徒然好きなもの

ドラマの感想など

私がつくった番組 マイテレビジョン

ざーっと見ていて印象に残ったものをメモしておきます。テレ東のかなり自由な番組。主役となる人が好き勝手に作っています。歌を歌ったり、話をしたり…昔の人ってなんであんなに歌のうまい人が多いんだ?と思いました。歌手が本業じゃない人もさらっと歌ってうまい。

 

1972年12月14日 阿久悠の『俺のつくった歌・俺のベストテン』 

出演者 阿久悠上村一夫猪俣公章井上忠夫小林亜星、都倉俊一、中村泰士

阿久悠の巨大なパネルの前で、小林亜星、都倉俊一、猪俣公章といった歌謡史を代表する作曲家たちと一緒に「ピンポンパン体操」を熱唱!

 

作詞家の阿久悠さんと仕事仲間の作曲家たちが出演していました。阿久悠さんが一人一人に詩を贈り、作曲家たちは弾き語りで阿久悠さんと作った歌を歌う。

 

そんな中、都倉俊一さんがかなりかっこいいのに目を奪われました。

阿久悠さんはじめ他の作曲家たちが1930年代生まれなのに対し、一人戦後生まれの若き美青年。楽器もできる、歌もうまい。父が外交官の帰国子女。

 

あの作曲家たちの中だと、私がなんとなく顔も名前も知ってたのが、小林亜星さん、中村泰士さんでした。小林亜星さんというと「寺内貫太郎一家」なのかもしれませんが、さすがにその世代ではなく「わくわく動物ランド」の記憶があります。坊主頭で眼鏡の太ったおじさんというイメージでしたが、この番組では眼鏡をかけておらず坊主頭でもありませんでした。

 

中村泰士さんは、wikiによれば「笑っていいとも!」に出演していた時期もあったそうですが、それかなぁ? 髭の明るいおじさんのイメージがあるんだけど、何で見たのかは覚えてませんでした。

 

最後はおじさんたちでピンポンパン体操を歌う(作詞・阿久悠 作曲・小林亜星)というシュールなラストでした。バラエティなどでしゃべってるイメージが全くなかった猪俣公章先生が張り切って歌っていたのが印象的。かなりサービス精神旺盛な感じがしました。

 

 

1972年11月17日 都倉俊一『24歳の鎮魂歌(ラブサウンズ)』

出演者 都倉俊一、落合恵子、バニー・ラッツ、黒柳徹子

作曲家・都倉俊一がピアノ、ギターの弾き語りによる生ライブを披露。そんな中、初対面の黒柳徹子がゲリラ的に現れ、インタビューが始まる。

 

そして都倉俊一さんメインの企画。弾き語りで歌を歌い、落合恵子さんとの対談など。落合恵子さん、不勉強で存じ上げませんでしたが、文化放送のアナウンサー(みのもんたさんと同期)だそうで、なんだその距離感は?!ってくらい顔が近くて、ドキドキしました。

 

初対面の黒柳徹子さんは、都倉さんがかっこいいし歌もうまいので、そのまま歌手もできるのでは?と私が思ったことを言ってくれました。阿久悠さんの回でも散々言われてましたが、かっこつけてるわけでもなく嫌味のないスマートなしゃべりをする人でした。

 

 

1972年12月1日 森山良子の『二人ぼっちのリサイタル』

出演者 森山良子、森山久

当時24歳の森山良子が「マイウェイ」「LOVE」「美しい星」などをスタジオライブ。さらに日本ジャズ界の草分けである、父・森山久との貴重なセッションも見どころ。ジャズのスタンダード「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」を歌う。

 

森山良子さんの父親である久さんは、この時点で10年前に引退した元トランぺッターでした。なので、二人で歌ってたけど、歌うまい! 

 

 

だけど、こういう昔の番組を見てつくづく思うのが、ちょっと自嘲気味に”昭和のイケメン”みたいな言い方ってあると思うけど、昭和とか全然関係なくかっこいい人、きれいな人は時代関係ない。今見たってかっこいい人はかっこいいです。

 

鰐淵晴子さんの回もあったけど、別に今20代として存在したって美人は美人だしねぇ。

 

しかしまぁあまりにざっくり見て消してしまったので、また放送があったら今度はちゃんと見たいです。