公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意
明治38年(1905)2月、日露戦争を撮影しに行った兄・嘉助(柳沢慎吾)の手紙が旅順から届く。無事で安心するりん(斉藤由貴)たちに、下宿人の後藤(斉藤暁)が結婚の報告に。最後の1人の後藤も、月末に下宿を出るのだ。思わず涙ぐみ場を外すやえ(樹木希林)。源造(渡辺謙)は、「年をとると、嘉助や息子同様にかわいがった後藤と離れるのがつらいのだろう」と話す。やえの様子が何かおかしいと案じるりんだったが…。
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先週末の回は明治37年4月で、それから1年近く経ったことになります。
明治38年2月、旅順から来た嘉助からの手紙を回し読みする家族。「おしん」を見てると、家族みんなが字が読めるってすげぇ!と謎の感動があります。やえさんだけは端の方でぼーっとしてて心配になる。そこに入ってきた後藤は今度結婚することになったから下宿を出ることになったという報告があった。
いつ招集されてもいいようにと故郷の両親が遠縁の娘を紹介してくれたという。東京に住んでて恐らく同郷の人と結婚する…私には理想的。今月末には下宿を出ると言われて、やえは台所で涙をぬぐっていた。
「カーネーション」の糸子の親世代が日露戦争に行った世代だったっけ。と思うと、糸子って結構昔の人だね…とモデルの小篠綾子さんは大正2(1913)年生まれでした。
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「おしん」の少女時代(明治41年頃)に出会った俊作あんちゃんは二百三高地で戦った軍人で、松じいは戦争で息子を2人も亡くした人で…結構、いろんな作品でも見てきたんだな。おしんは明治34(1901)年生まれ。
それを見ていたりんは、そのことを源造に報告するが「年寄りは~」と言ってたけど、40は初老、多分やえは50近くくらい? 立派に年寄り扱いされる年齢か…。
花田、浦野が明治36年の時点で結婚して下宿を出ていて、そこから下宿人を入れなくなったのは、りんが新聞社で働き始めて、やえは孫たちの世話があるから、下宿人の世話も大変になったからではないのかな。子供が増えてきたら部屋も必要だし。
源造の借金を返し終えた今となっては下宿人からの家賃収入がなくても、源造とりんと弘次郎の稼ぎで何とでもなりそうな感じもする。
キヨはもう小野寺家に住んでるらしく、弘と一緒に勉強を見て欲しいと部屋に入ってきた。キヨの勉強をりんが、弘の勉強を源造が見ていた。
志津川生まれのキヨちゃんが、相馬→東京と移り住んで、地頭がよかったのもあるんだろうけど、英学塾に通えるとは、やっぱ東京はすげぇなあと思ってしまう。あの津波で親を亡くさなかったら、もしかしたらそろそろ嫁に行く準備とかしてたのかも。津波が明治29(1896)年6月15日、キヨちゃんが当時4~5歳として、もう女学校に入る歳になったんだねぇ(しみじみ)。
田舎で頭がよくたって、花田のように東京で勉強してきなさいなんて女の子ならまず言われないだろうし…と志津川とまあまあ近いところに住んでる私は思う。ま、鶴次先生が親代わりであのまま相馬に住んでたら仙台の女学校に入ってたとは思いますが。
みどりは”橘みどり”となって生まれた赤ちゃんと二人、嘉助の帰りを待っています。子供の名前は”大吉”。昼間、徳右衛門とやえと話をしていました。女学生の頃、泊まりに来たのも何かの縁だったんだねぇ…。
ある朝、りんが寝坊して慌てて台所へ行くと、やえもいない。2人して寝坊していた。慌てて朝食の準備を始める二人。火を起こすところから始めるなんてとんでもないことだよなぁ。
玄関先で後藤とりんを見送るやえ。りんはやえの体調を心配するが、そこにやってきたのは大吉を背負ったみどりで「何か変なことが書いてある」と紙を差し出した。
それは嘉助が死亡したことを知らせたものだった。嘉助…元気そうな手紙と言い、これから親孝行するとか夢を語っていたこととかフラグだったの…。いやー参った、参ったと帰ってくるんじゃないのかな。まだ信じない。