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【ネタバレ】世界で一番美しい少年

2021年 スウェーデン

 

あらすじ

当時15歳のビョルン・アンドレセンは巨匠ルキノ・ヴィスコンティに見出され、映画『ベニスに死す』(’71)に出演。美少年タジオ役の崇高な美しさに世界は陶酔、来日時には詰めかけたファンの熱狂で迎えられた。だが彼の瞳には憂いと怖れ、生い立ちの秘密が隠されていた・・・。

2023.11.6 ムービープラス録画。

peachredrum.hateblo.jp

以前観た「ベニスに死す」はインパクトがあり、印象深かった作品。調べていくうちにこのドキュメンタリー映画のことも知り、いつか見たいと思っていました。

 

1970年2月 ルキノ・ヴィスコンティストックホルムで次回作のオーディションを行った。そのオーディションに参加したのが当時15歳のビョルン。突然、上半身裸になってと言われて戸惑っている。最終的にパンツ一丁にさせられてる! 映画でも浜辺で水着になってたけどさあ。しかし、本当に美しい。

 

場面は変わり、白髪で長髪の男=現在のビョルン・アンドレセンが部屋を追い出されそうだと電話していた。ガスをつけっぱなしにしたり、布団が腐っていたり、かなり不潔な状態。でも、恋人は結構若そうに見える。

 

母方の祖父母の元で育ち、有名にさせたい祖母が勝手に契約した。映画デビュー以前のフィルムが残っているのがすごい。祖母はヴェネチアにもついてきて端役で出演。家庭教師も同行していた。

 

1971年3月 「ベニスに死す」はロンドンでプレミア上映。2ヶ月後にカンヌ映画祭で上映。

 

ヴィスコンティの隣で記者会見の席にいるビョルン。だけど、このときもうヴィスコンティはビョルンはすっかり老けたよとか言ってて、怖~。

 

今の姿も歳はとったけど、太ってもないしハゲてもないから美を保ってるように見える。太らないってすごいことだよと実感を持って思う。恋人は家主にこれからはちゃんとするとフォローし、なんとか部屋を追い出されずに済んだ。

 

映画は完成し、ゲイクラブに連れて行かれたビョルンは…うっ

 

主に日本からたくさん手紙が届き、日本へも行った。

 

1971年 フジテレビのクリスマス番組に出演したり、CM撮影、歌を歌わせたり…なぜか日本人って歌わせるの好きだよな!? CMは明治のエクセルチョコレート。

 

私の同世代ぐらいだとエドワード・ファーロングが思い浮かぶ。人気があって、CMにも出たし、歌も歌っていた。正直は歌は…。あと童顔小柄だったと思う。

 

今のビョルンが再来日。オハヨウゴサイマスと挨拶。当時のプロデューサーと再会。祖母に言われて仕方なく仕事をしていた。何も言わずに突然撮影が始まる。忙しさのあまり、薬物に頼った話もしていた。

 

「永遠にふたり」のレコードジャケットが映る。阿久悠作詞。歌は下手じゃない、けど、なんで演歌調の歌なんだろう?? 歌謡曲というのかなあ。カラオケに行って自分の歌を歌うビョルン。カラオケの画面は当時のビョルン。

 

酒井政利さんや池田理代子さんとも会う。「ベルサイユのばら」のアニメが映るけど、原作漫画とアニメは全然違うなあ。原作は読んだことあるけど、アニメは見る気がしない。池田理代子さんが出演するなら原作漫画を映せばいいのに。池田理代子さんはビョルンの表面だけを見ていたのではないかと反省する。ムービープラスさん、できれば日本語のパートにも字幕つけてよ。

 

ピアノを弾くビョルン。1974年のピアノ音源も残されていた。

 

映画「ミッドサマー」の撮影現場

ミッドサマー(吹替版)

ミッドサマー(吹替版)

  • フローレンス・ピュー
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ホラー映画と聞いてるので観ない。

 

ビョルンの妹も出演して母のことを語る。ビョルンは1955年1月生まれ、妹は1955年12月生まれで母親が同じで父親が違う。擬似双子と言われ、仲がよかった。

 

写真家、ジャーナリスト、ディオールのモデルをしていた母は、ある日、森の中で遺体で見つかった。ビョルンの父は明かされないまま。ビョルンが母の友達に話を聞きに行くが、忘れなさいと言うだけだった。目元は母似かな。

 

日本にも同行した恋人と電話でケンカ。今でもオートロックの暗証番号を隠し続け、日本でもほったらかしにしていた不満をぶちまけられた。

 

母の失踪を調べるビョルン。捜査記録を見せてもらう。遺体発見の写真は外してあるが、かなり詳細に書かれている。生々しい記録に涙を浮かべる。ビョルンは180センチ近い日本の感覚では長身だけど、母国ではそうでもないのが周りの人との対比でわかる。

 

1966年5月2日 ビョルンの母は農場近くの森で遺体が発見された。前年10月に失踪届けが出されている。

 

ビョルンの娘も出演。信頼できる父親や母親がそばにいれば、と「ベニスに死す」当時のビョルンを慮る。

 

2005年 ピンクテレビでインタビューを受けるビョルン。髪は短く、髭もないグレーヘア。ゲイ・コミュニティについて質問を受ける。

 

1977年 パリで映画撮影のため、1年滞在したものの結局企画は流れた。当時、もう少し知識があればパリ行きは断っていたと語る。

 

恋人との仲も復活!? ドキュメンタリーとはいえ、演出っぽいな。

 

娘が部屋を訪ねてきて、赤ちゃんの頃の写真を見る。娘には自分と同じことをさせたくなかった。知らないことがあればすぐに聞きなさいと常に言っていた。

 

1987年 妻は娘を連れて外出。ビョルンは泥酔し、隣で寝ていた息子が乳幼児突然死症候群で亡くなったことに気付けなかった。離婚し、鬱となりアルコールに溺れる日々。今でも真剣に責任を全うしていれば息子は生きていたと語る。

 

娘は「ベニスに死す」のオーディション映像を見るたび、辛くなる。服を脱がされて、落ち着かない表情。初めは美しい美しいばっかり思ってたけど、やっぱり見返すと戸惑いながらも笑顔でいるのがかわいそうに見えてくる。

 

でもあの美しい瞬間を切り取ったヴィスコンティすごいとも思ってしまう。「ベニスに死す」の映像も結構使われてる。

 

浜辺に佇むビョルン。エンディングで「永遠にふたり」が流れる。(終)

 

日本で受けたというのは、すごくよく分かる。少女漫画の王子様みたい。しかし、中身を見ずに消費し続けるという残酷な扱いをした。言葉が分からないからとかなり無理をさせたんだろうなあ。

 


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