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ドラマの感想など

【ネタバレ】夢を生きた男 ザ・ベーブ

1992年 アメリ

 

あらすじ

メジャーリーグ史にその名を残す名選手ベーブ・ルースの半生を映画化した伝記ドラマ。さまざまな問題を起こす不良少年だったベーブは、野球と出会い、その才能を開花させる。やがてプロ選手となったベーブは投打で次々に記録を打ち立て、ヤンキースの黄金期を築くが…。予告ホームランはじめ数々の伝説で知られる不世出のホームラン王を演じるのは名優ジョン・グッドマン。プレーでのしぐさや表情、そっくりぶりも話題となった。

2022.8.17 BSプレミアム録画。なぜか野球をテーマにした作品が好き。プロ野球メジャーリーグも全然見ないのにね。

 

1902年 ボルティモア

聖メアリー工業少年院

7歳のルースは父親に連れられて、父は仕事、母は病気で手に負えないと入れられた。体が大きく、10歳ではないかと神父に言われるほどだった。父親もかなりの大男に見える。その施設で野球を始めた。

 

14年後 1912年

ボルティモアの球団のミスター・ダンが後見人としてルースを引き取りたいという。6歳でタバコ、7歳で酒を覚えたルースは矯正不可能と修道士は言うが、父は会いに来ず、母も亡くなり初めて必要とされたのだと神父は少年院から出ることを許可した。

 

大人になったルースはジョン・グッドマン。「オールウェイズ」のアル。

peachredrum.hateblo.jp

当時の記録映像的なやつも再現。あれ、本物じゃないね。

 

レッドソックスのパーティーに出席したベーブ・ルース。スピーチを忘れたと言って、3つ数えたら指を引っ張れと指示し、大きなオナラをして「船が出るぞ〜!」。下品なジョークにみんなドン引き。

 

試合の日、シャンペンを1箱飲んでベロベロのルースが試合に出場。それでもセンターのフェンスを超えるホームランを打った。

 

ピッチャーとしても活躍するルース。審判に退場と言われて審判を殴りつけた。

 

ウェイトレスのヘレンを好きになったルースはデートに誘い、ボートの乗ってキスをしようとして拒まれ、ヘレンは泳いで逃げようとしたが、ルースがボートから落ちて溺れかかったため、戻ってきて助けた。

 

ルースはヘレンが気に入った農場をその場で購入し、ヘレンにプロポーズした。

 

ルースはヤンキースに移籍。パーティーでまたしてもでかいオナラをするが、今度は大ウケで大盛り上がり。連日、お祭り騒ぎのニューヨークにうんざりしたヘレンはボストンの農場に帰りたいという。

 

酒場に繰り出したルースはボストンのパーティーで出会ったクレアという女優と再会。一夜を共にし、監督になりたいという夢を語る。

 

ヘレンのいる農場に行ったルースは2人の子供だと言って赤ちゃんをヘレンに会わせた。黒人メイド付き。2人の養子だというとヘレンは喜んだ。本当か〜? 球場に娘のドロシーを連れて観戦に行ったヘレン。記者に囲まれるが、クレアが助け舟を出してくれた。

 

その試合でランニングホームランを打ったルース。試合後に病気の息子を持つ父親からサインが欲しいと言われ、病院に行き、少年と会った。明日の試合でホームランを2本打つと約束したルースは約束通り2本のホームランを打った。試合後、少年に早く元気になれとメッセージを送る。

 

1922年

ニューオーリンズ

春季キャンプ

ルースは遅刻。監督は太り過ぎだと怒る。ユニフォームも着ないでくわえタバコのまま、ホームランをガンガン打つ。

 

仲間を呼んでスペアリブを振る舞っていたルースの元にヘレンがドロシーを連れてきた。ファンや仲間は大切にするのに私は?とケンカになり、ヘレンは離婚の手続きをすると出て行った。イライラして監督に怒りをぶつけたルースは5000ドルの罰金と2週間の出場停止。

 

1925年8月

スランプのルースは右打席に立ち、打ったもののアウトになり、審判に砂を投げつけ退場。野次を浴びせる観客にも食ってかかった。

 

ロッカールームで一人泣きじゃくっていたルースを見つけて慰めたのはクレア。その後、クレアと結婚。禁酒し、10キロの減量に成功した。クレアは野球を辞める日がくるからお金を稼いでおけとアドバイス。このままではルー・ゲーリックに負けるという。

 

1927年

ゲーリックとルースはホームラン記録を争う。同じチームなんだね。

 

1932年

シカゴ

ワールドシリーズ

ルースはホームランを打つ。

 

1933年

感謝祭

ヘレンが自宅の火災で死亡したと知らされた。

 

1934年

ルースはオーナーに監督になりたいと申し出たが、自分を管理できない男に監督はできないと断られた。ニューアークの監督にと言われてもマイナーリーグは嫌だと断った。

 

その後、ボストン・ブレーブスに移籍。球団の副社長兼選手兼助監督。オーナーはルースを人集めの道具としか思っていないことを知る。バットを振った勢いで倒れて口から血が出たが、場外ホームランを打った。野次られる中、2本目のホームラン。そして、次の打席でまたホームラン。

 

観客の一人がルースに声をかけた。青年はいつかの病気の少年ジョニーだった。

 

ルースが打った714本のホームラン記録は1974年にハンク・アーロンが塗り替えたが、ベーブより2500打席多かった。彼は監督になるという夢を果たせぬまま、1948年8月16日に喉頭ガンで亡くなった。(終)

 

やっぱり野球映画好き〜。ベーブ・ルースがそんな波瀾万丈な生涯とは知らなかったし、日米野球で来日した1934年は完全に選手としては晩年みたいな感じだったのも知らなかった。全盛期のベーブ・ルースを日本人が見たらびっくりだったろうなあ。

 


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