公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意
熱を出した淳之介の世話を光代(星由里子)から取り返したあぐり(田中美里)は、それ以来淳之介の世話をするようになった。望月組は大きな工事を請け負うことになり、健太郎(里見浩太朗)はエイスケを東京から呼び戻さなければならない、と仕送りを止めるが、他に金を出してくれる人がいるようで、エイスケは帰って来ない。勇造(若林久弥)の受験の願書締め切りの日、健太郎が倒れ、勇造はこのまま受験していいものかと悩み…。
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「淳之介は私の子供です。このままだと私、淳之介の母親じゃなくなっちゃいます。私が看病します」とはっきり光代に言ったあぐり。
幸い、淳之介の熱は間もなく下がり始め、大事には至りませんでしたが、この家に嫁いで初めて姑に逆らったあぐりでした。
逆らってはいないけど、言う事は聞いてなかったよね?と思う。光代が淳之介にべったりだったのも、あぐりが木に登ったり、妊娠中に自転車に乗る、椅子から落ちる等々見ていたら心配になるという感想を見て、それも一理あるなと思った。なんたって16歳だしねえ。16歳の結婚は当時はよくある事だったってことでもなかったとあぐりさん自身も言ってるしね。
80年代朝ドラを続けて見てきて戸惑ったのは、数え年の概念だった。産まれて1歳、正月明けてまた1歳…というのが慣れていないと難しい。そういえば「あぐり」ではこれまでの話から言って、もう数え年で何歳みたいな表現は一切使ってないんだなーとふと思った。あぐりが16歳と言ったら満年齢の16歳なんだよ。90年代になると説明を入れないと分からない人が多くなってきたからその辺は省いているのかな。
1週間後
女中たちに離乳食の指示を出すあぐり。女中たちは奥様とお嬢様の間に何があったんだろうと勘ぐった。結婚して、子供を産んでも”お嬢様”と呼ばれ続けるあぐりだけど、エイスケが正式な跡継ぎになってないからなのかなと思ってます。
あぐりは淳之介との時間が増えて喜んでいました。そしてこの前の事であぐりはやはり自分の意見は言うべき時に言った方が良いのだとひそかに確信していたのでありました。
望月組は来年の3月から鉱山の鉄道工事の一切を特命で請け負うことになった。2月には健太郎たちは倉敷で暮らす。それまでにエイスケを呼び戻すって、御大、まだあきらめてなかったのか?
健太郎はエイスケの仕送りをやめると言い出した。仕送りしてたんかーい! お金持ちの子で生活力がないとすれば、親が心配して仕送りしちゃうのかもね。
勇造は悩んでいた。エイスケが帰って来なくて、勇造が東京の大学に行くと男は健太郎一人。2月には鉄道工事で健太郎も妻五郎もいなくなり、半年くらいこの家に男がいなくなる。「それでも僕は東京へ行ってええんかな?」
あぐりは「家のことは気にしないで勇造さんの思った通りにすればええんよ。勇造さんは勇造さんの人生があるんじゃから。エイスケさんのことなんか考えずに自分の決めた道を進むべきよ」と言うが…
笑顔であぐりに答えたものの勇造の気持ちは迷ったままでした。そしてその年も暮れて大正14年の正月がやってきたのでした。
大正14年(1925)正月
あぐりが望月家に嫁いで2度目の正月もやはりエイスケの姿はありませんでした。
健太郎は世津子に電話した。エイスケの仕送りはやめたことを伝えるが、世津子は、エイスケにお金を出してくれる女性がいることを匂わせた。そのやり取りを聞いていた磯辺。こりゃ広まるだろー!
大正14年(1925)2月
世津子が言うように仕送りを止めたぐらいではエイスケは戻ってきませんでした。そしていよいよ勇造の受験の願書締め切りの日がやってきたのです。
勇造の志望校は東京本郷にある第一高等学校。勇造はあぐりと同じ歳なのかな。あぐりは前年、大正13年3月に女学校4年で卒業予定だった。旧制中学5年で卒業で、高等学校受験ということか。
しかし、健太郎が過労で倒れた。今度は仮病じゃないよ! 健太郎には早く願書を出せと言われた勇造だったが、妻五郎と磯辺に望月組を継ぐよう土下座された。大の男が必死で頭を下げる姿に勇造の心は揺れる。
願書を出しに出かけようとした勇造にあぐりが御守を手渡し、勇造も郵便局の窓口まで行ったものの、夕食時になっても姿をあわらさない勇造の部屋に行ったあぐりが見たものは、勇造の机の上の願書と御守だった。
勇造がかわいそうっぽく見えてしまうけど、エイスケだってたまたま長男に生まれただけで望月組を継げというのはかわいそうだと思うし、あぐりだって家のために嫁いできたんだもんね。
しかし、この話、救い?があるなと思うのは、今も岡山に吉行組が存在してるということです。