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【連続テレビ小説】あぐり (128)「夢ふたたび」

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

淳之介(山田純大)はたくさんの食べ物をお土産にあぐりの家へとやって来る。その翌日、今度は森潤(森本レオ)があぐり田中美里)を訪ねる。美容院を再開したチェリー山岡(名取裕子)からは、あぐりに美容師教習所の教師をやらないかという手紙が届き、その手紙を読んだ光代(星由里子)は、あぐりに東京へ行け、と言う。とめ(細川ふみえ)と富士夫(小西博之)も、ぶどう畑はもう大丈夫だから東京へ行ってくれ、と言い…。

淳之介があぐりのもとへたくさんのお土産を持って訪れた。1等2000円のくじが当たったと言い、尚久と南を温泉に招待し、汽車で知り合った変なおじさんに宿賃から何から全部おごらされたという話をした。文士の端くれであるおじさんのしりとりになってる詩の紹介もした。 

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ドラマとは少し時期が違いますが、実際、森潤のモデルになった辻潤吉行淳之介に書いてお金をせびった詩です。『港は暮れてルンペンの、のぼせ上ったたくらみは、藁でしばった乾がれい、犬に喰わせて酒を吞む』

 

淳之介は森の正体を知らず「フクロウさん」と呼んでいた。フクロウさん曰く「名前なんてお互いの存在を確認する手段でしかない。従って記号のようなものだ。だから今はお互いが呼びやすいものでいい。今は『フクロウ』と呼んでくれ」。

 

和子や理恵にもキャンデーやチョコレートをプレゼント。淳之介はとめの家の分もお土産を持ってきて渡しに行った。あぐり家のこういう気前の良さが好き。

 

淳之介がいなくなった後、光代とあぐりは本当にくじが当たったのか不審がる。「このごろ淳之介、似てきたわ。エイスケに」と光代は言った。

 

神社の境内で遊んでいた和子と理恵、太郎の兄弟たち。そこに髪ぼさぼさの男が通り過ぎた。

 

淳之介が出会ったフクロウさんがあぐりのもとに現れたのは、その翌日のことでした。

 

子供たちにとっては気になり過ぎる存在であとをつけた。山梨編はしばらくロケなのも開放感があっていいよね。最初と終盤くらいがロケなのかな。ま、「澪つくし」は銚子が舞台なので他の朝ドラよりロケは多めに感じたけど。

 

和子は思わず「おじさん? 道に迷ってるんですか?」と声をかけた。森は「いやいや本当はな世の中すべての者が道に迷っておる。迷っておらん者などどこにもいない。すべての真実はこの傘のうちにある!」と歩を進めた。

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この辺は、あぐりと森の出会いを再現したのかな?

 

森はあぐりの家に入って行き、帰ってきたあぐりと淳之介が泥棒が家に入ったと和子に聞き、身構えながら入ると、そこに光代と談笑する森がいた。

 

森は汽車の中で詩を書いたノートに「望月淳之介」と書かれていたことから、エイスケの忘れ形見だと気付いていた。「我が輩は君の産湯を沸かして大活躍したんだぞ」とそういや出産の場にいたんだっけ。

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あぐりが淳之介に汽車賃をたかったことを森に言うと、「いや、そうなんだよ。思い出せば、まずエイスケの父上、さらにエイスケ、その上、息子の淳之介と親子3代にわたってたかり続けた事になるんだな。いやいや感無量だ」 

 

昨日引用した部分の中略の部分

「 氏がはじめて僕の家へ現れたのは、その年のはじめの寒い日だった。夕方、玄関で母の名前を連呼する大声が聞こえたかとおもうと、次の瞬間には見知らぬ老人が茶の間の入り口に立っていた。掘り炬燵に入って本を読んでいた僕と視線が合うと、氏は、するすると炬燵に入りこんでしまったのである。」

森本レオさんでこの場面が目に浮かぶ。

 

森は世津子の知り合いの手引きで日本を脱出して、世津子と一緒に上海へ。「これがまたね、波乱万丈の物語であるが、それはまた別のお話だ」←この「それはまた別の話」というフレーズは1995年の三谷幸喜脚本のフジドラマ「王様のレストラン」でナレーションの森本レオさんが毎回締めに毎回言ってました。懐かしい。

このドラマは私がドラマ好きになったきっかけです。「王様のレストラン」も「あぐり」も90年代のドラマで「あぐり」再放送をきっかけに90年代ドラマを批判する人がツイッター上にいて悔しい。今のドラマの方が凝ってるというのを見かけると、整合性があり、登場人物に不快感がない…というドラマが高評価を得る現代のドラマが私に合わないことがよく分かりました。

 

昨日観た「櫂」も登場人物は不快な人もいたけど、話には引き込まれた。

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話がそれました。世津子とは上海で別れてそのまんま。森は「まあ大丈夫だ。世津ちゃんのことだ。今頃はアメリカはミシシッピの辺りできっと気楽にジャズでも聞いておるよ。バーボン片手にね」と明るく語る。

 

夜。森とあぐりは二人で語らう。その時の森の声音が森本レオのナレーションバージョンの声でやっぱりいい声だー!ってなる。

森「あれはまだ暑い日の夜だったな。寝苦しくしてたらね、フラッとエイスケがやって来てね」

あぐり「エイスケさんが?」

森「うん。エイスケいつもの調子で『やあ』って手を上げてね『何だ森さんこんな所にいたんですか』ってね…。フフッ、そう言ったら、またフッといなくなっちまったんだ。その次の朝だったよ。『エイスケが死んだ』という知らせをもらったのはね」

あぐりはそうやっていろんな所に顔を出してるし、今でも時々姿を現すと話す。

 

「エイスケ逝きて、なお、神出鬼没なり。エイスケ! そこらにおるんならちょっと顔出せ。久しぶりに一献酌み交わさん! 今出てきたらこの森潤が山海の珍味など並べてとことんおごってやるぞ!」と森は語りかけた。

 

そこに現れたのは淳之介で森に「明日、僕、東京に帰りますけどどうしますか?」と聞いた。森は帰るが、汽車賃はたかる気満々。あぐりは東京へ戻らないと聞いた森は「そうか。『それもまたよきかな』だね」とあぐりの考えを受け入れた。

 

淳之介と森が東京へ帰ってから数日後…

 

太郎があぐりに手紙を渡した。差出人は「東京都中野区天神町三十一番地 山岡櫻子」。チェリー山岡だった。

 

あぐりに東京から思いがけない便りが届きました。

 

あぐりさん、いかがお過ごしですか? 人づてにようやくあなたの居場所を聞き出し、こうしてお便りを書いてます。私は家族で埼玉に疎開をしていましたが、最近、銀座山岡美容院を再開いたしました。戦前のアメリカ生活で英語ができたことが今、役に立っています。ところであなたにお願いがあります。以前、私の仕事のパートナーだった沢田さんを覚えていますか? 彼が今度、戦争未亡人を対象とした美容師の教習所を作ることになったのです。もちろん私も協力しています。幸い生徒はたくさん集まったのですが、優秀な生徒がいません。どうですか? 東京へ戻ってやってみる気はありませんか? このお話はあなたにとってとても条件のいいお話だと思います。どうかよくお考えの上、お返事を下さい。お待ちしています。

望月あぐり様 チェリー山岡」

 

この手紙を光代も勝手に読んでいて、東京へ行きなさいと言ってくれた。とめや冨士夫にもその話は伝わり、もうぶどうの方が大丈夫だから東京へ行ってくれと言ってくれた。とめや冨士夫が光代の看病もし、元気になったら東京まで送ると言った。

 

あぐりはチェリーに返事を書いた。「チェリー先生 お手紙ありがとうございました。戦争が終わって、この混乱した世の中で先生ご自身もさぞご苦労なさったと思います。そんな時に私の事まで心配してくださる先生のご厚意に感謝の言葉もありません。ところでお誘い頂いた美容教習所の件ですが…」で今日は終わり。

 

戦争でたくさんの未亡人が生まれたんだよね。

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田圃の草取りでも何でも、昔は手でなさったんですからねえ。私は、岡山の市内で育ちましたから(そういうお百姓さんのご苦労については)わからなかったんですが、戦争中に山梨に疎開しましたの。そのとき、(実際にやってみて)お百姓さんのお仕事って、本当にたいへんだと思いました。でも、尊いと思いましたよ。」

 

やっと新たな東京編が始まるのかな?