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【ネタバレ】加藤隼戦闘隊

1944年 日本

 

あらすじ

新鋭戦闘機「隼」を乗りこなし、第二次大戦で活躍した加藤建夫の伝記映画。イギリス空軍の戦闘機スピット・ファイアーなどを実際に使った空中戦も見どころで、特技監督円谷英二が担当している。昭和16年12月初旬、フコク島へ進駐した加藤部隊長(藤田)率いる部隊は、西へと航行する大船団を空から援護をするよう命じられるが・・・。

2022.8.14 日本映画専門チャンネル録画。

 

今、再放送を見ている「本日も晴天なり」の舞台が昭和19年夏。この映画は1944年3月9日公開。

 

撃ちてし

止まむ

 

情報局撰定 國民映画

後援 陸軍省

 

広東

16年4月

 

加藤建夫(たてお)が台湾から飛行機で飛んできた。

 

看板が「かとうぶたい本部」と平仮名なのは子供も観る映画だからだろうか?

 

立派なお屋敷?は支那の空軍大将の官舎だった。ピアノもある。今度、部隊歌ができたという話題から一人がピアノで伴奏し、みんなで歌う。

加藤隼戦闘隊

加藤隼戦闘隊

  • 春日八郎 & ボニージャックス
  • 謡曲
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

フルコーラスかな。

 

軍歌らしい勇ましい曲調の間にしんみりした曲調の部分があり、歌を聴いていた加藤は北支時代を懐かしんだ。

 

かくて数ヶ月を経た頃

 

新鋭戦闘機

「隼」号が

配備された

 

うわー、空撮! 官舎にいる兵士たちも窓から見ている。加藤隊長殿は完璧に乗りこなしていると兵士たちは噂していた。

 

加藤は他の隊員たちに地図を使って説明していた。広東から海南島に行き、仏印のツーランからクニへ。クニの飛行場は水浸しで使えない。フコク島の方が役に立つ。遠くまで行ったために腰が痛い。やっぱり歳かなと笑う。

 

サイゴンへ寄ってコーヒーひきを買ってきて加藤自らコーヒー豆をひく。

 

加藤役の人、おじさんだけど棒読みっぽいなあ。加藤建夫は明治36(1903)年生まれで昭和16(1941)年4月は37歳。加藤役の藤田進さんは明治45(1912)年生まれだから映画公開時は32!? すごいおじさんに見える。

 

12月初旬

部隊は

フコク島へ

進駐した

 

17時30分

出発

 

夜、雨の降る中、飛び続ける。

 

疲労、錯覚、昏迷…

 

「おい、スペリーを空に向けろ」というセリフ。敵性語とかいうけどそんなに厳密ではない!?

 

既に

陸地上空に

達してゐる

時間である

 

しかし

厚い雲に遮られて

目標燈は

見えぬ

 

目標燈か?

 

四百米まで

降る

 

つづくもの

小田機のみ

 

中光と築地は落ちた。もうガソリンがなくなる。

 

23時

加藤は無事到着。安場に高田を死なせてしまったと語る。

 

12月8日

 

戦闘機が敵機を爆撃。炎上3機、爆破3機。もう何が何だか。加藤は山下兵団が強行上陸したこと、海軍がハワイの真珠湾を攻撃して太平洋艦隊の主力を全滅させたと聞き、喜ぶ。

 

加藤部隊はクアラルンプールを殲滅するという加藤。第二中隊は敵の囮になり、安場中隊が攻撃。加藤部隊にとり、大東亜戦争における初の空中戦。

 

この空撮?特撮?がすごいな〜。

 

勝利した時に流れる「加藤隼戦闘隊」インストバージョン。

加藤隼戦闘隊

加藤隼戦闘隊

  • provided courtesy of iTunes

その夜、加藤はハエ叩きで一つ一つ落とすのではなく、うちわのようにまとめて落とすと語る。

 

北村部隊と小山部隊はラングーンを攻撃。建物の爆破がすごい。北村部隊は敵から囲まれ、攻撃を受け、加藤部隊は出遅れた小山部隊を援護し、無事だったが、北村部隊には犠牲者が出た。敵機を深追いしたことに不快感を示す加藤。

 

さっきまで激怒していた加藤はヤシの実?に自ら切り分け、落ち込んでいる部下も呼び寄せ食べさせた。南国のフルーツかなあ。カラー化求む。

 

コタバル

17年 正月

餅つきしてる〜。鶏を捕まえたり、そんな隊員たちにカメラを構え、笑顔の加藤。

 

勇ましい場面だけじゃなく犠牲が出ていることも描いてる。

 

2月6日 カハン

 

落下傘部隊の男が訪ねてきた。加藤部隊の者たちは食い物が悪くて腹下してると笑いながら話してるけど、過酷だね〜。

 

ずらーっと並んだ戦闘隊と落下傘部隊。

 

諸子よ

勇みて征け

 

戦闘機に乗った落下傘部隊が次々、空へ。えー! 上陸して攻撃するの? 怖過ぎない?? 空に浮かぶ沢山の落下傘。地面に落ちた者たちは銃撃を始める。ドキュメンタリー?

 

加藤部隊は次の地へ飛び立つ。

 

17日

加藤部隊

パレンバン

 

3月9日

蘭印軍(オランダ領東インド)

無条件降伏

 

この間

部隊長中佐に

進級

 

部下に散髪してもらっている加藤。内地にいる時、コンタックス(カメラ)を落としたと部下たちに話す。普通にコンタックスとか言ってるね。

 

タイに進駐

 

4月8日

攻撃を受ける。加藤は無事だったものの犠牲者も多く出た。安場も小田も亡くなった。

 

夕食時、加藤は明け方に攻撃しようと提案するが、夜間飛行は山の間を通るので危険だと言われたもののその作戦を遂行する。

 

明け方、銃撃を始める。反撃され、入院している榎。見舞いに来た落下傘部隊も仲間がデング熱にやられているという。

 

18日

敵機500機が攻撃してきた。静養を終えた加藤が蹴散らす。みんなが駆け寄った先には両手を上げた大柄のアメリカ人が立っていた。この後どうなる!? その後、飛行機を降りてきた加藤をみんなで歓迎する。榎も復帰。タバコを吸わない榎が加藤にタバコを渡す。この時代、タバコを吸わない人がいたのか!

 

もうひとつお土産だと言って見せたのは榎が撮影した加藤の散髪写真。原版をよこせとじゃれ合う。榎はこの写真は宝物だと笑う。

 

射水准尉が不時着し、その場所が敵か味方か分からないものがウヨウヨしているややこしい場所だという。ビルマ義勇軍に頼んだ方がいいという話から、その中の日本人将校と話をしようとするが、不在。もう一度行って、連れ帰るように命じた。

 

加藤は部下たちにヒトラー総統の自慢の飛行機に乗った話、イタリアのスパゲッティの話をしたり、桜鳥の話をしたりして将校を待つ。既に夜中の1時。

 

夜間は困難ということになり、その夜は解散。

 

翌朝の正午までに義勇軍から連絡はなかったが、加藤はもう少し待つことにした。隊員の一人、進藤が寒気がすると言い出した。加藤はデング熱と判断し、命令して帰らせた。

 

2時、そろそろ帰るかという話をしている時、爆発音がした。

 

この日

昭和17年

5月22日

 

神鷲

去って

また帰らず

 

アキヤブ西北

約80粁(キロメートル)海上にて

遂ニ之ヲ撃墜セルモ

此時 部隊長ノ愛機ハ

火ヲ発シ

 

部隊長又重傷ヲ

負ヘルモノノ如ク

最早之迄ナリト

見事ナル反転操作ニヨリ

海中ニ自爆

壮烈ナル戦死ヲ遂グ

 

海の映像、戦闘機が飛ぶ映像、加藤隼戦闘機の歌が流れる。

 

前線は待つ

鐡(鉄)を

飛行機を

 

終わり

 

これがまだ戦時中の映画なんだなあ〜。かなり美化してるところもあるんだろうけど、犠牲者も出ていること、デング熱などで苦しんでいることなどネガティブな話題もそこそこ出てくる。何より加藤部隊長が戦死するところまで描いてるしね。戦意高揚というより暗澹とした気持ちになるような。

 

そういや美化かどうか分からないけど、部下たちが並べられてビンタされるとか鉄拳制裁は一度もなかったな。加藤部隊長は部下にもフランクで優しい。

 

それにしても飛行機のシーンはすごい。怖くなる。

 

志村喬さんも出演されていたそうだけど、見つけられなかったな〜。そんなに長い映画じゃないけど、いちいち一時停止してたからめちゃくちゃ時間かかった。オープニングもエンディングも出演者のクレジットは一切出ないのでドキュメンタリーかと思っちゃう。