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【ネタバレ】次郎物語

1955年 日本

 

あらすじ

度々映像化されている下村湖人の同名小説を名匠・清水宏が映画化。子ども映画の名作も多い清水監督が、時代に翻弄され多感な時期に3人の母と対峙する少年の激動の日々を、繊細な演出を重ねて映す。主人公次郎(大沢幸浩,市毛勝之)と乳母お浜(望月優子),実母お民(花井蘭子),義母お芳(木暮実千代)の3人の「母」との結びつきが描かれる。旧家の次男ながら、乳母・お浜の元で育てられた次郎は、7歳で生家に戻される。厳格な実母・民子になつかず、祖父の死を機に母方の実家に移る次郎だったが、病に倒れた民子の看病に励むうちに親子の絆を育む。

2023.2.8 日本映画専門チャンネル録画。小学生の頃、映画を観たことがある気がするなと思って調べると、1987年にも映画化されて、年代的にもこれかな~。今回のは1955年版。

 

映画前に解説あり。子供好きな清水宏監督は戦争孤児の映画を撮っているが、実際に引き取って育ててもいる。舞台は原作者の下村湖人の故郷である佐賀県神埼市だが、撮影は信州。

 

学校の校庭で落書きしてる次郎に話しかけたお鶴。次郎はお鶴を突き飛ばして泣かせた。お鶴は勘作、お浜夫婦の娘で次郎はこの夫婦に里子に出されていた。

 

次郎は士族の家に生まれたが、母親の乳の出が悪く、お浜に預けられていた。お浜が大事に育てたので次郎はすっかり懐いていて実家になじまない。しかし、小学校に上がるタイミングで実家に戻ることになった。お浜と次郎が実家に行き、次郎が兄の恭一と遊んでいる間にお浜と次郎の母・お民が話し合い、次郎を置いて、お浜は帰った。

 

字幕

次郎…黄色

お民…水色

お浜…緑

 

恭一たちと祖母・おことのところへまんじゅうをもらいに行った次郎だが、おことからいただきますも言えない子は食べるなと言われ、食べなかった。おことが賀原夏子さん? この時代におばあさん役!?

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翌朝、次郎はおねしょして、お民に叱られた。お浜のところに帰ろうとするが、父の俊亮に見つかる。士族の家だけど俊亮はスーツで出勤だからサラリーマンかな? 時代は昭和初期くらいと思ったけど下村湖人明治17年生まれで自伝的小説だから明治時代か。

 

寝たきりの祖父・恭亮が家の中を見たいと言うので、布団ごと運んで見せた。広い家で使用人もたくさん。恭亮が起きたので?ご馳走を作った。お民の実家である正木家に持って行こうという話になった。次郎が自ら買って出て正木家に行くと、偶然、お浜がいた。

 

正木家の人は、せっかくお浜もいるんだから泊まるように言う。お浜は働いていた小学校が合併でなくなるため、炭鉱町へ行くと言う。

 

家に帰ると、お民からお浜に会っていたんだろうと問い詰められるが、次郎は黙っていた。正直に言うまで動かないと言ったお民が根負けして泣き出してしまう。俊亮が帰ってきても何も言わない次郎を散歩に連れ出した。俊亮は森の中で大きく手を振って歩くようにいい、大きな声で叫ぶように言う。おお〜い!と叫ぶ俊亮と次郎。

 

次郎が小学校に上がる前、祖父の恭亮が亡くなった。

 

初夏

次郎は勉強で5番より下がったことはないほど優秀だが、行儀が悪いと先生に注意された。

 

学校帰り、級友とケンカになる次郎。川でケンカしてびしょ濡れ。次郎と仲良しの竜一は青木医院の家の子で治療してもらう。

 

ある日、次郎が家に帰るとおこととお民が泣いていた。町へ出て酒屋なんてできない、ご先祖様に申し訳ない。何も知らずに死んだおじいさんが羨ましい。俊亮が借金の保証人になり、本田家は破産した。

 

次郎は竜一の姉の春子に会いに行き、酒屋の小僧だって平気だと話す。春子は池内淳子さん。

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次郎の家で家財道具の競売がその場で行われた。町で酒屋をやるにしても手狭になるから、お民の父・謙蔵が次郎を預かりたいと言ってきた。即答で僕行く!という次郎の言葉にお民は泣く。

 

正木家に引き取られた次郎。正木の家もでかいんだ。ある日、学校から帰ると、謙蔵とお見舞いに行くことになった。馬車に揺られて行ったのは、町の酒屋。お民が咳き込んでいた。町医者ではなく、かかりつけの青木医院に行っては?という謙蔵の提案で、次郎が青木医院まで馬車で行った。

 

青木医師は往診で不在、竜一も遊びに行って不在、慕っていた春子がひと月前に東京にお嫁に行ったと聞かされショック。そのまま、がらんとした実家を見に行った。

 

お民は実家の正木家で養生することになり、次郎は、お民の世話を任された。今ならヤングケアラーなんだろうが、この家にはいっぱい使用人いるからね。

 

ある時、おことが恭一、弟の俊三を連れて見舞いにきた。おことは影で病気がうつるから食べ物をもらっても食べるなと子供たちに注意し、泊まってくれるんだろ?と恭一たちに話しかけたお民に夏休みの宿題をやってないから帰ると答えた。正木の家に親子で世話になると世間体が悪いから次郎も連れ帰ると言ったものの次郎は残った。2人きりになると次郎は「お母さん」とお民にしがみついて泣いた。

 

いよいよお民が危ない状態で正木家には大勢の人が集まった。お浜も駆けつけ、お民は子供って本当にかわいいものだねと言い残し亡くなった。次郎はお民の布団に突っ伏して泣いた。

 

正木家で小学校を卒業した次郎は実家に戻った。中学生になったという次郎は足にゲートルを巻いている。でも幼いんだよねえ。俊亮はお芳という女性と再婚していた。木暮三千代さん。恭一も俊三も“お母さん”と呼んでいたが、次郎は“おばさん”としか呼べなかった。俊亮は無理して呼ぶことはないと言うが、おことはお母さんと呼べと厳しく言う。

 

お浜が次郎の家に来た。お浜の娘・お鶴を本田家に奉公させるためだった。お鶴ちゃんと呼ぶ恭一を跡取りなんだから女中をちゃん付けするなと厳しく言うおこと。長男至上主義者だね。

 

お浜を迎えに行った時、お浜とお鶴と歩いていたので、級友の室崎にからかわれ、ケンカになった次郎。朝倉先生は話し合おうと自宅ですき焼きを食べようと誘う。先生、すげーな。

 

次郎が家に帰るとお浜が黙って帰っていた。次郎はお芳を意地悪!と罵ると、お芳にビンタされた。次郎には怒らないお芳が初めて怒った瞬間だった。朝倉先生の家に行くので室崎が次郎の家の前で待っていた。先生の家に行くのでネギを持参している室崎。こんにゃくでも持っていけよと次郎に言うが、そのまま家を出た。話を聞いていたお芳は一升瓶の酒を次郎に渡すよう、恭一に託した。室崎、気が利くやつだな。

 

修学旅行的なものに行くことになった恭一と次郎。お小遣いは5円までと決まっていたが、恭一は3円。次郎は1円でいいだろうとおことが決めた。

 

男の子たちが歌っていたのは、この歌か? 吊り橋を歩いてた。

箱根八里

箱根八里

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恭一が次郎に制服に2円が紙に包まれて入っていたと話しかけてきた。次郎は、おことが入れたんだろうと言うが、朝倉先生に確かめてみろと言われて自分の制服を確認した。次郎の制服にも2円が入っていた。お芳が入れたんだと分かった次郎は恭一とお土産を買いに行った。

 

旅行から帰って来た次郎は「お母さん!」と大きな声で呼びかけていた。俊亮もお芳も喜び、次郎とお芳は抱き合った。(終)

 

作者の下村湖人は、もっと続きを書こうとしていたらしいが1955年70歳で亡くなり、「次郎物語」は未完。1955年の4月に亡くなり、10月に映画公開。

 

お民の父が酒屋の小僧になるという次郎に勉強と小僧は一緒にできない、勉強できる時にしなくちゃみたいなことを話していて、それができる人とできない人がいたんだよねえ。お鶴は次郎と同じ歳でも女中だもん。

 

その後のストーリーがあるとしたら、次郎とお鶴のストーリーとかあったのかなあ?