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【連続テレビ小説】あぐり (28)「赤ちゃん誕生」

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

エイスケ(野村萬斎)は、ちょっと出かけてくる、と言い残し東京へ行ってしまう。光代(星由里子)はますます淳之介を離さず、あぐり田中美里)は口出しできない。勇造(若林久弥)も夢をあきらめなければならないか、と元気がない。そんな勇造に、健太郎里見浩太朗)は自分が選んだ道を進め、と元気づける。健太郎あぐりと淳之介を東京へやったらどうかと光代に話すと、光代は風邪気味の淳之介を連れて出かけてしまい…。

エイスケさんが岡山に普通にいたんだとか、今週のは忘れてる展開が多い。次の展開の方が印象に残ってて、そういえばあの人出てたよねえ?とか調べちゃったよ。

 

部屋でぼんやりしているエイスケは、いつもの赤いスカーフを巻き、出かける準備をしていた。すべてを察したあぐりは「出かける前に…淳を抱っこしてあげて下さい」と話しかけた。「乳臭いなあ。さっき沢山お乳飲んだからなあ…」。

 

「ちょっとその辺まで」と言って、エイスケがそのまま東京へ行ってしまったのはその日の午後の事でした。

 

それから4か月後

大正13年(1924)10月

 

光代は淳之介の離乳食にも使用人に細かく指示を出していた。

・カボチャはちゃんと裏ごしすること

・牛乳は人肌に冷ます

・重湯のお塩をあんまりきつくしないこと

まー、使用人たちがそれぞれやってくれるのはありがたいね。

 

「いつもお乳ばっかりじゃつまらないものねぇ」と離乳食を持って来た光代があぐりが抱いていた淳之介を取り返した。「今度はカボチャちゃんにしましょうねぇ」。

 

ツイッターで見かけたけど、昔はおばあちゃんがかみ砕いたものを孫に食べさせてたと言うのを見て、私の母も父方の祖母が兄にそうしていたのを「やめて」と言えなかったというのを急に思い出しました。テレビだからマイルドにしてるけど、昔ならそういうのもありだったのかと思うと…(-_-;)

 

あぐりが廊下に出ると勇造が下を向いて座っていた。勇造は元気もなく食欲もないとあぐりは指摘するが、勇造は「僕の方よりお義姉さんの方が大変じゃろ」と気遣う。

 

事務所で健太郎が寝ていると、妻五郎と磯辺が望月組の跡継ぎについて話していた。勇造が跡継ぎ!? 勇造にも夢があるという話から磯辺の夢の話へ。活動の弁士になりたかったという磯辺は「紫紺の空には 星乱れ 緑の野辺には 花開く 千村万落 春たけて 春や春。春 南方のローマンス」って一節やるが、今じゃ毎日こき使われるしがねえ「金庫番」だと愚痴った。

 

健太郎が起きて「20年前に岡山の駅で食うや食わずでフラフラしとるのを無理やり連れてきたのはこの俺じゃ。のう? 毎日こき使って悪かったのう」と嫌味を言った。

 

磯辺の話していたのは1917年 アメリカの「南方の判事」という映画での弁士のフレーズらしい。 

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エイスケからの便りを待つあぐり健太郎が話しかけた。健太郎はエイスケの自転車に油をやっていた。「この自転車はなエイスケが欲しがるもんでわざわざ神戸から取り寄せたんじゃ。高い金払うての。エイスケには何でも欲しい物与えてきたんじゃが…。それがかえって悪かったんかのう」

 

これはなー、本人の資質とかいろいろあるもんね。健太郎は夜、勉強している勇造の部屋に入り、「エイスケが帰ってこようがこなかろうがお前が自分の選んだ道を進めよ」と受験勉強を応援した。しかし、勇造みたいに空気読む子にこういう激励は逆効果かもしれない。

 

健太郎は光代に「望月組は俺の代で終わるかもしれんな…」と話しかけた。エイスケはもう駄目、淳之介が大きくなるまで元気でいられるか分からない、勇造には好きなことをさせてやりたい。そして、エイスケがこのまま帰ってこないなら、あぐりと淳之介を東京へやったらどうかと提案した。「私はそんなの認めません! 淳之介は手放しません…」と光代は反対。

 

翌日、光代が風邪気味の淳之介を連れて出かけてしまった。夜になって熱を出した淳之介を取り返そうとした光代にあぐりははっきりと「淳之介は私の子供です。このままだと私淳之介の母親じゃなくなっちゃいます」と言った。

 

この家に嫁いで初めて姑に逆らったあぐりでした。

 

光代さんも愛情深い人ではあるんだろうけど…嫁姑問題というのもやってたんだねえ。