徒然好きなもの

ドラマの感想など

【ネタバレ】海峡

1982年 日本

 

あらすじ

青函トンネル開通工事という巨大プロジェクトに関わった人々の生き様を描く群像巨編。青函トンネル作りに執念を燃やす国鉄の技術調査員・阿久津剛(高倉健)、昭和29年青函連絡洞爺丸が台風のため遭難し母と死に別れた成瀬仙太(三浦友和)、そして、関門、深沢、倶利伽羅と日本中のトンネルを掘り続けて来た明治生まれの岸田源助(森繫久彌)。世代の違う三人の男たちが、津軽から北海道へ、津軽海峡の底に"道"を築き出して行く。

2021.2.26 日本映画専門チャンネル録画。大作日本映画を観たくなりました。東宝50周年記念映画。

 

昭和29年9月26日 青函連絡船 洞爺湖丸他遭難 乗客職員1430名死亡

 

昭和30年2月18日 津軽海峡連絡ずい道技術調査委員会設置

 

地質学を勉強していた鉄道員・阿久津剛が青函トンネルを作るため地質調査に竜飛に来た。阿久津の荷物を持ってきたおじいさんは「おしん」の松じい(大久保正信さん)だー! 船を出してくれた漁師が山谷初男さん。「はね駒」の梅沢先生ね。東北訛りを喋れる人を集めたな!? 松じいは阿久津の下宿先の老人。

 

岬に赤い着物の女性が立っていて阿久津が助けた。女性は何もしゃべらない。吉永小百合さん? すっごい美人だし、80年代といえばアラフォーなのにな〜。

 

いつもの料理屋に女性を連れて行くと店主で身重のおれんが今にも赤ちゃんが産まれそうになっていた。産婆を呼びに行き、無事出産。阿久津が名付け親となり峡子(きょうこ)と名付けた。

 

阿久津の恋人から手紙。恋人の佳代子が大谷直子さん。父が笠智衆さん。

 

阿久津の下宿先にじゃっぱ汁を持った多恵(吉永小百合さん)が訪ねてきて、阿久津が集めていた石の1つを大切そうに懐に入れて帰った。

 

昭和32年3月1日 明石海峡調査出張所勤務を命じられる。

阿久津は局長に異議を申し立てた。局長が北村和夫さん。大滝秀治さん演じる岡部に相談するも、結局、青森から離れることになった。阿久津はトンネルさんと呼ばれ、地元の人からも愛されていて、絶対戻ってこいよと送り出された。

 

多恵はおれんに身の上話をしていた。福井の旅館で働いていたが、不注意で火事を出し、お客様を11人死なせてしまい、死のうと思っていた。おれんはこのままここにいればいいと言った。そんな話をしていると、阿久津が結婚したという知らせが入った。ショックを受ける多恵。

 

十河国鉄総裁が辞任し、石田国鉄総裁になった。

 

昭和39年3月 日本鉄道建設公団発足

昭和39年9月1日 青函トンネル調査事務所工事第ニ課長を命じられた。

国鉄のトンネル男集合。小林稔侍さんだ。高倉健さんの付き人?だからよく共演してるよね。寒い地域なので津軽海峡まで人を集めたり、家族の賛同を得るのが大変。

 

日本中のトンネル工事をしてきた岸田源助(森繁久彌さん)をスカウト。「あんたなんぼじゃい、歳は」と聞かれた阿久津は「36」と答えた。ま、昭和39年だからな。寒い満州終戦後、妻子を亡くした岸田。

 

しかし、音楽が「はね駒」的電子音楽が気になるな。

 

竜飛に戻った阿久津は多恵と再会。

 

青函トンネルの会議。阿藤快さんいる。岸田の部下たちも竜飛へ来るが、厳しい寒さに「親方、九州へ帰ろう」と言うが、岸田は残ると言った。工事中、足を滑らせ岸田が連れてきた塚本(奥村公延さん)が転落死した。

 

阿久津の妻子が竜飛に来て、多恵が案内役をした。来て早々、息子は風邪を引き、こんな所で冬は越せないと言う佳代子。

 

昭和41年2月 本州側竜飛調査斜坑掘削開始

 

ケンカをしていた若者達を止めた阿久津。若者の1人は洞爺湖丸遭難事故に遭い、助かった成瀬仙太で阿久津とは幼い頃に会ったことがあった。成瀬は角刈りの三浦友和さん。昭和41年度の日本鉄道建設公団の面接にやってきたが、ケンカで怪我をしていたため、採用を見送ろうという話になるが、阿久津が鍛えればモノになると採用した。

 

昭和42年9月 発破 ここから海底を掘り進める。

 

岡山で義父・才次の世話をする佳代子。やっぱり竜飛の暮らしは合わなかったか。気持ちわかるけどね〜。私も地元の冬が年々辛くなっている。

 

昭和44年2月 地鳴りがしてトンネルから水があふれ出した。

2ヶ月で5メートルしか進まない。

peachredrum.hateblo.jp

あったよね〜、これでも。破砕帯というやつか。

 

佳代子からの手紙で才次がついに寝たきりになり、一度帰ってこないかと書かれていた。

 

しかし、仕事を放っておける状態ではない。阿久津は右に迂回して進み直そうと提案した。

 

昭和45年1月 発破。斜坑の底1315メートル。

 

昭和46年4月 青函トンネルは調査線から工事線に編入

昭和46年9月 青函トンネルの実施計画を認可した。工事期間10年。

 

佳代子が阿久津の部屋をふいに訪れると鍵が開いていて、多恵が掃除機をかけていた。佳代子は多恵に高そうなマフラーをプレゼントした。おれんは奥さんだって長い間ほっとかれるのはかわいそうだ、生身の女なんだからみたいなこと言うけどさー、やめてよ。「澪つくし」でも女の一人寝は辛いみたいな男側の願望が気持ち悪かったんだよ。

 

入院中の才次には賄いのばあやさんがついている、佳代子は息子が中2で受験を控えているため、長くはいられないと言った。

 

多恵を女房に似てきたと語る岸田。森繁久彌さんはひどいセクハラジジイと聞いたことがあるのでハラハラするシーンだ。多恵は終戦時10歳と聞き、娘よりちょっと年上だと語る。

 

昭和47年3月 民間企業体 北海道側本坑工事に参加

昭和47年5月 民間企業体 本州側竜飛本坑工事に参加

 

成瀬仙太と峡子が結婚!? 峡子は18歳で学校を出たら小学校の先生になるので結婚はまだまだ先とは言ってたけど、了承した。

 

阿久津剛 竜飛鉄道建設所長から青函建設局次長へ

 

昭和51年5月 阿久津の息子・修が友達と訪れた。トンネル内を見学する。資材を運んでいた積荷の紐が突然切れて修達の目の前で作業員の頭が資材と壁に挟まれ亡くなった。

 

昭和51年8月 才次危篤の知らせが入ったもののトンネルに水があふれだし、帰るどころでなくなった。ついに「チチシス」という電報が届いた。阿久津は本坑に水を抜くという決断を下した。大量の水で成瀬は怪我を負ったが無事、岸田は重傷を負い、「北へ…風は抜けたぞ…」と言い残し、息を引き取った。

 

昭和57年 先進導坑の貫通する日が近づいていた。局長である阿久津が挨拶をし、最後の発破をかける。感動のシーンなのに音楽がなんか軽い。

 

佳代子は東京で働いている。阿久津は岬の岸田の墓に花をたむけていた。竜飛を離れるため、多恵に挨拶に来た。出会って25年。阿久津は「1本つけてもらおうかな」と席についた。阿久津は多恵にも酒を注いだ。一つのおちょこで酒を飲み合う2人。

 

おれんは娘夫婦と北海道へ移住。多恵は1人竜飛へ残ることにした。阿久津は現場を離れるくらいなら辞めさせてもらいますと海外へ。(終)

 

ラストシーンのためだけに海外撮影したのかな? 青函トンネルは映画公開(1982年)の時点でまだ開通しておらず、先進導坑貫通は1985年。

 

正直、阿久津と多恵の恋愛いるかあ?って思うし、昨日の「砂の器」に感動しすぎたせいかやたら音楽が軽く感じてしまった。吉永小百合さんは初登場の時点で20代くらいを演じてたからすごく若く見えてたのかな。

 

森繁久彌さん演じたトンネル屋のベテラン・岸田源助は「黒部の太陽」の岩岡源三に似ていて、モデル同じ人?って一瞬思ったけど、岩岡は劇中(昭和32年あたり)で亡くなってたよ。年代が全然違った。

 

あくまで私の好みの問題だけど、テレビドラマはまた違うけど、邦画は1970年代くらいまでが好きかな〜。