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【連続テレビ小説】あぐり (60)「父の背中」

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

あぐり田中美里)がチェリー(名取裕子)の元で内弟子を始めて二年、岡山に残った淳之介と会えない日々も一年たっていた。真知子(吉野紗香)の詩が入選し、上機嫌のチェリー。さち(大森暁美)は、子供たちの変化はあぐりのおかげだ、とチェリーに言う。臨時休業の日、あぐりは世津子(草笛光子)の店に顔を出し、世津子の計らいで電話で淳之介の声を聞き、涙を流す。それを聞いたチェリーは、あぐりの通いでの修行を認める。

昭和2年(1927) 春

あぐりがチェリー山岡の美容院に内弟子として住み込みを始めてから2年の月日が流れました。時代は大正が終わり、明けて昭和2年の春。姑の光代は1年目の冬、勇造のお披露目で岡山へ帰ったまま、いまだに東京へは戻ってきません。息子の淳之介も岡山へ行ったきりであぐりは淳之介と会う事もできませんでした。

 

あぐりが弟子入りしたのは大正14年(1925)4月。

・光代が岡山に帰ったのが大正15年(1926)の正月。

・今が昭和2年(1927)春。内弟子になって2年。淳之介と会えなくなって1年ちょっと。

急に昭和に2年になってるからずいぶん経ってるように思うけど、昭和元年は12月25日から31日まで。

 

昭和2年というと、「おしん」だと竜三と魚屋を始めたあたり。

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澪つくし」だと大正から昭和になり、昭和2年の正月が大正天皇の喪に服して自粛ムードだった描写がありました。

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店の客を誉めまくるチェリーの様子にお客様も「随分ご機嫌じゃない」と時子に声をかけた。「青い鳥」の「青い鳥創作大賞」に真知子の「お星さま」が入賞したせいだった。

 

お星さま 山岡真知子

お星さまが光りだした。

ひとつ またひとつ

新聞記事には続きも書かれてたけど読めなかった。

 

チェリーは真知子の入選記事の切り抜きを美容室の応接室に飾った。従業員たちは1日1回見せられている。そのため、翌日、店は臨時休業になった。

 

山岡家ではあぐりが給仕をしてお祝い。真知子はすっかりあぐりに懐いている。あぐりが片付けをしようと部屋の外に出ようとするとドアを開けてくれたり優しくなった。さちもまた「あの子が来たからこの家に奇跡が起きた」と喜んでいた。いや~、ばあちゃんがもっと頑張ってくれりゃあ…と未だにちょっと思っている。

 

あぐりはひとりウェーブの練習。真知子自ら稽古台になると言ってくれた。縦ロール! 真知子はあぐりから淳之介と会ってない事を聞く。

 

翌日、花枝と辰子は映画に出かけ、あぐりは自宅に帰ったものの、エイスケもおらずもちろん淳之介もいないので暇を持て余し、カフェ・セ・ラ・ヴィへ出かけた。世津子も燐太郎も淳之介に会いたがっていることを知っていて、世津子が岡山に電話をかけてくれた。

淳之介「もしもしママですか?」淳之介の声を聞いて泣いてしまうあぐりであった。世津子はチェリーにあぐりが明るく振る舞っているけど、辛そうにしていたことを話した。

 

休み明け。店を開ける前にチェリーが従業員を集め、あぐりを通いにすると言ってきた。あぐりはまだ2年しか住み込み修業をしていないので驚いた。

チェリー「子供を持つ女性が働くっていうのは、それは大変な事です。みんなもこの仕事を続けていく以上、いつかあぐりさんと同じ立場になると思うの。だから同じ働く女として今のあぐりさんの気持ちを分かってあげてほしいの」。

 

あぐりは特別扱いはやめてほしいというが、「子供にとって母親といる事がどんなに大切か、それを私に教えてくれたのはあぐりさん…あなたでしょう。通いになって子育てをしながら修業を続けるのは今よりずっと大変かもしれない。でもあなたにとっても淳之介ちゃんにとっても、その方がず~っといいはずよ。違う?」

 

「さあどうですか、みんな?」の問いに真っ先に拍手してくれたのは雪さんだった。それから和代、みんな。

 

あぐりは山岡家を出た。武史もさちも笑顔で送ってくれた。真知子は淳之介に靴をプレゼントしてくれた。お高いんだろうなぁ~。ピンクのワンピースがかわいい真知子は「あぐりさんに会えてよかった」と言った。

 

あぐりの住み込み修業が終わりました。

 

次週予告

先輩の辰子です。あぐりさんったら私より先に通いになるなんて生意気だわ。(中略)次週「噂の断髪(ショートヘア)」

 

あぐりの髪型がまた変わる。今っぽいボブヘアになっていた。「はね駒」の二宮しづ(高橋ひとみさん)がおかっぱの新進美容師として登場。エイスケさん、来週は出るかな~。通いというけど、昼間はどうしたんだっけかな。光代が岡山に戻ったことを忘れてた。

  

そういえば昨日のエイスケと勇造が酒飲んでたけど、エイスケが誕生日が来てやっと20歳、勇造は当然それより下だった…(^-^; まあでもおおらかな時代だったんです。お正月で無礼講だったんだよ。

 

1997年くらいだと喫煙シーンも未成年飲酒もその時代だからと普通に描写できてたんだね。11年前の「ゲゲゲの女房」では既に喫煙シーンはなくなったし、昭和30年代に上京してきた布美枝が車に乗ってシートベルトしてた。どこが境目だったんだろう?

 

それと、昨日の回のエイスケが勇造に向かって「半纏は俺の方が似合う」というエイスケの言葉をデリカシーないと書いてた人がいてびっくりした。エイスケや勇造の表情からしてエイスケなりのエールだと思ったんだけどな。

この文章の中にある『「嫌い」と言ってるけど本当は好き、が通じない』ってまさしく、昨日のこのシーンもそうじゃないかな。

 

この間の舞台劇みたいだった日も世津子が今、健太郎と光代を会わせたらケンカになる、傷ついて欲しくないからという優しさからの行動なのに、それ以前の「あぐりに言うなよ」もふざけてるとか騙してるとかそういう感想になってしまうのはなんだか悲しい。

 

以前、ツイッターで年間何百本と映画を観ていると自称している人の映画の感想がどれも的外れだったみたいなつぶやきを見て、私もそうなのかも…とも思います。昨日の「弟よ!」のよさが全く分からなかったりとか。それでもなるべくたくさんの(昔の)映画やドラマを見たいです。