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【連続テレビ小説】あぐり (127)「夢ふたたび」

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

終戦から1年、あぐり田中美里)はとめ(細川ふみえ)のぶどう農園を手伝いながら、肝臓を患う光代(星由里子)を看病するため山梨にいた。山梨の生活に満足しているとは言うが、チェリー山岡の新聞記事を見て、東京のことを考えていると、とめに見透かされる。淳之介(山田純大)は1等賞品2000円のスピードくじが当たり、尚久(関口知宏)と南(池内万作)と塩山温泉に向かう汽車の中で、文士の端くれだという男と出会う。

昭和21年(1946)8月

終戦から1年が経とうとしていました。あぐり一家は疎開先の山梨にとどまり、とめの実家のぶどう畑を手伝っていました。とめはあれから幼なじみの冨士夫を婿に迎え、いきなり3人の子の母親になっていました。いや、まもなく4人の母親です。

 

とめはあぐりと同じ歳か、もっと上かもしれないのにすごいなあ。昔は40過ぎても出産する人もいたけど、それは何人も生んでの40代だから。初産でアラフォーは単純にすごい。ぶどう畑の他にとめの母の介護もあるよね?

 

今ではぶどう畑で欠かすことができない存在となったあぐりはすっかり田舎の暮らしに慣れていました。そんなあぐりに一つだけとても気がかりな事があったのです。

 

布団で寝ている光代に和子たちがとってきた桑の実?を食べさせるあぐり

 

姑の光代はこの春に肝臓を悪くして甲府市内の病院に入院していましたが、最近は容体もよく退院してきたばかりでした。しかし、暑さのせいもあるのかここのところ一日中横になることが多かったのです。

一方、東京の淳之介は市ヶ谷の焼け跡に尚久と南の協力で小さな住まいを建てていたのでした。

 

尚久は工務店の営業で木材をタダ同然で入手してくれた。戦時中から働いていたのは勤労動員かと思ってたけど大学中退したのかな? それとも卒業? 淳之介は最近、家庭教師もクビになり、ついてないと話す。

 

南は同じ弁護士事務所の田中陽子という女性を尚久や淳之介に紹介した。

淳之介「へえ~…南もやるもんだな」

尚久「ったくわざとらしい野郎だぜ」

淳之介「何が?」

尚久「わざわざ見せびらかしに来やがる。こんなとこで待ち合わせるかよ、普通」

淳之介「まっ、そうだな」

尚久「もてない奴に限ってたまに女ができるとああいうことするんだよ」

諒子とは終戦前に別れたきり。尚久が聞いた噂によるとジャズバンドに入って進駐軍のキャンプ回りをしているらしい。もう終わったことだと興味なさげな淳之介。

 

あぐりととめが庭で作業をしていると広げた新聞紙にチェリー山岡の記事が出ていた。

 

マックアーサー元帥夫人

和製パーマネントにご満悦

      チェリー山岡女史の手で

 

あぐり「先生…もう始めたのね、美容院」

昔の店を思い出すあぐり

とめ「私、この頃思うんですよ。畑で働いてる先生は楽しそうだけど、やっぱり美容院にいる先生とは違います。お客さまと接している時の先生…もっと輝いてました」

あぐりは東京は物が足りなくて満足な美容院ができないことや、光代が病気のうちは東京で仕事をするのは無理だと言った。

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チェリー山岡のモデルの山野千枝子さんが実際にマッカーサー夫人にパーマネントをしたのかと調べたけど、よく分からなかった。しかし、山野千枝子さんの書かれた「光を求めて : 私の美容三十五年史」という本の目次に気になるものがいくつもあった。

 

この本の目次を読むと、山野末松という人とお見合い結婚して渡米、ニューヨークで長女・鞠子出産。後に”鞠子の死”という項目があって、驚いた。あとの項目に”マッカーサー夫人からの贈り物”とあるので、マッカーサー夫人と関わりはあったんだろう。

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山野千枝子美容研究所が1934年7月に出版した本です。著者:山野鞠子(1915~1933)とあります。ドラマに出てきた真知子ちゃんが早くに亡くなられたんだなと思うと複雑。

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1933(昭和8)年というとあぐりもエイスケも仕事が順調だった時。

 

淳之介と尚久は10円で購入し、その場で当選が分かる三角くじを購入。半ば無理やり尚久につき合って買った淳之介は一等の2000円が当たった。

 

1等賞金2000円といえば、当時のサラリーマンの給料3か月分の大金でした。

 

当選番号の書かれたフォントが妙に現代的だったな…そこは手書きでいいんじゃないの?

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昭和20年 第一回宝籤 1枚10円 1等10万円!

ここに書いてある、昭和21年9月の三角籤というのが今日買ったもので、雑くじと言われたものの一つかな。

 

淳之介たちは塩山温泉に向かう列車に乗っていた。

淳之介は通路に落ちた財布が気になっていた。ネコババしようとする尚久をツッコむ二人。そこに登場したのは髪は伸び、汚い格好をした森潤だった。久しぶり~。 

 

森に「切符を拝見」と話しかけた車掌に正義感の強い南は「どうしてこの人だけ検札するんですか? あなた、客を外見で判断してませんか? この人だけ検札するってことは明らかに偏見を持ってるからじゃないんですか?」と詰め寄った。しかし、やはり森は切符を持っておらず、結局、淳之介が切符代を支払った。

 

文士の端くれだったという森は淳之介に詩を贈った。

「港は暮れて ルンペンの

のぼせ上った 企みは

藁でしばった 乾がれい

犬に食わせて 酒を飲む」

森は「実にどうもアバンギャルティックなすてきな詩だね!」と自画自賛。一節ごとにしりとりになってる事を説明すると、淳之介だけは感心する。甲府まで行くと言っていた森が、3人の目的地が塩山温泉と知るとさっさと目的地を替えた。

 

光代を医者に診せたあぐり。光代の状態はかなり悪くなっていた。

 

戦争は終わったんだな。また「あぐり」の世界が戻ってきた感じ。まあ、現実には光代さんも森さんも終戦前に亡くなってるわけですが。

 

吉行淳之介さんの本に森潤のモデルとなった辻潤との交流が書かれてありました。

「 辻氏と僕とがかかわりを持ったのは、ごく僅かの期間だが、僕にとってずいぶん印象的な出来事だった。昭和十八年、僕は静岡高校の二年生だったが、学校が面白くないので仮病をつかって休学し、東京の家でぶらぶらしていたときのことである。(中略)

 あるとき氏は自筆の書を持ってきた。自作の詩を自分で書いたもので、見事な筆蹟だ。その詩の文句を、僕は不思議に今でも覚えているが、それは『港は暮れてルンペンの、のぼせ上ったたくらみは、藁でしばった乾がれい、犬に喰わせて酒を吞む』というのである。その書を僕に買え、というわけだ。僕はあまりしばしばのことなので少々うんざりして、わざと五十銭白銅を一枚だけ黙って差し出した。氏に動揺の気配があったが、そのまま黙ってその書を置いて帰った。まもなく玄関で訪れる声がする。出てみると氏で、『さっきのは、あまり安すぎる。もう少しよこせ』と掌を差出すのだ。僕は、このとき氏にたいして複雑な親愛感を持った。」

今日の詩は本当の辻潤作だったんですね。しかし、空襲で焼けてしまった。

peachredrum.hateblo.jp

実際はこの辺で辻潤と交流があったんだね。