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【連続テレビ小説】はね駒(127)

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

明治36年(1903)10月、りん(斉藤由貴)が新聞記者になり3年、「二十世紀の女性」という欄を担当。また昨年2人目の子どもをもうけ、1男1女の母となっていた。一方、西洋瓦で失敗した夫・源造(渡辺謙)は、当時流行した野球やその他のスポーツに注目、運動用具店を始め成功していた。そこへ中河鶴次(矢崎滋)が引っ越してくる。小石川の教会の担当になり、小野寺家から10分の近所に住むというのだった。

 

先週が明治34年の9月に始まり、11月あたりまで。今週はそこから2年経って明治36年10月へ。最近、週明けになると何年か経ってることが多くなったけど、それでもまだ明治だもんねー。

 

りんはみんなより遅れて出社。東京電灯会社で正式に女子社員の採用を始めるので「20世紀の女性」欄に取り上げることになり、取材に行っていた。髪型もまたちょっと変わって大人っぽい感じ。

 

北村、波多野の会話は言ってることは嫌味くさいがいい声対決!

 

たばこの煙もくもくの編集部。今なら抗議が来るかな(私は非喫煙者ですが、そういうシーンをなくせとはさすがに思わない)。

 

これから川原繰子(みさおこ)の取材にも行くという。このお方はフィクションかな。調べても出てこない。

訂正・河原操子さんですね(-_-;) 女子教育者。明治8年生まれでりんと同世代。

ja.wikipedia.org

 

このインタビュー記事を集めたのが、「今の女」だろうか。

dl.ndl.go.jp

旧仮名遣いだし、読みづらくはあるけど、今、人物を調べなら読み進めています。1970年、1984年にそれぞれ復刊しているのですが、今読んでいるのは大正2(1913)年版です。1984年に復刊されたのを読んで、朝ドラの題材になりそう!ってなったんだろうか(「はね駒」は1986年)。

 

りんはいつの間にか女の子を出産して二人の子持ちになっていた。”この子は去年生まれた長女の明子です”と映しだされた女の子はさすがに無理ないかー?! 産休とかどうしてたんだろうな? おとなしい女の子だけど紐につながれていた。

 

やえが近くにいるけど紐につないでいるのは、やえ曰く「ばあちゃん一人でボッとしちまうからってみんな心配すんだよ」とのことでした。

 

徳右衛門は相変わらず近所の子供に「ス ノタマワグ…」と論語を教えていた。やえは弘の姿が見えないので探しに行った。「男の子はおとなしくしてる時が一番危ない」

 

弘は源造とりんの部屋で本を高く積み上げていた。先週までは坊ちゃん刈りの都会っぽい子だったのに、いがぐり頭になっちゃった。やえは「そだことして」とは言ったものの結局一緒になって本を積み上げ、崩してしまった。徳右衛門に「本を粗末にしてはいかん!」と言われながら1階へ行くと、鶴次がキヨとともに現れた。

 

鶴次は東京の本部・小石川の教会で暮らすことになった。

キヨが通うのは柳町小学校。今でもあるんだ! りんたちの家がある本郷のすぐ近く。

 

弘はやえと言葉が一緒の鶴次先生を不思議がる。また訛ってるとかそういうはなしになって、「直さないと」的な話になってるけど、東北訛りといえば直さなければいけないものなんだよね。

 

一方源造は西洋瓦で失敗し、運動用具を扱う店「小野寺商店」を始め、彌七が訪ねてきていた。「日本人が運動を家庭に取り入れて明るく健康に暮らしていって欲しいと、これは商売気を離れて本心からそう思ってるんですよ」という源造の言葉に「君のいかんところはだね、その商売気を離れるところだよ」と鋭い指摘!

 

源造は金になりさえすればいいという商売はしたくないと話す。夫婦に戻ったら仕事のことは忘れてしまえよというアドバイスをくれる彌七ですが…。

 

夕食時、鶴次を歓迎する食事会が開かれる中(下宿人が3人ともいなくなってる!)、源造はキヨをみて、津波の救援活動を通して二人の想いが通じた夜を思い出していたのに、りんはピンと来ておらず、鶴次に「20世紀の女性」欄にふさわしい女性はいないかと仕事の話をする。

peachredrum.hateblo.jp

源造の杯が空だとやえに指摘され、つぐけどどこか冷たい。その様子を察する弘次郎とやえ。りんは今は仕事に夢中なんだね。