公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意
(84)「旅立ちの青い空」
布美枝(松下奈緒)と茂(向井理)は、政志(光石研)からシベリアの収容所時代のつらい体験と、帰国後に子どもの死を知り、前向きに生きる意欲を失ってしまったことを、初めて打ち明けられる。そして、美智子(松坂慶子)が家を出たまま、どこに行ったかわからないことを靖代(東てる美)から聞いた布美枝は、政志と共に美智子を捜しに行く。美智子を見つけた政志は…。
(85)「チャンス到来!?」
布美枝(松下奈緒)と茂(向井理)のもとに、境港に住む絹代(竹下景子)と修平(風間杜夫)がやって来る。修平の書く小説を東京で出版する話があるというのだが、絹代は疑いを隠さず、偶然茂を訪ねてきた浦木(杉浦太陽)が話す、出版ビジネスの計画を聞いて猛然とそれにかみつく始末。ちょうどそのころ、大手出版社・雄玄社の漫画雑誌「少年ランド」の編集部では、若手編集者の豊川(眞島秀和)が茂の漫画に着目していた。
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このあらすじが最初に載ったのは、10/11(金)だったかなぁ。やっとここまで来ました。この辺りを予習(復習か)してたら、茂さんの「死んだ人間が一番かわいそうです。だけん自分は生きてる人間には同情せんのです。自分をかわいそうがるのはつまらん事ですよ」を聞いて、改めてハッとさせられました。
政志さんは戦争が終わってシベリア抑留生活中、電気工だった腕を買われ、重宝がられたけど、それが仲間から嫉妬され、つるし上げにあう原因になってしまった。戦争から帰ってきたら子供は死んでいて、どうしても前向きに生きることができなくなった。そんな話をしてるうちに、美智子さんがいなくなったとお加代様(違)が知らせに来る。
美智子さんが行きそうな場所…布美枝と政志さんが思い浮かんだのは、美智子たちの子供が眠る深大寺でした。二人で自転車で探しに行くと、あっさり美智子さんは見つかり、政志さんは千葉で電気工をするから3人で千葉に行こう、という。
普通そういうもんだよ、満州に一人で行こうとしてた竜三さん…満州に一緒に行こうと言われても困るけど。
東京オリンピックの朝、美智子さんたちは千葉に旅立ちました。太一くんに知らされ、こみち書房の前に全員集合。改めてこのドラマは当時の世相と合わせるのがうまいなーと思いました。ちゃんとその時期にあったことを盛り込んでる。
そして、週が変わって月曜日回。
茂の家にイカルとイトツが来ました。30枚しか原稿を書いてないのに小説を出版しないかと言われ、東京まで出てきたイトツとついてきたイカルでしたが、ちょうど居合わせたイタチから話を聞くと、どうやら騙されていたらしいと知る。
風呂をもらいに来た兄夫婦だったり、イタチや茂、布美枝、その場に居合わせた大人全員イカルに叱られました。
兄の家ではついにテレビを買ったという話題になっていました。当時白黒で7万。カラーで20万。
そんな家族集合の頃、大手出版社の雄玄社では水木しげるの漫画に豊川が目をつけていた。同僚は泰蔵兄ちゃんです。泰蔵兄ちゃんと同じような短髪だったんだなー、とこの前見て思い出した。もうちょっと髪長いと思ってました。
豊川演じる眞島さんが山形出身と知り、今「おしん」をやるなら(やらないけど)、庄治あんちゃんをぜひやってもらいたいなー、と関係ないことをふと思った。「お前にほだな偉そうなこと言われる筋合いはねえな」とか言ってほしいよー、妻は渡辺えりさんそのままで(なんで)。
龍騎やってる頃の須賀さん(泰蔵兄ちゃん)だったり、竜三やってる並樹さんだったり、見とれてしまうほど好きな顔が朝も夕方も見られるなんて最高です。話も面白いし。
そういえば、これもネタバレの一つかもしれませんが、竜三はこの先ひげをそらないそうですね。当時20代半ばの並樹さんが実年齢より年上の男性を演じるせいだったのでしょうか。あのひげなしのつるっとした美青年が好きだったけど、それもつかの間だったんですね。
貧乏が辛いと言ってた人はそろそろこの辺から見たら面白い…のかぁ? これまでの積み重ねがあるから面白いのに。
そうそう、今「少年寅次郎」というドラマを見て、寅さんって若いんだなーと思いました。昭和11年生まれということは、おしんの子供くらいの年齢で、茂さんや布美枝さんより年下なんだよねぇー。寅さん演じる渥美清さんも早くに亡くなられたせいもあって、すごく昔の話みたいに思ってしまうけどね。
でも、お師さんみたいな下町というか江戸言葉というかとにかくちゃきちゃきのあの感じってやっぱり今の人には再現不可能なのかなぁっていうのも思いました。ああいう感じを再現しようとしてるんだろうけど、ただの早口とも違うし、難しいねぇ。昔のドラマ観てて、「金八先生」の1とか2あたりの生徒の親とか独特の早口の下町言葉だったと思うけど、あの辺が最後の世代だったのかねぇ。