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【連続テレビ小説】純ちゃんの応援歌 (38)

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

雄太(高岡俊広)の養子縁組みの返事が伊那谷の雄太の親戚から届いて、陽一郎(川津祐介)があいさつに行くことになった。陽一郎とは和歌山で別れ、純子(山口智子)と恭子(松本友里)はのど自慢の予選で大阪に。予選は一部ラジオ放送され、あき(伊藤榮子)たち残った家族は出てくるかわからない恭子を待ちながらラジオを聞く。純子は、泊めてもらった寺内ぬひ(西岡慶子)と小平次(曽我廼家文童)の夫婦げんかに巻き込まれ…。

昭和23年の2月に入り、間もなく純子の家に信州・伊那谷から一通の手紙が届きました。

 

雄太の養子の件は「まことに心苦しいことではあるけど、そちらのご厚意に甘えたい。本人もその方が幸せだろう」と書かれてあった。陽一郎は手紙だけじゃなく一遍信州に行った方がいいと考えていた。

 

清原の話によれば、裁判所の審判に1~2か月はかかるだろうと言われいてた。雄太の親類は何の異存もないのであとは形式的な手続きだけ。

 

興園寺家。仕事が決まった陽一郎が2月に大阪に行くことになり、純子は2人の卒業式が終わってから大阪に行くが純子の後任がなかなか決まらず、つやが困っていた。

 

太夫は仕事に精を出すようになり、大阪に支店を出す事になったら僕に任せてと言っている。なんとなく複雑な表情の清彦!? これから純子が大阪に行き、正太夫も大阪に支店を出す(予想)。「澪つくし」の弥太郎パターンでヒロインの近くをウロチョロするキャラになるのかな。

 

ラジオで流れる「港が見える丘」を聴きながら歌う恭子。あきはステージ用の晴れ着を作って恭子にあてた。純子は恭子について大阪ののど自慢の予選に行くことになっていて、陽一郎もその日、信州に行くので、和歌山まで一緒に行くことになった。

 

いつ、小野雄太になるのかと昭が聞くと、1か月か2か月先だと答える陽一郎。

雄太「中学に入る時はどっち? 林雄太? 小野雄太?」

陽一郎「入学式には間に合わんかもしれんけど、先生に事情を話して小野雄太でええんと違うかな」

雄太「途中で名前変わるのは嫌やなあ」←ちょっと関西弁になってる!?

 

恭子は衣装に着替えてみんなに見せた。予選の様子もラジオで流れる。

 

かくて純子と恭子は信州へ行く父・陽一郎と和歌山で別れて大阪へやって来たのであります。

 

大阪・阿倍野

 

そしてここは寺内ぬひの家。ぬひは以前、純子の一家が大阪にいた頃、お手伝いとして小野家で働いていた女性であります。今は結婚して大阪恵比寿座で歌舞伎の裏方をしている小平治という人とここ大阪・阿倍野に住んでいるのでありますが…。

 

ぬひ「あら、嬢(とう)さん」

ぬひさんはTHE関西のおばちゃんみたいな感じのチャキチャキした人。明日純子と一緒に応援に行くというぬひ。純子からのお土産は美山村の椎茸。

 

そしてのど自慢の予選の当日であります。

 

恭子は先に一人で出かけた。純子はぬひが帰ってきたら一緒に見に行く。

 

あきは家のラジオをつけた。のど自慢は12時30分から。雄太がみんな聞きたいから連れてくると呼びに行った。

 

純子がぬひを待っていると、ぬひと小平治が夫婦喧嘩を始めた。

 

小野家では子供たちがたくさん集まってラジオに耳を傾けた。

28番「雨のオランダ坂

♪こぬか雨ふる 港の町の

 

雄太「お姉ちゃん、出るのかな?」

 

29番「湖畔の宿」

 

このタイミングで正太夫がバスで帰ってきたので、なかなか恭子の順番が来ず、飽きてきた子供たちは外に飛び出していった。家に残ったのは、あきと小百合だけ。

 

太夫のバスに子供たちがたくさん乗っている。たしか初登場の時に8人乗りとか言ってた気がするけど、それどころじゃない。

 

純子は出かけるどころじゃなく、夫婦喧嘩を止めに入り、ラジオの前から離れた。その時ラジオから恭子の声が流れた。

 

32番「港が見える丘」

 

太夫は子供たちを車に乗せながら、何でこんなに子供たちが集まっているのか尋ねた。雄太や昭が恭子姉ちゃんがのど自慢に出るからだと答えると、急ブレーキをかけた。

 

鐘が3つ鳴り合格。あきと小百合が喜びを分かち合う。

 

結局恭子の放送を聞いたのはお母さんのあきと友達の小百合の2人だけでありました。

 

ちょっとドタバタの日でした。純子だけでも一人で見に行ければよかったね。

peachredrum.hateblo.jp

あぐり」でものど自慢ネタがありました。こっちはコメディパートというか、尚久が出場するというので、南がラジオを借りてきてあぐりの家で聴いたという回で昭和22年ごろの話。尚久が歌ったのは「リンゴの唄」。そういえば、あぐりの家には当時はラジオがなかったんだなー。