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【連続テレビ小説】あぐり (40)「夢は美容師」

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

あぐり田中美里)は、ふと目にした新聞の求人広告でチェリー山岡(名取裕子)の美容室が美容師を募集しているのを見つけ、面接を受けるが、弟子の最初の3年間は住み込みで子供にも会えない、と言われ諦める。岡山では健太郎里見浩太朗)が、エイスケを勘当しあぐりを自由にしてやろうと言うが、光代(星由里子)は淳之介は手放さないと反対し、家出して淳之介を連れてあぐりの所へやって来る。あぐりは、光代に振り回され…。

健太郎が岡山に帰り、あぐりにとってただエイスケを待つだけののどかな生活が始まりました。

 

あぐりは新聞記事から求人広告を見つけた。

求む女性美容師

米国帰りの洋髪美容師・チェリー山岡の内弟子募集。

最新設備と米国式美容技術を誇る店。

●年齢・経験等不問 ●委細面談上

履歴書持参のうえ、左記住所迄来店されたし。

東京市京橋区一丁目一番地

銀座山岡美容院 電話銀座24 7866番

 

あぐりも履歴書持参で面接に行く。

 

大正12年3月

一、岡山高等女学校三年修了

一、大正12年4月 望月エイスケ 結婚

一、大正13年4月 長男 淳之介 出産

 

履歴書を見て、あぐりが結婚して子供がいることを知ったチェリーに断られた。「美容師になるにはね3年間の住み込みの修業が必要なの。その間自分の時間はせいぜい月に1度。いやそれだって潰れる事もあるのよ。あなたにそれが耐えられる? 岡山の子供さんにも会えなくなるわ。3年間会わなくていいって言うなら、あなたはもう母親じゃないわ。それでもいいの? あなたに子供を捨てられるの?」

 

そこまで言われたあぐりは引くしかなかった。帰りかけたあぐりにチェリー山岡の書いた「美の探究」という本をくれた。

 

岡山では健太郎がエイスケを勘当すると言い出した。「東京での暮らしぶりを見てきたがのう…腐りきっとる! あれじゃ三文文士にもなれんじゃろう。さりとてこっちに戻ってきて地道な暮らしができるとも思えん」「俺はのうエイスケを諦める」。望月組をどうするのか光代に聞かれた健太郎は勇造に継がせると言い出した。

 

光代は「勇造の気持ちはどうなんです? こっちの都合であっちこっち動かされたんじゃあの子がかわいそうすぎます。少しはあの子の気持ちも考えてあげたらどうなんです?」。健太郎は自分の代で終わらせるのは先代に顔向けができないと思っていた。淳之介をあぐりに返してやれと言われた光代は嫌がる。

 

健太郎「少しはあぐりの事を考えてやれ。遠い所でいつも淳之介の事を考えながら生きておるんじゃ。あぐりだって淳之介の親ぞ。今じゃやけになって髪結いの見せ物なんぞやり出す始末じゃ」←それは好きでやってるんですー。

 

光代は健太郎の勝手でエイスケも淳之介も奪い取られると積年の不満を言い、「私は一体何なんです? ただあなたのやる事に振り回されて生きていくだけの女なんですか?」と問いかけた。「当たり前じゃ。お前はわしについてくりゃええんじゃ」という健太郎に遂に堪忍袋の緒が切れた。

 

数日後

遊びに来た鈴音に美容師になる事を断られたことを話すあぐり

あぐり「しかたないわ。私には淳之介を捨てる訳にはいかんもん」

鈴音「当たり前よ。そこまでして自立する女なんてバカよ、そんなの」 

peachredrum.hateblo.jp

 ↑1987年のこちらのドラマは既婚で子供がいる女性でも東京から札幌に単身赴任をするという女性たちの話でした。男と肩並べて働くと言ってもこれはちょっとなあ。仕事もうまくいかず、家庭もうまくいかないみたいな描かれ方もこの時代ならではかも。そこから時代の進んだ1997年は、先人たちの頑張りもあってそこまでガツガツしなくてもという時代でした。80年代にあぐりが朝ドラになったらまた描き方が違うんだろうなとも思います。

 

少し元気のないあぐりに鈴音はチェリー先生の出版記念会に行かないか?と誘ってくれた。子供がいても修業できる方法があるかもしれないと前向きな鈴音にあぐりも行く事にした。

 

しかし、出かけようとしたあぐりに声をかけてきたのは淳之介を抱いた光代! あぐりは淳之介と一緒にいたいからと出かけるのはやめた。

 

チェリー山岡に美容師の相談はできなくなってしまいましたが、それよりも最愛の淳之介と過ごせる時間はあぐりにとってまさに至福のひとときでありました。しかし、姑の光代が何の目的でやってきたのか、そしていつまでいるつもりなのか、この時のあぐりは考える余裕もありませんでした。

 

翌日、あぐりを訪ねてきた鈴音は淳之介をあやしていた。光代は東京見物に出かけて不在。しかし、エイスケとあぐりが暮らす家に光代の荷物が届けられた。光代は「もういいかげんあの人には愛想がつきたわ」と望月家を出てきたことをあぐりに言った。

 

光代「自分勝手でわがままで私の気持ちなんか考えてくれんのじゃけえ。それでも私はずっと我慢してきましたよ。望月のうちのため、組で働く男衆のため、子供のためと思うてな。でももう愛想がつきたわ。もう堪忍袋の緒が切れたわ。あの人の勝手で私の人生あっちこっち振り回されるのはもうごめんです」

 

以前は、この時代に別居や離婚なんて大罪みたい思ってたけど、金子みすゞさんの生い立ちを読んでも、昭和の初めくらいの時代に、みすゞさん自ら離婚を言い出したりしてるし、別れたら別れたで周囲の人からすぐ次の人を紹介されるし(みすゞさんの夫も離婚経験のある女性と再婚した)、案外戦前あたりの時代の方が結婚離婚再婚のハードルは今より低く感じる。

 

あぐりののどかな生活は光代の上京によってあっという間に戦場のような慌ただしい生活へと変わっていくのでした。

 

光代は家事をせず、あぐりに指示を出し、食事、掃除、洗濯、淳之介の世話をさせた。隣の嫁姑は当然チェック。「よそ様のもめ事はね大きいほど見ごたえがあるんだよ」「それは言えるけどね」気が合う二人。

 

夕方帰ってきたあぐりは新聞に載ったチェリー山岡の記事を読んで、机に置いた。

日本女性の女性美とは何か

という見出しの記事だった。

 

そうだよー、光代さんが上京してきたんだ。着々とあぐりの夢実現が近づいているような…? んで、エイスケさんはいつ帰ってくる?