22年前の #松たか子 さん主演作を再放送!
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) May 19, 2021
『櫂(かい)』全3話一挙放送
<5月22日(土) 午後7:30~ BSプレミアム/BS4K>
大正から昭和の高知。意地と忍苦と愛憎に生きた女性の半生を描く
▼ #麻生久美子 さん
『櫂』動画&インタビューhttps://t.co/Aovjah0KPM
詳細 https://t.co/NrrZEW3aT2 #櫂 pic.twitter.com/JMpil7Vt53
あらすじ
(1)「奔馬(ほんば)」
16歳の小笠原喜和(松たか子)は宮相撲で10人抜きした岩伍(仲村トオル)に運命を感じ、知り合いの大貞(加賀まりこ)に頼んで、嫁にしてもらえるよう口を聞いてもらう。結婚しても満州へ行ったり、落ち着かない岩伍だったが、二人の間には子も出来、岩伍が連れて帰ったみなしごの菊の面倒を見ながら、貧乏暮らし。そんな時、貧乏人を救うためにと、岩伍は紹介業を始める、と言い出す。店が繁盛しだすと、岩伍と喜和の仲は…。
(2)「修羅」
岩伍(仲村トオル)と女義太夫の巴吉(藤谷美紀)の仲は喜和(松たか子)の知るところとなり、確かめに行った喜和は、逆に巴吉に見られたことを岩伍からとがめられる。家を出た喜和を大貞(加賀まりこ)が迎えに来るが、別れさせるためには、巴吉のおなかの子は喜和が引き取ること、と言われ動揺する。そんな折、息子の龍太郎が吐血して倒れ、岩伍は巴吉と別れる決意をする。富田屋に連れてこられた巴吉の子は綾子と名付けられ…。
(3)「自立」
喜和(松たか子)は倒れ、緊急手術を受けるが、一命を取り留める。綾子(井上真央)は学校で、母親は芸人だと言われたと、喜和に打ち明ける。喜和は相談に行った学校で、佐藤(寺田路恵)から、これからの女性の自立には学問が大切だと言われ、女性の自立した生き方について考えるが、岩伍(仲村トオル)は、自分の仕事を見下していると、喜和の考え方が気に入らない。岩伍は綾子に一緒に住もうと言うが、綾子は喜和を選び…。
番組表を見ていて偶然見かけたドラマ。リアルタイムでは見た事なかった。朝ドラで大正から昭和初期って定番の時代だから見てしまう。ナレーションは奈良岡朋子さん。前も「けものみち」まとめ放送とかこういうドラマはどんどん再放送してほしい。
小笠原喜和(きわ) 16歳。富田岩伍という荒くれ者と出会い胸キュン。宮相撲で10人抜きしたというので、乗り気でなかった相撲を見に行った。
女性の体は三度変わる。首のない馬が見えて、二度目に首なし馬に出会い、馬の首に出会った。馬の首〜!?
加賀まりこさんが大貞楼の女将の大貞。長門裕之さんが南海随一の料亭・陽暉楼の佐和島真太郎。岩伍に一目惚れした喜和は思い余って大貞に相談しに行った。やめとけよ〜、そんなの〜って感じの博打うち。
大貞が喜和を連れて話をしにいく。しかし、堅気の娘が来るところではないと追い返されてしまった。一度帰ろうとしたが、やっぱり馬の首だと岩伍に言う。
博打の負けがこんだ流れ者に喜和の目の前で刺された岩伍。医師に頼まれて氷と酒を買いに行った喜和は、岩伍の枕元で親しそうに話す大貞の姿を見た。
大貞は帰り、医師から岩伍の生い立ちを聞く。大きな床屋で生まれたが、岩伍7歳で商売がダメになり、母は男を作って出て行った。父は亡くなり、親類縁者を転々として育った。
岩伍が佐和島に呼び出され、陽暉楼を手伝って欲しいと言われた。大貞はそろそろ落ち着いたほうがいい、それなら青竹に着物を着せたようにまっすぐなあの子がいいと喜和を勧められた。
その年の暮れ、初めて出会った神社で祝言を挙げた。造り酒屋の倉庫の近くの小屋が新居になった。母親を嫌っていた岩伍だったが、母親の裁縫箱だけは持っていて、これを使ってくれと喜和に差し出した。
渡世人の暮らしは思ったより大変。博奕のかたに少ない家具を持ち出して行く岩伍。しかし、喜和はそんな暮らしが楽しくて仕方なかった。そうなの〜?
大正7年(1918年)8月
大陸から帰ってきた岩伍から大金を渡された喜和はご馳走を作った。岩伍は喜和のためにリリアンを買ってくれた。喜和から妊娠したと聞き、岩伍は大喜び。
息子の龍太郎は2歳。岩伍が仕事で行っていた満州から帰る日、女の子を薬屋に売り飛ばそうとしている男から10円で買い、連れ帰った。何も話さない女の子に菊という名前をつけた。食事も手掴みでするような子を躾けて奉公に出すと言う。岩伍が言って、やるのは喜和。
真太郎に挨拶に行った岩伍。芸妓娼妓紹介業をするという。自ら貧乏から抜け出すため、人助けのため。菊もいずれそのつもりで拾った。
大正10年(1921年)1月
紹介業を始めるため、緑町に引っ越し。今までに比べて大きな家。亀造という手癖の悪い男と米(ヨネ)という心中し損ねた女郎も一緒に働くことになった。米は「あぐり」の大徳寺さん! もう一人、良吉というかつて岩伍を刺した男も同僚になった。
来年には税金を払えるようになる、3円納めれば参政権を得ることができると佐和島は岩伍を励ます。大貞は喜和を呼び出して心構えを話す。岩伍のことは旦さん、あるいは大将と呼ぶ。
喜和は亀造と挨拶回りをする。川の長屋へ行くというと亀造は露骨に嫌がった。ここに来ると3年前のスペイン風邪にかかるというほど衛生状態が悪かった。一軒の家に行くと、人買いかと罵倒されたが、その家の豊美という女の子が女郎として働きたいと言ってきた。
お巻という母親は岩伍と喜和に「よろしゅうに頼みます」と頭を下げた。豊美には弟2人、妹もいて、お巻から何かあったらよろしくお願いしますとまた頭を下げられた。豊美は負けん気の強さを見せ、母さんには二度と会えないと思うと言った。岩伍に頼まれて、喜和が米を届けに行くとお巻は首を吊っていた。
長屋で葬儀を済ませると、喜和は佐藤と伊原という女性たちに声をかけられた。廃娼問題に取り組む高知矯風会の女性たちで女の人が男の犠牲にならない時代を目指して頑張っている、その集まりに来ないかと誘われた。
豊美が初仕事となり、富田屋が繁盛するようになった。自分から娼妓になりたいと言い出すものもあれば、岩伍たちが農村に器量のいい子を探しに行くこともあった。
ある日、喜和の弟の昭彦が一緒に暮らすことになった。昭彦をいい学校に入れたいと岩伍が呼んだのだった。
人助けや親孝行ためというが、本当にそうかと喜和は問う。女が生意気言うなと岩伍に殴られた。結婚前、野の花のような喜和がいいと言っていたが、本当は大輪の百合の花が好きだと本音を漏らした。
3年後、岩伍は緑町の町会長も務めるほどになった。豊美は麻生久美子さんになった! 今は染勇という名前になった。染勇が言うには、岩伍が夢中になっている女性がいて、巴吉(ともきち)という女義太夫だった。巴吉大夫のために家まで借りてると聞き、巴吉を見に行った喜和。ここまで1話。
大正13年(1924年)。関東大震災の翌年、東京の復興は早かったが、農村の不況は深刻だった。労働運動や農民運動が盛んになった。
岩伍と大貞が巴吉の義太夫を聞きに行っていた。佐和島に呼ばれ、岩伍は佐和島から板倉製糸の社長を紹介された。
喜和は髪結に行くと、隣の客らが岩伍の噂話をし出した。喜和に気づくと、震災後に流行ったという「復興節」の話に変えた。
巴吉にベタ惚れの岩伍は佐和島と飲み明かすと良吉に伝えさせた。
喜和は大貞に巴吉大夫の話を聞きに行った。男はみんなそんなものだと言うが、巴吉は今までとは違うようだと大貞も思っていたが、知らん顔するように言った。
芸妓の牛和歌は東京の学生といい仲になり、喜和の弟の昭彦も芸子に入れ上げていた。岩伍は喜和が巴吉の顔を見にきたことを知って、女の悋気はみっともないと罵った。喜和は息子の龍太郎を連れて実家に帰った。女は耐えるものだと母に言われるが、10日経って迎えにきたのは大貞だった。
女の一人や二人は男の甲斐性だと笑い、巴吉と別れさせるから巴吉の子供を育てろと言ってきた。その話をしているうちに龍太郎が血を吐いて倒れた。龍太郎は結核だった。岩伍はお前のせいだと当たり散らす。
帰りに喜和は高知矯風会にビラを渡された。大貞は岩伍に話をして巴吉と別れさせた。条件は巴吉の子供を引き取ること。大貞にも子供がいて、龍太郎くらいの時に亡くしたことを喜和に告白した。
龍太郎の容体が悪くなり、岩伍が駆けつけたが、まもなく息を引き取った。
大正14年(1925年)春
巴吉が産み月を迎えた。岩伍も喜和も眠れずに起きていた。大貞が産まれたばかりの赤ちゃんを連れてきた。産まれたのは女の子。大貞は岩伍に巴吉には会わないよう念を押した。
佐和島が名付け親となり、綾子と名付けた。5月には普通選挙法が施行されると話題になっていた。貧乏人でも投票できるが、そのために治安維持法ができて、徹底的に赤狩りをするという話になった。
巴吉が子供に一目会いたいと家の前まで来ていた。逆の立場だったらと考える喜和。ある時、乳母の安江が授乳したまま眠ってしまい、綾子を下敷きにしていた。泣き声がしないことを不審に思った喜和が見つけ、これからは一緒に寝ると言い、そこから家の中のギクシャクした空気がなくなり、みんなが大っぴらに綾子を可愛がるようになった。
昭和4年(1929年)
綾子をおんぶした喜和が牛和歌といい仲の立花という学生と高知矯風会で見た。大貞や岩伍にもその情報が伝わり、喜和も矯風会に出入りしていることが岩伍に知られた。
牛和歌が足抜けした。自由廃業させまいと警察に書類が受理される前に牛和歌を探す。あー、立花は「おしん」の浩太みたいな運動家?
岩伍が必死に探す中、喜和は牛和歌の逃亡を手伝っていた。しかし、喜和は後をつけられていて岩伍が乗り込んできた。喜和が手伝ったことを大貞や仕事仲間に話すと言うと、岩伍は喜和を連れて逃亡を手伝った。牛和歌の逃亡は成功。これが巴吉の仕返しか?と岩伍に責められた。「お母ちゃんをいじめたらいかん」と綾子が喧嘩に割って入った。岩伍が一番辛いこととは綾子が喜和の側につくこと。「お父ちゃん嫌いや」という綾子に何も言えなくなった。
昭和5年(1930年)は大豊作。しかし、それが米の暴落を招き、翌年はまた不作で農村の娘の身売りが続いた。
数年後、綾子10歳になった3月。綾子は井上真央さん! 喜和が倒れた。ここまで2話。
喜和は赤子の頭ほどの子宮筋腫が壊死していた。手術は3時間。喜和はなかなか目覚めず、夢で龍太郎に手招きされてそちらに行こうとしたが、綾子の声で引き戻された。
岩伍は初心を思い出し、優しくなったのでもう一度やり直すことになった。昭彦はそのまま芸子の小蝶と所帯を持ち、岩伍の出張所を任された。
富田屋はますます忙しく、岩伍は人に頼りにされるようになった。佐和島臨終のとき、佐和島から大学出の息子を頼まれた。岩伍と喜和はますますすれ違うようになった。
新しい事務所の照という女性が帳簿を担当することになった。照は千堂あきほさん。照が新しい女だと薄々気付く。
綾子が同級生の男の子に芸子の子だとからかわれたと喜和に話した。学校で担任の女教師に事情を話した。その学校には偶然、高知矯風会の佐藤も教師をしていた。女性に学問は大切だと言った。
喜和は子宮筋腫の影響か抜け毛に悩んでいた。病院で医師から公娼制度廃止が決議されるかもと騒ぎになっていたことを知らされた。私娼が増えても警察が困る、公娼制度廃止案が可決されても実際に実現されてない。看板を裏返して料理屋にするとか娼妓を酌婦にするとか抜け道はいくらでもあると岩伍は大貞たちを宥めた。可決されるも実現されず。
昭和11年(1936年)2月
岩伍と照の仲がいよいよ喜和にも知られるようになった。喜和は昭彦に話を聞きに行った。照は元芸者で男の子がいる。芸子だったので、よく気がつく。
綾子が小学5年生になるとき、照のいる浦戸町の事務所から学校に通わせると岩伍が言った。綾子を手元に置きたい喜和は反対するが聞く耳を持たない。翌日の学校帰り、綾子は事務所に遊びに行った。照はハーモニカを買ってくれた。夜、綾子は岩伍に陽暉楼に連れて行かれた。喜和が紹介業を見下しているため、染勇に案内させ、岩伍を褒めた。しかし、綾子は自らの意思で戻ってきた。
染勇が板倉製糸の社長に身請けされる。本当は染勇は子供の頃から岩伍を好きだった。岩伍は染勇の気持ちを利用して、岩倉社長の建てる忠魂碑に名前を刻ませた。
喜和が帰ると、昭彦が来ていた。浦戸町の事務所を本宅とし、今の緑町の家は昭彦一家が住み、支店となる。喜和は弟の扶養家族となる。一方的に文書を読み上げられ、納得がいかず、岩伍に会いに行くが、そのまま戻った。
忠魂碑を建て、板倉社長と名前を連ねることにはしゃぐ岩伍に大貞は貧乏人のためというのは嘘だったのかと身寄りのない芸子の骨壷を抱いて泣いた。
亀造と米は暇を出され、菊は浦戸町の本宅に行った。昭彦は今度満州に連れて行く女性たちと緑町の家に来た。喜和は2階の部屋に移動。
板倉社長からの電話で妻と別居しているか聞かれた。集まりで妻同伴の機会もあり、女たちの話題になってしまうという忠告だった。
1936年 ベルリンオリンピックの前畑ガンバレが自分への応援のように聴こえた喜和。高知矯風会の佐藤は無料でミシンを教えていた。喜和はちょっと顔を出して帰った。
岩伍が看板を取りに来た。綾子と浦戸町で暮らさないかと提案してきた。照には支店を出すと言った。体裁のためだと見抜いた喜和が責めると、岩伍が喜和を殴った。「お母ちゃんをいじめるな!」と綾子が小刀で岩伍を切りつけた。綾子の行動に驚く岩伍と喜和。
先生に呼び出されて学校に行くと、綾子が女学校には行かないと言い出していて、成績も下がっていると言われた。綾子に話を聞くと、県立女学校はお父さんがいない子は難しいと言われたことも要因だった。
岩伍と二人きりで話し合い、岩伍に綾子を返すという決断をした喜和。どうして欲しい?という岩伍に長いことかかって櫂の漕ぎ方が分かったと返した。綾子に真実を話した喜和。しかし、綾子はとっくの昔に知ってる! それでもお母さんだと思ってる!と泣く。
別れの日、綾子に手紙を渡して車から降りた喜和。自分の舟を自分の櫂で漕いでみたい。男の人の力を借りないで生きていたい。喜和はミシンを習い始めた。(終)
これは朝ドラには…ならないね。エイスケさんなんて、岩伍に比べたらなんてスマートで素敵な男性なのかしら。そもそも岩伍みたいな男に運命感じる喜和もなあ〜(-。-;
1話が1時間半なので毎日1話ずつ見ようと思ったのに引き込まれて一気に見てしまった。でも、昔から「花より男子」の道明寺みたいなのが大嫌いだから、荒くれヤクザな岩伍にひかれるのがまず分からん。ドラマが制作されたのも「あぐり」と近いけど、作風は全然違う。喜和は一度も洋服を着なかったけど、松たか子さんは着物の所作が美しい。
離縁して照を後妻に迎えたのかな? 岩伍は寂しがり過ぎじゃない?