徒然好きなもの

ドラマの感想など

【連続テレビ小説】はね駒(152)

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

久しぶりに訪ねてきた中河鶴次(矢崎滋)が思いがけない便りをもたらした。鶴次は、弘次郎(小林稔侍)や徳右衛門(山内明)の故郷、福島の二本松を訪れ、彼らの生家に寄り、下働きをし今も住んでいるという直助の手紙をあずかったのだ。直助は弘次郎の命の恩人だった。一方、りん(斉藤由貴)は、編集長の津村(地井武男)に、新聞社の今のポストをやめたいと申し出るが…。

 

こうして最終回付近まで来て思うのは、伝道で全国を駆け回る鶴次先生ってめちゃくちゃ便利キャラ! 志津川の生まれで故郷に帰っていた、伝道で相馬、仙台、東京に行ったなどなど。女学校、松浪先生の縁、おキヨちゃん…すごい。

 

鶴次先生は、福島町の教会に二本松から来た信者がいて是非にと請われ、二本松へ。二本松と聞いて反応する徳右衛門。鶴次先生は、橘家に仕えてきた仲間の直助から手紙を預かってきた。

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そして、もうひとつ土産として相馬の越後屋の馬上盃も持って来た。越後屋新之助の妻の親戚筋がいることで二本松にも出店しているそう。ん~、新之助って結構やり手だったんだな。 いや、あの奥さんかな?!

 

りんは編集部で悩み、そしてつわりが…。

 

二本松少年隊薩長の軍に斬り込み、深手で気を失っていた弘次郎を助けたのが直助だった。あの時は余計なことをしてくれたとずいぶん恨んだものだが今はよかったと思っている、と弘次郎はやえに語った。その苦悩を「はね駒」が始まったころにはまだ持っていたな…。東京に来てからも反薩長の花田と意気投合したりして。

 

徳右衛門は縁側で一人「故郷の空」を歌う。その歌声を聞く弘次郎とやえ。

 

りんは編集長に「今のポストを辞めさせてほしい」と言った。しかし、編集長には「すっぱり仕事を辞めて完全に家庭に戻って奥さん業に専念したらどうですか?」と言われてしまう。当時としては破格の善き上司の編集長も、この時代ならこんな感じだよね。しかしりんは仕事は辞めたくない、社会とつながっていたいと訴えた。

 

りんは源造や両親に嘱託で会社に残してもらえることになったと報告した。母親になることはお金では買えない、重い仕事は子供の手が離れてからできる、だけど子供が育つ時間っていうのはやり直しが利かない。割とにこにこと話を聞いていた弘次郎や源造に対して、やえはちょっと寂しそうな感じ。

 

弘次郎とやえが二人きりの時、弘次郎はコーヒーの店をやめるということとじいさまを二本松に返してやりたいと話す。母上の御骨を弦一郎兄のそばに納め、心安らかに余生を送らせたい。

 

そして、弘次郎とやえも一緒に二本松に行く。やえもまた、りんと離れるには今一番いい時期だと考えていた。いや~、これからまだまだ子供に手のかかる時期なのにぃ~と娘の甘えで思ってしまう(^-^;

 

だけど徳右衛門のことを考えたら今しかないよな。やえは、辛い思い出のある所に帰って心安らかに暮らせるか問う。弘次郎は、薩長に対する恨みやこだわりはなくなったと断言した。ふたりで馬上盃を飲む。

 

「おとっつぁんの戊辰の戦がやっと終わりやしたない。長~くて辛かった戦がやっと終わりやしたなぃ」

 

今日こそオープニングテーマがぴったりな日はなかった。二人で楽しく生きるべなぇ、おとっつぁん…と泣きながら酒を飲むやえだった。弘次郎の笑顔で終わり。

 

弘次郎の長い長い戊辰戦争がやっと終わりを迎えた日。

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徳右衛門、弘次郎が生まれ育った二本松とやえやりんたちが生まれ育った相馬は同じ県内でも結構遠い。

 あぁ~ドラマが終わってしまうとなると寂しい!

【連続テレビ小説】はね駒(151)

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

明治39年(1906)1月、りん(斉藤由貴)はみごもっていた。「子どもが3人になっても新聞社の仕事は続けるのか?」と、やえ(樹木希林)に尋ねられるりん。年老いた祖父・徳右衛門(山内明)にはもう頼れない。りんは新聞社で、編集長・津村(地井武男)に相談しようとするが、取材の仕事が入り話すのをやめてしまう。一方、弘次郎(小林稔侍)のコーヒー店のオーナーが交代することになり…。

 

今日の回は今でいう”神回”だったのかもしれないけど、この呪縛が働きたい女性の首を絞めてしまったような気がする。

 

徳右衛門がひとりで出かけていき、りんと一緒に帰って来た。電車通りでまたしても立っていたという。言葉少なで前よりゆっくりしゃべるようになったな。

 

りんは子供を身ごもっており、それを編集長に相談しようとしたが、吉岡弥生の取材を任され、自分で解決しよう!と取材に行った。編集長は編集部員たちの直談判で助かった様子。りんは、明子のときもお腹が目立つまで言わなかったのかなぁ…。

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↑明治初期から昭和半ばまでかなり長生きされた方。日本で27人目の女医。

 

やえは弘次郎の店に行き、徳右衛門のことを相談する。体が弱って二本松に帰りたいのではないか?とやえは考えていた。

 

しかし、弘次郎も弘次郎でオーナーであるベーカー氏がアメリカに帰ることになり、新オーナーの伊丹は、着物姿でぶっきらぼうな接客の弘次郎が気に入らない様子。肝心のコーヒーの味も好みではなかった。

 

りんはどうするか源造に相談する。今なら、働きたいのなら子供は〇人とかある程度決めることもできるんだろうけど、当時はそういう考え方もなかったんだろう。りんはやえに、女中を雇うという提案をするが、やえはいつになく激しく怒った。「お金で買えるものと買えないものを見きわめろ」

 

当時は多分産休というのもないから、生まれたばかりの子供を置いて働いていたんだろうと思うと、今のままでは確かにやえへの負担は大きすぎる。だけど、女中ダメかな?

 

明治時代の家電がない時代なら下働きで食事と掃除だけとか、おしんとか初ちゃんみたいな有能な子守奉公を雇うってのも手だと思うんだけどなぁ。今とは全然違う家電のない時代だってことを忘れちゃいけないんじゃないの?

 

今日のやえの言葉は、明治というより昭和61年の母親世代の言葉だったんじゃないかと思う。男性と一緒に自分のわがままで仕事させていただいてるんだから、仕事の他のことも男性の手を借りずに家事も子育ても完ぺきにやりなさい、みたいな。この時代は夫が手伝うという選択肢もないからね。

peachredrum.hateblo.jp

 ↑昭和62年のブティックで働く女性のドラマで、小さな子供を姑に面倒見させて札幌に単身赴任したものの仕事も家庭もうまくいかずボロボロになった女性が描かれている。

 

ツイッターで今日も感想を読む。女中を雇うのがいけないというのではなく、りんの心根について言いたかったということか。私は本当に浅い人間だな。りんの簡単に金さえ出せばいいんでしょ的な態度がよくないと。

 

でも、言いたい。これからお腹の大きくなるりんや負担の増えるやえにとっては、りんがたとえ仕事辞めたにしても女中は必要だと思う。

アンという名の少女(1)

あらすじ

(1)「運命は自分で決める(前編)」 世界中で愛されているモンゴメリ作の不朽の名作『赤毛のアン』をドラマ化。カナダの美しい自然があふれる島に、赤毛でそばかす顔でやせっぽちの女の子アンがやってきた。

カナダのプリンス・エドワード島で農場を営む年配の兄妹、マシューとマリラ・カスバート。2人は農場仕事の手伝いができる男の子を養子に迎えることにし、兄のマシューが駅に迎えにいく。しかし、そこで待っていたのは赤毛の女の子アンだった。想像力豊かでおしゃべりなアンは家族ができる喜びでいっぱいで、楽しそうにマシューに話しかける。ところが家に着くなり、頼んでいたのは男の子だとマリラに言われ大ショックを受ける。

ここの枠は「ダウントン・アビー」をやったり「THIS IS US」など面白い海外ドラマをやってくれるので好き。「THIS IS US」は第2シリーズからBSになっちゃったけど…って第3シリーズはいつから?

 

1回目はアニメ「赤毛のアン」を見ていたら(…といっても記憶はあいまい)分かるところばかりだけど、マシューもマリラもアンもアニメのイメージのままの実写化という感じですごい。声優さんも。

おしゃべりのアンがうぜー!とは思わないので楽しくあっという間に見ることができました。来週も楽しみ。

 

それにしても昔の人って子だくさんだよねぇ…

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数か月前にアンビリバボーで特集されたこのディオンヌ家の五つ子も上に4,5人兄弟がいて、下にも何人か生まれたので(妻が何人もいるパターンじゃありません)、どうなってんだ?!と最近つくづく思うのです。