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【連続テレビ小説】あぐり (134)「立ち直る力」

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

あぐり田中美里)の美容院に新しい弟子の生田千花(麻生かおり)がやってくる。千花は沢子(三浦理恵子)に、あぐりの考え方は古いと言い、弟子と呼ばれるのを拒む。淳之介(山田純大)は、世津子(草笛光子)を説得して『婦人現代』の編集部で働き始める。燐太郎(野村宏伸)は復刊第1号に小説を依頼されたが、書けずにいた。諒子(大路恵美)の恋人の三枝(高山宏)は、ジャズを理解しない客を相手に演奏するのを拒み…。

開店まもないあぐり美容院にあぐりの新しい弟子がやって来ました。

 

ポニーテールでチューインガムを食べてそれを紙で包んで店の前のゴミ箱に投げ入れる女の子が新しい弟子の生田千花(ちはな)。18歳。弟子とは呼ばれたくない、美容師だと言い、これからは何でも自由に発言できる時代だそうです。民主主義です、と民主主義をはき違えたタイプ。千花は帝大の丹羽先生の奥様の親戚のお嬢さん。それなりの家のお嬢さんってことかな。18歳なら女学校出てるだろうし。

 

もう住み込みの時代じゃないとあぐりは千花を通いで来てもらう事にしていた。主任の沢子から鏡の拭き掃除、床の拭き掃除、タオルの洗濯を頼まれると、「そんなことよりパーマとかウエーブの方法を教えて下さい。私、掃除や洗濯をするためにここに来たわけじゃないんですから」と掃除は変わりばんこでしましょうと言い出す始末。こういう人はどこかの店に直接入るより美容学校に行った方がよかったのかもしれない。

 

あぐり「掃除は見習いの仕事よ。世の中がどう変わってもそういう決まりなの。千花ちゃん。美容院にはたくさんの仕事があるのよ。パーマをかけるお手伝いや切った髪の毛を片づけるのも大事な仕事なの。タオルがなければシャンプーはできないし、鏡が曇っていればお客様の頭がよく見えないわ。全部の仕事がちゃんとできて初めてその人は『美容師』と呼べるの。分かったわね」

千花「ちょっと幻滅しちゃったな。先生、もうちょっと新しい時代の人だと思ってたのに意外と古いんですね」

 

あぐりのもとにやって来た新しい時代はなんだか大きな嵐を巻き起こす気配でした。

 

世津子と淳之介の編集打ち合わせ。新生「婦人現代」最初のテーマは新しい時代を闊歩する女性たち。そのパワーの源を髪型に見る…。髪の毛が短くなれば女性は活動的になる。活動的になればより社会参加が可能になる。そこでどのように社会進出するべきか髪型の流行と合わせて記事にする。淳之介の提案が採用になった。

 

「婦人現代」の編集部は世津子の知り合いの家具屋の倉庫。淳之介は編集見習いとしてひとりで掃除を任された。

 

世津子と燐太郎が話していた。燐太郎が昔の「婦人現代」をかき集めて淳之介に渡す→淳之介が言いだせば世津子が「婦人現代」をやる。「僕はそんなに頭回らないよ」と燐太郎は否定するが、「あなたが16の時からのつきあいよ。何でもお見通しなんだから」と世津子は言う。

 

しかし、淳之介が「婦人現代」やろうって言いだしたときは嬉しかったし、エイスケに言われたみたいだったと世津子は言い、「婦人現代」復刊第1号の巻頭に燐太郎の小説を載せたいと言った。

 

諒子の恋人・三枝は「ジャズが何なのかも知らない酔っぱらいに…俺の音の新しさ分かってたまるか」とカフェ・セ・ラ・ヴィには行かないと酒を飲んでいた。逃げたくないという諒子に裏拳をかます。暴力反対。割と90年代のドラマもビンタは普通にあったね。

 

でもエイスケさんはあぐりを殴ったりしなかった! 今まで再放送の「おしん」「澪つくし」「はね駒」いずれも夫からビンタされるシーンあったことを思えば、進化したな~。描いてる時代は「はね駒」以外そう変わらないのにね。

 

カフェ・セ・ラ・ヴィは相変わらず酔っ払い客が多かったが、拍手を送る客=淳之介がいた。諒子ちゃんは気の強さが前面に出過ぎな感じ。田中美里(1977年生まれ)さんと同世代の民ちゃん(1978年)、鈴音ちゃん(1977年)、諒子ちゃん(1975年)あたりはヒロインオーディション落選組だったりするんだろうか。と、今日初登場の千花ちゃん(1978年)も同世代でした。

 

諒子と淳之介は話をするが、「淳之介さん。私ね今とっても充実してるの。とっても幸せなの。本当よ」と強がり、淳之介は何も言えなかった。んー、だからこのくだりはまだ続ける気か? カウンターで世津子が見守っていた。

 

再開して10日もたつとあぐり美容院には以前のような活気が戻ってきました。従来の電気パーマに比べ短い髪でもウェーブがつくコールドパーマは大好評を得たのです。

 

千花はあぐりのコールドパーマをかける手先に注目して、沢子のお客様の洗髪してくださいという声に渋々その場を離れた。

 

そこにやってきたつた子。つた子さんは燐太郎結婚の時にちょろっと出る程度と思ってたけど、戦後も出てたのね。開店祝いの花束を持ってやって来て、あぐりと話をした。私には何もしてあげられないとあぐりにお願いした。

 

カフェ・セ・ラ・ヴィでつた子が心配していることを燐太郎に伝えるあぐり。燐太郎は従軍記者で戦地を回っていた時に燐太郎が書いた「若き戦士」という作品に「感動しました。自分もあの兵士のようにお国のために命をかけて働きたいです」と話した若い兵士が南方へ行って亡くなった。

 

その兵士は部隊を離れる前に残った仲間に「もしためらうことがあったら辻村燐太郎の『若き兵士』を読め。国のために死ぬ事はちっとも怖い事じゃない」と若者を戦地に送り出し、若者たちの命を奪ったことに苦悩していた。

 

エイスケと最後に会った日に言われた「大した奴だな、お前は。大きな波がやって来るとさっと潜ってまた顔を出す。そしてちゃんと自分の進路を進んでる」という言葉に燐太郎に対するエイスケの警告だったのかもしれないと燐太郎が語る。

peachredrum.hateblo.jp

うわー、この回だったか!

 

燐太郎「エイスケは真っ正面から言論の弾圧という波を受け止めた。そして書くことを拒否したんだ。そして僕は波を避けて書き続け多くの若者を戦地で死なせた…。エイスケの選んだ道は正しかったのかもしれない…」

こう言うと、燐太郎は「おやすみ」と帰ってしまった。この「おやすみ」が優しい声で…燐太郎さん素敵。今の眼鏡の感じもいい。

 

あぐりもまたつた子と同じように燐太郎にかける言葉が見つかりませんでした。

 

エイスケさんはきっと燐太郎さんの柔軟さを褒めただけだよー。そしてエイスケさんは筆を折った代わりに株で大損し、あぐりに迷惑をかけました。

 

ツイッターあぐりさんが店を再開したのは本当は昭和27年だと見かけました(ドラマでは昭和22年)。私が読んだ本だといつ頃だとはっきりした年号が書かれてなかったけど、そりゃそのくらいかかるか。

「 終戦後、疎開先の山梨から戻った私は、『戦争未亡人のために美容を推進する仕事をやりなさい』という山野先生からのお話で、世田谷の戦争未亡人のための美容教習所に雇われて行っておりました。その後、一時、母子寮にも入っておりましたが、やがて、市ヶ谷の焼け跡に、四畳半と六畳とお勝手だけの家を建てました。屋根に瓦もない粗末な家でした。」

 

90年代らしさなのか「あぐり」の作風なのか結構苦労してるところも軽くサラッと描いてるのを、令和の人って額面通り受け取り過ぎるというか店が再開できたことをイージーモードとかよく言えるなと思う。結婚相手の実家が金持ちなのは事実ですが、エイスケさんがこしらえた借金はあぐりさんが一人で返したらしいのに。終盤になってもずーっとこんな感じの感想を見かけるのは悲しい。感想なんて人それぞれ、とはいえ。