1943年 日本
あらすじ
“阪妻(バンツマ)”の愛称で親しまれた日本映画の大スター・阪東妻三郎の代表作の一つで、岩下俊作の小説「富島松五郎伝」の最初の映画化となった名作。北九州・小倉を舞台に、無法松と呼ばれる人力車夫・松五郎の献身と純愛を描く。粗野だが人情味あふれる松五郎を演じる阪妻の名演技、撮影を手がけた宮川一夫の繊細で大胆なカメラワーク、稲垣浩監督の演出は圧巻。映像と音声を最新技術で修復した4Kデジタル修復版での放送。
2021.10.7 BSプレミアム録画。まだまだ録画映画はあるけど早く観たかった。短いし。
昭和18年が描く明治時代。夕方、子供達は帰り、町に明かりが灯る。
巡査が松五郎を訪ねてきた。松五郎は若松警察の撃剣の先生とケンカをしたらしい。松五郎が阪妻。顔は田村高廣さんに似ているけど、声は結構ガラガラ。
川上三五郎一座の芝居を観に行った松五郎は枡席でニンニクやニラの入った鍋を煮込み、他の客から文句を言われ、劇場関係者からも文句を言われ、ケンカになった。
結城重蔵という男が仲裁に入った。インテリヤクザ的な人? 松五郎があのような行動を取ったのは、受付の人にいつもなら車屋の車夫と言えば、顔パスで入れてもらえてたのに、その日の受付が頑なに入れてくれなかったせいで、腹いせで客席で鍋の煮炊きをしたのだった。重蔵の仲裁で松五郎はおとなしく謝り、一件落着。
ある日、松五郎が無人の人力車を引いていると竹馬の子供達の集団が道を横切った。すれ違う子供達の頭をなでる松五郎。すれ違った後、子供たちの騒ぐ声がした。
吉岡敏雄という少年が怪我をして泣いていたので、松五郎は陸軍大尉の吉岡小太郎のお屋敷に連れて行った。敏雄の母・よし子は松五郎にお礼のお金を渡そうとするが遠慮した。
よし子は松五郎という名前だけは調べてわかったと夫の小太郎に報告すると、無法松として有名な男だと知っていた。
翌日、松五郎を訪ねたよし子は敏雄を病院に連れて行ってほしいと頼んだ。よし子に家まで人力車に乗るように言うが、すぐ近くだからと遠慮した。
夜は小太郎に酒に誘われて飲んだ。しかし、小太郎は寒いと言い、横になってしまった。熱があるので、よし子が松五郎に医師を呼んでくることと、氷を頼んだ。
次の場面、墓参りをする松五郎、よし子、敏雄。ええー! 小太郎死んだ!! 敏雄は子役の澤村アキヲ=長門裕之さん。うつむいた顔の面影あるよー。よし子から敏雄を時々鍛えてやってほしいと言われ、敏雄も松五郎に懐いた。阪東妻三郎さんは役だけじゃなく、子供の接し方が優しく見えるな。
松五郎は子供の頃、継母に厳しく育てられていて、父親に会いたくなり、小倉から広野まで歩いていくことにした。途中、立ち寄ったうどん屋で事情を聞かれた松五郎は本当のお母ちゃんではないと言うと、気の毒がった老夫婦がうどんを出し、草履を替えてくれた。
労働者が集う小屋に立ち寄ると酒を飲んでいる男たちが、子供がくるとこじゃねえと言いながらも上がれ上がれと迎えた。奥にいた松五郎の父親が気付いて、よく来たなと言ったが、松五郎は大声で泣いた。松五郎が子供の頃に泣いたのはそれきりだったと、敏雄に話した。
秋季大運動会。子供の運動会じゃなく工業学校? 地域の人が集まっていた。よし子、敏雄と共に訪れた松五郎は大声でヤジを飛ばすので敏雄が恥ずかしがる。とんがり帽子をかぶった男たちが校庭にいる人たちに号外を配った。
「奥さん、これなんて書いてある?」と号外をよし子に渡す。「次は飛び入り勝手。500メートル徒歩競走。どなたでも脚に覚えのある方は奮ってご参加ください」。松五郎はそこらの小僧には負けないと飛び入り参加した。
ペースも考えず途中脱落する者もいる中、敏雄は「おいさーん」と夢中で声援を送り、松五郎は見事1等賞を獲得。松五郎は賞品をよし子たちの家に置いて帰った。
よし子は、松五郎は足が速いから偉いんじゃなくて、生まれつき運が悪くて車なんか引いてるけど、あの人みたいに何でも思うように平気でずんずんやる勇気を持たにゃいかんですよと敏雄を励ました。車なんかとか言ってやるなよ。
松五郎は銭湯で敏雄にバタ足を教えたり、節分にはチョンマゲのかつらをかぶって家中の豆まきをしたりして、よし子に感謝された。
人力車で走る松五郎の後ろ姿。車輪の影。
時が経ち、敏雄は小倉中学4年生になっていた。仲間に誘われてケンカしに行く!? よし子が影で聞いていて、「敏雄さん、母さんはね、お父様からからあなたをお預かりしとるんですよ」と心配する。こう言う考え方、今はないね〜。
そんな面倒なことじゃないと言って出かけて行った敏雄。よし子は松五郎に相談した。ケンカするような若衆になったか〜と笑う松五郎。
師範学校の生徒達とケンカする敏雄たち。「おじさん、助けて!」と見ていた松五郎は嬉々としてケンカに加わった。
さらに数年? 敏雄は道端で松五郎に「ぼんぼん」と声をかけられ、恥ずかしがって無視するようになった。よし子がそのことを松五郎に言いに行くと、「じゃ若大将とでも呼ぶか」と言うが、それも否定され「吉岡さん」とでも呼んでください、と言われた。
敏雄は熊本の高等学校に進学し、松五郎は一人飲んでいた。隣に居合わせたのは土木業の半纏を着た男。最近、松五郎は人が変わったようだと噂されていたが、酒を飲みながら、親父が酒で死んだからしばらく控えていたのだと話した。そうは言っても遅かれ早かれ心臓発作で頓死だろうとも言っていた。
敏雄が夏休みに帰って来た。敏雄は先生を連れて帰郷し、小倉祇園太鼓に行った。これはもう昔の打ち方ではないと言う松五郎は、山車に乗って、今は廃れた流れ打ち、勇み駒、暴れ打ちを街中に響かせた。
イメージ映像みたいなたくさんの走る人力車。運動会で走る松五郎。輪になった子供達の中にいる松五郎、風船、車輪、舞い散る雪。よし子と幼い敏雄の後ろ姿。その後を行く人力車。
はっきりと見せてないが、松五郎は亡くなり、遺された持ち物の中にはよし子からもらった祝儀袋に手をつけずに取ってあり、敏雄名義の貯金通帳には500円が入っていた。(終)
うっ泣けた。戦中の映画だからもっとチャップリンの無声映画的なものを想像していたけど、さすがにそれはなかった。長門裕之さんも子役ながらいいお芝居でした。阪妻も初めて動いて声を出しているところを見たけど、かっこよかった。