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【ネタバレ】土曜ドラマ 山田太一シリーズ 男たちの旅路 第3部 第1話 シルバー・シート

NHK 1977.11.12

 

あらすじ

空港警備を担当する陽平(水谷豊)と悦子(桃井かおり)は本木(志村喬)という老人と知り合います。話好きの本木はガードマンたちから避けられていましたが、2人は本木を気に掛けていました。ある日、本木は空港ビルのロビーで倒れて息を引き取ります。陽平と悦子は供養のため本木のいた老人ホームを訪れますが、本木の友人たちから思わぬもてなしを受けます。数日後、老人たちは都電の車両を占拠して立てこもります。昭和52年度、芸術祭大賞受賞。

2023.5.26 BSプレミアム録画。

男たちの旅路

男たちの旅路

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空港

警備服姿の陽平と悦子が休憩中に雑談していると近くの席の本木という老人が若いのは今のうちだと笑い、ロンドンのハイドパークを知っとるかね?と聞く。本木が志村喬さん。

 

警備室

仕事終わりに私服に着替えた陽平と悦子は他の警備士からあの老人はいつも空港をうろついていて話しかけてきてしつこいと聞かされた。陽平たちは帰りのモノレールで偶然、本木に出くわし、何となく避けてしまう。

 

また空港警備の休憩中、隣のテーブルに本木がいた。本木本人も話しかけるとしつこいと避けられていると分かっているのに、それでも席を立とうとした陽平たちに話しかけてきた。ロンドンで12年間、通信社の記者をしていた。マクドナルドを知ってるかね?という本木にすごい混んでて〜などと悦子が答えると、イギリス労働党の党首だと言う。へえ〜。

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本木は1923年 ロンドンに渡る。第一次大戦が終わり、ロイド・ジョージが失墜し街には失業者にあふれていた。100年前! 話が途切れたので、陽平と悦子は席を立ったが、本木は椅子に座り込んでじっとしていた。

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警備室

仕事終わりの悦子が陽平に呼ばれて行くと、本木がロビーで倒れていた。

 

吉岡のアパート

陽平と悦子は本木が脳溢血でそのまま亡くなってしまい、冷たくしてしまったことを後悔していると吉岡に話すと、若い時は思わず残酷なことはしてしまうものだと励ました。

 

陽平と悦子は本木が住んでいた老人ホームに線香をあげに行った。

 

本木(志村喬さん)、門前(笠智衆さん)、辻本(加藤嘉さん)、須田(藤原釜足さん)、曽根(殿山泰司さん)…なんという豪華キャスト!

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1986年のドキュメンタリー番組では同じ事務所の加藤嘉さん、浜村純さん、花沢徳衛さん、藤原釜足さんが同じ事務所で毎年花見をするのが恒例だったが、1985年末に藤原釜足さんが亡くなったというところから番組が始まっていた。花沢徳衛さんの麻雀仲間として殿山泰司さんも出演してたし、藤原釜足さんの1つ年上の笠智衆さんもインタビューを受けていた。

 

本木(志村喬さん/1905~1982/当時72歳)

門前(笠智衆さん/1904~1993/当時73歳)

辻本(加藤嘉さん/1913~1988/当時64歳)

須田(藤原釜足さん/1905~1985/当時72歳)

曽根(殿山泰司さん/1915~1989/当時62歳)

 

加藤嘉さんや殿山泰司さんは当時60代。2023年の水谷豊さんや桃井かおりさんが当時の志村喬さんと同年代と言われても信じられない。

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このドラマではおばあさん役してたけど、それでもねえ。

 

酒を飲んで騒ぎ出した老人たち。

北の宿から

北の宿から

  • 都 はるみ
  • 演歌
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

陽平たちも一緒に「北の宿から」を歌う。

 

しかし、院長(佐々木孝丸)から酒を飲んだことを叱られる。佐々木孝丸さんは1898年生まれでさらに年上だったのか。だが、陽平や悦子には酒を出したが、門前たちは昼間の飲酒は禁じられていたため、水を飲んで騒いでいたと分かる。飲んだふりして俺たちをもてなしてくれたなんて、かわいそうだと陽平は5,000円、悦子は10,000円を寄付する。

 

空港警備している陽平は巡察に来た吉岡に老人ホームの老人たちのことを語る。他人に目がいくのはいいことだと陽平を褒めた。陽平は吉岡なら3万円くらい寄付したらどうかと言う。

 

吉岡は、その足で体調不良で休んでいた悦子のアパートを訪ねた。直らないタメ口を注意し、お見舞いの缶詰を渡して帰ろうとしたが、もう少しいてと言われてとどまる。年はとりたくない、早く死んじゃった方がいいと悦子が言い、そんなこと言うもんじゃないと吉岡がたしなめた。

 

警備中の吉岡を私服の陽平が訪ねた。門前、辻本、須田、曽根が都電をジャックした。都電の車庫で都電を占拠している門前は院長に要求があるわけではありません!と電車に閉じこもってしまった。須田は元都電の運転手。他も技術者など立派な仕事をしてきた人たちばかり。

 

陽平はシュークリームを持って老人ホームを訪れ、偶然、この事件を知り、院長も車庫長も警察沙汰にしたくなく、陽平が吉岡を連れてきた。ガードマン沙汰くらいならと言う陽平が面白い。吉岡が待遇に不満があるのかと尋ねても、門前はそうではないと答える。

 

吉岡は今晩一晩はこのままにしときましょうと夜が明けた。誠意を持って説得するという吉岡に車庫長はそんなことで納得するかといら立つ。吉岡の後ろに壮十郎(柴俊夫)。開始40分過ぎてようやく出てきた。

 

壮十郎はマスコミに訴えたいのではないか、壮十郎が新聞記者のふりをして話を聞きに行くと言うが、吉岡は門前たちを騙すのは良くないという。

 

院長「老人ホームにしてもかつての養老院のイメージに比べたならば格段に進歩してきておるし、改善されてきておる! それは結局、何だかんだと言っても世間の関心がそうさせてくれたんだ! そういうやさきに老人たちが電車を占拠したというような事が世間に出たならば、せっかく同情が集まりかけておる世間が…」

荘十郎「それは違うな! それは親の世話になってる学生は何も言うなという理屈と同じじゃありませんか。子どもや老人は何も言うな。不満を口にするな。世話になってるんだからおとなしくしてろって理屈と…」

院長「いや! それがいかんかね? 世話になっとる者はおとなしくしてろというのがどこがいかんのかね?」

荘十郎「じゃあ、金を稼がない人間は人間じゃないんですか? 金を稼ぐ人間だけがものを言えるなんておかしいじゃありませんか!」←字幕は”おかしいですよ”になってた

 

古い朝ドラを見ていても、ツイッターなどで院長的な批判をする人が多い気がしてモヤモヤしていた。

 

宿直室に悦子が来て、人質がいると言いに来た。人質は陽平。説得して夜中のうちに老人ホームに帰そうとしていたが、門前たちは陽平をからかうようなことばかり言って要求は言わない。逆に陽平に答えさせようとする。結局、雑談で盛り上がり、そのまま寝てしまって、朝になって陽平だけが外に出てきた。

 

警官が噂を耳にして車庫にやってきた。警官は家族を呼ぼうと言うが、院長は家族はいないと答えた。大事にする前に話をさせくださいと吉岡が頼んだ。

 

しかし、他の都電職員が勝手にパトカーを呼んでしまい、大事になりかけている。

 

電車に乗り込んだ吉岡は門前たちと話をする。

 

辻本「この、年を取るっていう事が年を取るまではどういう事か分からない。ひと事みたいに思ってる。…が、あっという間に自分の事なんだね」

門前「自分を必要としてくれる人がいません」

辻本「ただ世間の重荷になっちまう」

門前「私は人に愛情を感じる。しかし、私が愛される事はない」

辻本「仕事をしたくても場もないし、力もない。大体、仕事に喜びを感じなくなってくる。名誉なんてものの空しさが分かってくる」

門前「もうろくが始まったかなと思う」

辻本「しかし、自分のもうろくは自分じゃ分からない」

門前「捨てられた人間です」

 

ここのセリフのかけあい、すごい。じっと聞いている吉岡。

 

門前「いずれ、あんたも使い捨てられるでしょう。しかし、年を取った人間はね、あんた方が小さい頃、電車を動かしていた人間です」

辻本「踏切を作ったり、学校を作ったり、米を作っていた人間だ。あんたが転んだ時に起こしてくれた人間かもしれない。しかし、もう力がなくなってしまった。じいさんになってしまった。すると、もう誰も敬意を表する者はない」

門前「気の毒だとは言ってくれる。同情はしてくれる」

辻本「しかし、敬意を表する者はない。右手の不自由な役立たずのじいさんに誰が敬意を表するかと言われるかもしれない。しかし、人間はしてきた事で敬意を表されちゃいけないのかね? 今はもうろくばあさんでも立派に何人もの子どもを育ててきたという事で敬意を表されちゃいけないのかね?」

 

吉岡は黙ったまま。

 

辻本「空港で亡くなった本木さんにしても死ぬ前は昔の話だけをするただのじいさんだったかもしれない。しかし、昔ね、ロンドンで有能な記者だった事があるんだ。そういう過去を大切にしなきゃ人間の一生って一体何だい? 年を取れば誰だって衰えるよ。目覚ましい事はできないよ。しかしね、この人は何かをしてきた人だ。こうこうこういう事をしてきたっていうので敬意を表されちゃいけないのかね。それでなきゃ門前さんが言うように次々に使い捨てられていくだけじゃないの!」

 

車庫には警官たちも集まり始め、陽平も悦子も心配そうに見守る。

 

吉岡「お気持ちは分かりましたが違うんじゃありませんか? 私も似たような気持ちを持った事があります。いや、現在も持っていると言っていい。杉本陽平からお聞きかもしれんませんが、私はいまだに戦争というものを引きずってる人間です。戦争の体験から抜け出せずにいるんです。バカだと言われます。いい加減にしろと言われます。しかし、周りがあまりにも早く忘れ過ぎる。いや、忘れるだけならいい。誤解をしてたかをくくってる。それがやりきれなくて戦争から抜け出せずにいるんです。

たくさんの友人を失いました。その友人たちが内心は軍国主義反対だったと言われると違うと思い、軍の教育にだまされていたと言われると違うと思い、なぜ、反抗しなかったのだなどと言われるとカ~ッとして…。つまりは何も分からないんだと思います。せめて自分一人ぐらいは死んだ友人たちの本当の姿を忘れずにいようと思うんです。

しかし、それを世に訴えようとは思わない。言葉で伝えられるような事はたかが知れています。つまりは一緒に生きた人間が忘れずにいてやるしかないと思うんです。だれも皆さんに敬意を払わないのはご無念でしょう。しかし、それをこういう事で抗議しては立派な過去を汚すだけじゃありませんか? こんな事した皆さんを世間が敬意を表すると思いますか? 私は間違っているんじゃないかと思いますねえ」

 

門前「吉岡さん」

吉岡「は」

門前「あなたの言われる事は、それは理屈だ」

吉岡「理屈でしょうか?」

辻本「あんたはまだ若いんだ。若いから理屈で納得ができる。年寄りの無念な寂しさはあんたにはまだ分からない」

吉岡「そうでしょうか」

 

門前「吉岡さん、あなたの20年後ですよ」

吉岡「は?」

門前「20年後には今のこの私たちと同じです」

辻本「まあ20年後には分かる。あんたの言ってる事が理屈だという事が分かるでしょう」

 

吉岡「私は20年後の覚悟はできています。少なくともこんな事はしない。年を取れば分かるなどと言うぐらいなら、なぜこんな所へ閉じ籠ったんです! はっきり言いましょう。皆さんは甘えている。何を訴えたかったか考えてみろと謎をかけ、年を取ったら分かるなどと突き放すなら、なぜこんな事をしたんです! こんな事をした以上、通じても通じなくても、皆さんの思いを表へ出て言いなさい! そうでなければ若い連中には皆さんのした事が何の事か分からないでしょう。言いなさい。戸を開けて言うだけは言いなさい! でなきゃ、すねた子どもが押し入れに閉じ籠ったのと全く変わらんじゃないですか! さあ、開けましょう。戸を開けて外の連中にしゃべりましょう」

 

門前「吉岡さん」

吉岡「はい」

門前「押し入れに閉じ籠ったんですよ。私たちはすねて押し入れに閉じ籠った子どもです」

吉岡「皆さんは子どもじゃない。開き直るのはおやめなさい」

辻本「開き直ってるんじゃない。通じない事は百も承知だ。初めからこんな事をしてどうなるとは思っていなかった。ただ、空港で死んだ本木さんのお骨が帰って来た時に寂しくてね、無念でね、悔しくてね…。ただ、おとなしくばっかりして死んでたまるかと思った」

 

吉岡「それでもやるべきではなかったと思いますね。男はこういうふうに甘えるべきじゃなかった。そう言っておきます」

曽根「私はただ門前さんが『どうだい、電車をハイジャックせんか』と言いだした時はうれしかったね。ハハハハ…。ホームに入ってると万事、遠慮がちになるもんでね。そんな事は考えつきもしないや。パ~ッとね、パ~ッと目の前が広くなったような気がしたよ。久しぶりで目的があった。計画を立てながら生き生きしてたね」

須田「お前な! お前には分からねえんだ! そりゃ世話になってるよ。世話になってる人間がこんな事しちゃいけねえ。税金使って世話になってる人間はおとなしくしてりゃいいんだ。そんな事は分かってんだい! それでもな、それでも、ウワ~ウワ~ってムチャをやりたくなる年寄りの気持ちは、あんたになんか分からねえんだ!」

曽根「分かった。もういいやね、おっさん」

須田「分からねえんだ、あいつには!」

 

門前「吉岡さん」

吉岡「はい」

門前「これは老人の要領を得ん悪あがきです。黙って警察に引き渡してくれますね?」

吉岡「はい。黙って…」

 

門前たちは警察に引き渡された。吉岡は陽平たちにこのままでいいんですか?と詰め寄られるが何も言わずに警察の聴取に応じた。荘十郎は間に合わなくてもテレビ呼んだ方がよかったなと言う。吉岡が寂しそうなことが気になる悦子。

 

都電に乗る吉岡たち。早稲田行。吉岡はお前も年を取る、みんな使い捨てにされると言われたと言うが、それでも陽平は詰め寄り、荘十郎たちに止められた。(終)

シルバー・シート

シルバー・シート

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切ないねえ~。何より切ないのが20年後になったら分かると言われていた鶴田浩二さんがこのドラマの10年後の1987年に63歳で亡くなっていること。笠智衆さんより早くに亡くなっちゃった。

 

某動画サイトで2003年のNHKのテレビ50周年の特別番組で桃井かおりさんと水谷豊さんがゲストに出て「男たちの旅路」のことでインタビューされていた。二人は当時50過ぎでドラマ当時の鶴田浩二さんと同世代になったと話してたけど、若かったね~。

 

古いドラマを見ていると、見た目が変わらないことも一つの才能だと思うけど、長生きも一つの才能だと思う。今、再放送を見ている「3人家族」の三島雅夫さん、竹脇無我さんどちらも60代でお亡くなりになってて、もっとお芝居が見たくても見られない。近しい関係じゃないから気軽に言えるのかもしれないけど、長生きしてるだけで敬意を表したい。←なんだか上から目線だね。