄養失調、赤痢…様々な死因。

 

日本全国がそうであったように銚子にも欠乏と飢餓の日々が続いた。配給の食料ではとても足りず、市民はヤミ物資の買い出しに狂奔していた。

 

雑炊屋と復員兵の男たちが「入兆」に来て、インチキ醤油だと文句をつけていた。海の水に色を付け、醤油粕をつけただけの「人兆(にんちょう)」という印が入った偽物だった。頭がいてくれて助かる~。行商人から安く分けると言われた雑炊屋は50本も買っていて、慌てて店を飛び出していった。

 

昭和21年になると、復員兵や引き揚げ者の数が増えた。かをるは一縷の望みをつないで毎日のように銚子駅へ出かけて行った。

 

そんな中、駅員に付き添われた女性がやってきた。律子さん!! 帰ってきた律子は顔色も悪くフラフラですぐに布団に寝かされた。「お父さんはどこ?」と尋ねる律子に「申し訳ありません。父も母も空襲で…」と答え、28分でつづく…ってことは!?

music.apple.com

ここで来るか…(-_-;)

 

緊迫の展開が続いたからよかった…のか? いや律子さんが見たいよ。