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【ネタバレ】終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはいかんのです」

2021.8.13 NHK

 

あらすじ

1945年5月。西部帝国大学医学部の助教授・鳥居太一(妻夫木 聡)は、教授の指示で米兵捕虜の手術を手伝うが、それは治療のためではなく実験手術であった。

教授に手術の中止を進言するが却下され、4回にわたる手術により8名の捕虜が死亡。戦後、この実験が明るみに出て、太一は占領軍に逮捕され裁判を受ける。戦犯として死刑判決を受けた太一は、凶行を止められなかった自分と向き合うことになる。

一方、妻・房子(蒼井 優)は、裁判の中でゆがめられた真実を明らかにし、事件の首謀者にされた夫を死刑から救おうと奔走する。 房子の必死の思いと、それぞれの罪を背負った死刑囚たちとの出会いによって、太一は目を背けていた本当の罪に気づいていく・・・

去年の夏に録画していた終戦ドラマを今頃見た。9月に拡大版もあったのか。録画してたのは地上波放送の通常版。

 

鳥居は石田教授(鶴見辰吾)の指示で米兵捕虜の実験手術を行う。家に帰り、妻にやりたくなかったと漏らすが、戦後、鳥居は石田たちとともに逮捕された。石田は「一切は軍の命令なり、責任は余にあり」と書き残し自殺。

 

昭和23(1948)年8月27日 鳥居太一は絞首刑という判決が下された。

妻夫木さんと蒼井優さんはやたら共演してるイメージがあるな。

 

鳥居の妻・房子はラジオニュースで鳥居が絞首刑になったことを知る。鳥居は助教授だが首謀者の”教授”とされていた。子供とともに福岡にいた房子は鳥居に面会に行く。

 

当時、鳥居は石田に手術の中止を訴えるが、石田はどうせ殺される捕虜なら日本の医療のために役に立てようと鳥居に手術を命じる。

 

鳥居と同室なのは冬木克太(永山絢斗)。この人は軍人。ある日、同じ死刑囚であり、元陸軍中将の岡島孝輔(中原丈雄)も訪ねてきた。

 

ある日の食事に刺身が出た。木曜日の夜、誰かの刑が執行される。

 

昭和23(1948)年10月 房子、上京。戦犯裁判の弁護側通訳の三浦清子(若村麻由美)に会い、鳥居がアメリカ人弁護士から首謀者にされたことを訴える。

 

ある日、岡島と話した鳥居。岡島は司令官として、自分が関わってもいない部下の罪をかぶっているという。なにもしなかった罪というのもあるんじゃないだろうかと岡島は言う。自分を顧みる鳥居。

 

房子と面会した鳥居。教職免許を持っていた房子は理科の先生という職も見つかった。蒼井さんは福岡出身だっけって、妻夫木さんもだ。だからこそのキャスティングなのかな。

 

房子は死刑判決を覆そうと石田と話していた志村という医者に会いに行くが志村は証言を断る。子供たちは近所の子供たちかから「お前の父ちゃん人殺し」と石を投げられていた。

 

冬木と家族の話をしていた鳥居。冬木は進藤大佐(山西惇)の命令で捕虜を4人斬首した。死刑になるのは仕方ない、アメリカ人にも家族がいたのだと気付く。冬木は福岡空襲で母を亡くし、敵討ちのつもりで志願した。福岡空襲は「マー姉ちゃん」にも出てきた。

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鳥居は家族に遺書を書き始める。

 

房子のもとに鳥居の父・一郎(辻萬長)が会いに来た。一郎はすっかり鳥居のことは諦めていた。そこに至急上京されたしという三浦からの電報を受け取り、房子は再び上京。サマーズ弁護士は自殺した石田教授にすべての責任をかぶせて他の医師たち全員の罪を軽くするような戦略を立てた。

 

そのせいで一人で中止を求めた鳥居の証言はなかったことにされ、助教授だったこともあり、鳥居の罪が重くなった。鳥居が真実を書いた嘆願書を書けば、真実に基づいた裁きが受けられると鳥居に言いに行く房子。

 

しかし、鳥居は止められなかった、なにもせんやったと房子に言う。生きたまま実験のために殺したのだと泣きながら話す。房子は残された家族のことを考えるように言う。

 

岡島は「来なさんなや」という言葉を鳥居と冬木に残して、刑に処された。その後、進藤が鳥居に嘆願書の書き方を聞きに来る。鳥居は進藤が大学に捕虜を連れてきたことを忘れないという。戦争だったから仕方ないという進藤。

 

ある日、房子が子供たちを連れて面会に来た。面会の終わりに「お父ちゃん、行かんで」という娘の切実な叫びに昭和24年9月に嘆願書を書き始める鳥居。

 

昭和25年 朝鮮戦争勃発。

 

嘆願書を書いた冬木は減刑され、出て行った。

 

昭和25年10月2日 巣鴨プリズンに呼び出された5人。進藤は終身刑、鳥居は重労働10年とそれぞれ減刑された。死刑囚ではなくなった鳥居。

 

昭和29(1954)年1月12日 出所した鳥居を迎えたのは房子。

 

その後、小さな鳥居医院を開いた。記者が取材に来て、応じる年老いた鳥居と房子。特殊メイクしないで別の人にやらせてもよかった気もする。少し興ざめ。その時代なら仕方なかったのではという記者の言葉にタイトルの「しかたなかったと言うてはいかんのです」と返す鳥居。(終)

 

今の時代に作られる戦争ドラマは悲惨さばかりを強調するから、「マー姉ちゃん」みたいに本当に戦争を知った世代が作ったドラマで笑いが含まれていたりすると”悲壮感がない”とか言っちゃうんだよな。新しく終戦ドラマを作るより、戦争を知った世代の作った昔の作品の再放送でもいいと思うんだけどなあ。

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こういうのとか。