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【連続テレビ小説】あぐり (106)「エイスケ死す」

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

あぐり田中美里)は淳之介(大根田良樹)に頼まれた雑誌を探すうちに、エイスケ(野村萬斎)の机の上で離婚届を見つけてしまう。問いただせずにいるあぐりをエイスケは和子(新穂えりか)の見舞いに誘い、箱根の別荘へ連れていき、株での損の穴埋めに、箱根の別荘と車を手放した話をする。エイスケがごちそうを作るので、どこかに行ってしまうんじゃないかと不安になるあぐり。帰宅して不調を訴えるエイスケは、独り階段で…。

とうとうこの日が来てしまった。

 

昭和15年(1940)7月7日

 

エイスケが新聞を読み、今日から七・七禁令が発令されるとあぐりに教えた。パーマネントは全国で自粛。「あぐりの店もパーマネントやめるの?」とエイスケが聞き、「まだ禁止されたわけじゃないから…」とあぐり

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奢侈品(しゃしひん)等製造販売制限規則=七・七禁令

 

健太郎が淳之介のために送ってくれた銀座の高仙からのメロンをエイスケが勝手に切って食べていた。

 

淳之介の病室でメロンを出すあぐり。淳之介からは「いつまで入院してるの?」と聞かれた。あと2~3か月はかかるとあぐりは言い、「ママだってさみしいのよ。和子も療養で伊東に行ってるし、家には理恵ちゃん一人なんだもの。今年のママと理恵ちゃんのお誕生日パーティーはさみしいわ」と続けた。

 

あぐり 明治40年(1907)7月10日生まれ

理恵 昭和14年(1939)7月8日生まれ

 

淳之介から読みかけの本を持ってきてほしいと言われたあぐりは、エイスケの書斎から本を見つけ、他の本の整理をして封筒に入った離婚届を見つけた。健太郎に廃嫡してくれと頼んだのと同じ理由なんだろうけど、これ、私の記憶に一切なかった。

 

離婚届

大正十二年四月八日婚姻届出

東京市牛込区市ヶ谷八幡町

          望月

父 岡山県岡山市桶屋町

 

望月健太郎

 

これくらいの情報しか読み取れなかった。離婚届を見て驚くあぐり。この間、民ちゃんの夫が書いてたのと字体が全然違うから、全部自分で書くのかー。

 

エイスケはカフェ・セ・ラ・ヴィにいて、入店してきた燐太郎に「よう、辻村先生」と声をかけた。「お前に『来るな』と言われたけどな、ひと言お前の新作の感想を述べたくて来た。許せ」と言うと、「何言ってる。あれは俺が言い過ぎた。勘弁してくれ」と燐太郎と和解。

 

エイスケ「読んだぞ、燐太郎。すばらしかった。俺は心から感動した」 

燐太郎「ありがとう…。それで本当は?」

エイスケ「フフッ本当にそうだ。今までお前が書いた中で最高の出来だ。よかったな、燐太郎。時代に流されることなくお前の世界をきちんと描き切っている。お前は大した奴だな…。大きな波がやって来るとさっと潜ってまた顔を出す。そしてちゃんと自分の進路を進んでる。俺はなお前がこれほど柔軟な奴だと思ってなかったぞ」

燐太郎「褒め過ぎだぞ」

エイスケ「いや…お前は大丈夫だ。いつの世でもいいものが書けるさ。それだけ言いたくてな」

 

エイスケさんみたいに筆を折る人、燐太郎みたいに時代に応じた作品をかける人、きれいに分かれてしまうんだね。金子みすゞさんと重なるものがあります。金子みすゞさんの詩を評価した西條八十は童謡から戦時歌謡、流行歌何でもできた人みたいだからね。

 

離婚届を見てしまったあぐりはモヤモヤ。届出日は十五日となっていたけど、昭和15年の7月のことか不明。 差出人 望月栄助 ←淳之介に栄助の漢字が嫌いだと説明した回があったのに、栄助って漢字あるんだ~ってツイッターで見かけた。

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そういえばこの回、栄助の助は助六の助。そして助平の助と記憶してて、あれ? 助平なんてひと言も言ってないぞ!と気付いた回でした。どこか違う回で出てくるかもと思い、今まで書かなかったけど、この先、栄助の助は助平の助なんて出てこないと思う(^-^; 何かのパロディでも記憶してたのか!? バカな記憶。

 

思い悩むあぐりの前にエイスケが帰ってきて、「明日、伊東の和子の所へ見舞いに行かないか? しばらく行ってないだろう。ドライブがてらどう?」と誘った。あぐりはエイスケに離婚届の事を聞こうとするが、エイスケは「疲れたから寝るよ」と寝てしまった。

 

翌日、和子の療養所を訪ねた二人。和子は「パパ。今度来る時はよそのお父さんみたいにお洋服で来て」とお願いしてきた。「よ~し、分かった。今度おめかしして洋服着て来るよ」と返事をするエイスケ。

 

別荘へ向かう道すがら、エイスケがいつも巻いていた赤いスカーフが飛んで行ってしまった。ここすごく印象的なシーンだったな。緑の中に赤いスカーフがひらひら舞う。別荘につくと、別荘を手放すことを知らされ、「でも、あさっての君の誕生日にはすてきなプレゼントがあるからね」とあぐりに笑顔を向けた。

 

「明日は人手に渡るから、今日はここに泊まっていかないか?」というエイスケに「私に何かお話があるんでしょ?」とあぐりが尋ねるが「何もないよ。じゃ行ってくるね」とウインク。

 

エイスケが立派なディナーを用意して夕食の時間になった。「それじゃこの別荘に感謝して乾杯」。

 

あぐり「エイスケさん…。またどこかへ行っちゃうつもりなんでしょ? 分かってるんだ。エイスケさんがこうやって御飯作ってくれたり優しくしてくれる時って必ず私の前から消えちゃう前触れなんだもの」。

 

「岡山のうちの庭でテーブル置いてお料理作ってくれたことがあったでしょ。ほら、私が初めて洋髪にした時よ。エイスケさん、洋服プレゼントしてくれて…。あの時も次の日には東京に行ってしまったわ」

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「東京に来てからもそんなことがあったわ…。小説が書けなくて行き詰まっていた時にエイスケさんやっぱり御飯作ってくれてその次の朝には旅に出たの。それも仕送りのお金全部持って」

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あぐり「本当のこと言って。今度はどこへ行くつもり?」

エイスケ「どこにも行かないよ。僕はず~っとあぐりのそばにいるよ。これからもずっとね」

 

あぐりとエイスケが自宅に帰ると、エイスケは「何だか変だな…調子悪いよ」と玄関に座り込む。あぐりは「暑いから車もバテちゃったんじゃないですか?」とエイスケの荷物も両手に下げて家の中に入って行った。「そうじゃなくて…」とエイスケがフラフラと階段に座る。

 

とめがあぐりに声をかけた。店は忙しく、あぐりはあっという間に日常に戻る。階段に座るエイスケに「エイスケさん、私ちょっとお店の方に行ってきます」と声をかけ店に。光代も通りかかるが、「あら? 帰っとったん? 何ですね? こんな所に座って。休むなら自分の部屋で休みなさい」とバイオリンの稽古に出かけていった。

 

エイスケは心臓に手を当て目をつぶる。しかし、再び目が開き、その眼には緑の中を飛んでいく赤いスカーフが映っていた。

 

すっかり日も陰って来た時、あぐりが「あ~くたびれた…」とエイスケの隣に座った。「帰ってくるなり大忙し。まだまだあぐり美容院も捨てたもんじゃないですね。ね、エイスケさん…やだ、寝てるんですか? エイスケさん…。エイスケさん?」開いていた目が閉じられ、あぐりの体にエイスケがもたれかかった。「エイスケさん!?」

 

健太郎のもとにエイスケの訃報が届いた。「バカ言え! 何でエイスケが死ぬんじゃ? あぁ?」と突然のことに信じられない。

 

布団に寝かされたエイスケに光代が抱きつく。

 

昭和15年7月9日。エイスケが狭心症の発作でこの世を去ったのは、あぐり33歳の誕生日前日のことでした。

 

「エイスケ死す」のサブタイトルで確か木曜日だったよなーと思ったらやっぱりそうだった。

 

そういえば、2年前に朝ドラ100作記念番組をいろいろやってたときだったか、朝ドラファンだという関根勤さんがあぐりの今日のシーンを「目開いてるのに『寝てるんですか?』って…」と笑いながら話してるのに、野暮な人だなあと思ってしまった。芸人としての関根さんは好きだけど、そこ突っ込むかなー? 

 

その割に「おしん」で一番感動したのはよく「おしん」といえば必ず流れる川下りのシーンで涙ながらに伊東四朗さんに語ったら、別撮りだったよと言われたという話をしてて、「おしん」を全編見たらそこ以外にもいっぱいあるだろ?って思ってしまったので、単にツボが合わない人なのかな。

 

" 私の父親は、三十四歳のとき狭心症で急死したが、その発作のときまで元気だった。当時可愛がっていた女のところで腹上死したという説があるが、母親は当日の情景を微細に描写してみせて、自宅で死んだという。私は、丁度その時期、腸チフスで隔離病院に入れられていたので、居合わせなかった。真相を知る方法はあるのだが、まだそのままになっている。 "

 

” その日、エイスケさんはどういう風の吹き回しか、珍しく私をドライブに誘い、途中「ばてたな」などといっておりました。私は、てっきり「坂道で車がばてた」のだと思い込んでおりましたのに、自宅に帰ると、エイスケさんは心不全であっという間に逝ってしまいました。本当に驚きました。”

 

今日の回は結構忠実に描いていたんだな。あぁ、エイスケさん。