NHK 1987年6月30日(火)
あらすじ
要(世良公則)が劇場の仕事を辞めたと聞き、かつての同僚・坂上(笹野高史)が心配して訪ねてくる。要は、音楽を添え物扱いする劇場の姿勢に納得がいかず、辞めたという。そこで坂上は、自分が所属するオーケストラに要を誘うが、要は首を縦に振らない。要はフリーとなり、岩崎家の収入は次第に先細りとなる。ある日蝶子(古村比呂)は、質屋から出てきたところをたまたま通りかかった田所邦子(宮崎萬純)に見つかってしまう。
2025.6.17 NHKBS録画
脚本:金子成人
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音楽:坂田晃一
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語り:西田敏行
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岩崎蝶子:古村比呂…字幕黄色
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岩崎要:世良公則
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田所邦子:宮崎萬純
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レコード会社の男:広森信吾
作曲家:丸岡奨詞
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鳳プロ
早川プロ
劇団いろは
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野々村富子:佐藤オリエ
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野々村泰輔:前田吟
岩崎家
坂上「何でだよ? 昨日、吉沢から話、聞いたんだよ」
要「そうか」
坂上「明劇(めいげき)やめたっていうだろ? 驚いたぜ、全く」お茶を運んできた蝶子に「知ってた?」
うなずく蝶子。
坂上「急だっていうじゃねえか」
要「うん」
坂上「どういうことだよ」
要「吉沢、お前に何も言わなかったか?」
坂上「お前ともめたってことは聞いた」
要「うん、そういうことだ」
ため息をつく坂上。「原因は何だよ? 岩崎!」
蝶子「すいません」
要「お前が謝ることはない」
蝶子「何言ってるのよ。要さんを明劇に紹介してくれたのは坂上さんじゃないの。その坂上さんに黙ってやめたことを謝ってるんです」
坂上「ま、そういうことは、いいけどさ」
蝶子「なんも! よくなんかないです」
横向きにソファに座っていた要が坂上に対面するようソファから降りて正面に座り直した。「音楽について、俺と吉沢の間には考えにずれがあるということだ」
坂上「我慢できんか?」
要「演奏がショーの添え物という考え方には我慢できん! まあ、吉沢も最初は…いや、俺が入った頃はそうじゃなかったんだ。意欲的だったよ」
坂上「うん」
要「それがまあ、だんだん変わってきたんだ。下手な歌手に文句言われりゃ、ちょっと名前が通ってるっていうだけで『分かりました』だろう。振り付けにねじ込まれれば、これまた『ハイハイ』だ。演奏をそういうのに合わせることはないんだ。向こうが合わせればいい!」
坂上「そりゃあ、お前…」
要「いや、合わせるというよりは、ぶつかり合わなきゃいかんのだ。歌う方、踊る方が勝負なら、こっちだって勝負をしているわけだ。対決し合うべきなんだ。仕事というのは、そういうもんだろ。ただの伴奏屋にだ、甘んじていてはいかんのだ」
うなずく蝶子。
坂上「けど、どうするんだ、これから」
立ち上がる要。
坂上「そりゃまあ、お前の腕だ。演奏の依頼は来るだろうけど、本拠地ってもん持たないと大変じゃないのか?」
要「生活のことか?」
坂上「ん? まあ、そういういろいろ」
要「俺は生活のためにはバイオリンは弾かんぞ」
坂上「まあ、そう言うとは思ってたけどさ。(蝶子に)大変だねえ」
苦笑いの蝶子。
要「俺はな…いい演奏がしたいんだ。そういう仕事以外は金がなくてもしたくないんだ」
坂上「なあ、野口のオーケストラへ来いよ。いい仕事できるぞ。この間の『タンホイザー』なんか、よかったぞ」
要「俺は野口が好きじゃないんだよ」
気まずそうに坂上に頭を下げる蝶子。
野々村家
富子「要さんも失業者かい?」
泰輔「いや、ただ明劇やめたってだけだ」
富子「だけってことないだろ、だけってことは」
泰輔「いや、だけど、考えてもみなよ。要さんの仕事はさ、バイオリンだろ? バイオリンってのは一人いりゃあできるんだよ」
富子「はあ」
泰輔「まあ、言ってみりゃ、あれだ。マーケットだな」
富子「ん?」
泰輔「マーケットにはいろいろとこの店があんだろ?」
富子「ああ、らしいねえ」
泰輔「マーケットで商売をしてた店がマーケットをおん出て一軒だけで商売始めるのと同じようなもんだよ」
富子「ふ~ん…」
泰輔「いくか?」杯を差し出す。
富子「どこに?」
泰輔「バカ」
富子「ああ、それじゃね、うん」杯を受け取って、飲む。「…けどさ、マーケットの中にいりゃ、そのよさってもんもあるんじゃないの? 客が多いとかさ」
泰輔「う~ん」
富子「一人っきりになりゃ決まった収入なんかないんだろ? はあ、出産控えて物入りだってえのに」
泰輔「要さんだってさ、それぐらい考えてるよ」
富子「…考えなきゃ鬼だよ!」
<要さんは、その鬼に近いことをしていました>
岩崎家
隣の部屋に控えて、じっと会話を聞いている蝶子。
男「こちらの小暮先生に作曲していただいた『カフェー小唄』なんですが、まあ、なんとか岩崎先生のバイオリンのソロをお願いいたしたく、まあ、こうやって」
作曲家「9小節目からバイオリンのソロのオブリガードでいってほしいんだがね」
見ていた楽譜をポンとテーブルに置く要。「『祇園小唄』や『浪花小唄』がはやったというわけで、今度は『カフェー小唄』ですか」
男「いや、ハハハハッ」
要「お断りしましょう。曲なんかは今まで、はやったもののなぞりだし、新しいものなど、どこにもないですね」
男「いやあ、ですから、そこを岩崎先生のバイオリンで…」
要「私じゃなきゃいかんということもないでしょう」
作曲家「もういい!」立ち上がる。「行こう!」
男「いや、先生!」楽譜を持って作曲家を追う。「あ、先生!」
要「お蝶!」
⚟蝶子「はい!」
要「塩まけ!」
蝶子「はい!」
<要さんには、こうやって演奏会の依頼なども来るには来たのですが、しかし、要さんの気に入る仕事は少なく、3つに1つか4つに1つを引き受けるぐらいでした>
雨の日
<ですから、当然、生活費も乏しくなってきました>
⚟♬~(バイオリン)
蝶子は洗濯しながら演奏を聴いていた。
ふすまを開け、要が出てきた。「今の音、どうだ?」
蝶子「うん、いい!」
要「そうか。雨降りは、いいなあ」
蝶子「どうして? 私なんか洗濯物乾かなくて困るのよ」
要「少々うるさく弾いても雨の音に消されて近所から苦情が来ん」
蝶子「そりゃ、そうね」
要「お蝶」
蝶子「はい?」
要「ちょっと聞きたいんだけど」
蝶子「?」
要「俺が『明劇をやめた』って言った時、なぜ訳を聞かなかったんだ? 文句も言わなかったし」
うなずく蝶子。
要「『しかたがない』って言っただけだ。なぜ訳聞かなかった?」
蝶子「なぜって…要さんは音楽については厳しい人だし…」
要「うん」
蝶子「音楽を好きだし、真剣でしょ?」
要「うん」
蝶子「その要さんがやめたって言うからには、それなりの理由があると思ったし、私がどうこう言ったって、第一『やめないで』って言ったって聞くわけないでしょ?」
要「当たり前だ」
蝶子「私はもう、こうなった以上は要さんについていくしかないんだから」大きなおなかを見せる。
おなかをなでる要。「そうか。よし、分かった。俺に任せろ!」
立ち上がった要に手を突き出す蝶子。
要「何だ?」
蝶子「お金下さい」
要「うん?」
蝶子「お金ありません」
要「ないか」
蝶子「食べる物ありません。『任せろ』って言ったでしょ?」
要「うん」
蝶子「食べる物、ありませんよ」
要「なきゃ…」
蝶子「え?」
要「食べなきゃいいんだな」
蝶子「ん?」
要「違うか?」
蝶子「…そりゃあ、そうね」
要「うん。さあ、もう少しやるかな!」
<いやはや、なんという考え方でありましょうか>
洗濯を再開する蝶子、部屋にこもって再び練習する要。
⚟♬~(バイオリン)
要がバイオリンケース持参でアパートを出ていった。
蝶子が質屋から出てきた。
邦子「チョッちゃん?」驚きながらも近づいてくる。
蝶子「見た?」
うなずく邦子。
岩崎家
邦子「どうしたのよ?」
蝶子「ん?」
邦子「要さん、明劇やめたあと、仕事してないの?」
蝶子「ううん、時々はしてるわよ。はい」お茶を出す。
邦子「ありがとう」
蝶子「だけど、ほら追いつかなくて。アパート代12円、食費が月に20円近くでしょ。電気、ガス、水道にそういう細かいのがいろいろとかかるのよ」
邦子「…要さん、知ってるの?」
蝶子「何?」
邦子「質屋」
蝶子「知らない知らない」
邦子「言やあいいじゃない」
蝶子「言ったってねえ」
邦子「何?」
蝶子「お金には頓着しない人だから」
邦子「そんなこと言ってらんないんじゃないの? 子供産むんでしょ?」
蝶子「うん」
邦子「そしたら物入りよ。病院代とか、いろいろ」
蝶子「ああ!」
邦子「本当にもう、何考えてんのよ!」
蝶子「いやいやいや…はあ…このおなかじゃ洋裁の内職っていうわけいかないか」
邦子「当たり前よ」
立ち上がって台所へ行く蝶子。「あ、内職より、おしめの用意もしとかないと」
邦子「まだしてないの?」
蝶子「うん」
邦子「本当にもう!」
蝶子「そうか、おしめか!」
邦子「何、入れたのよ? 質」
蝶子「今日は着物」
邦子「初めてじゃないの?」
蝶子「質屋のおじさんに『毎度』って言われる間柄。ヘヘヘッ」
邦子「ちょっと笑い事じゃないでしょ! 子供産まれたらどうすんの!」
蝶子「その時は要さんだって考えるわよ…と思うけど。それより、邦ちゃんは、どうなの?」
邦子「何?」
蝶子「仕事とか、いろいろ」
邦子「『仕事とか』ねえ。仕事一筋よ。いろいろあったけど、もう大丈夫」
蝶子「うん」
邦子「今までいたアパートも出て引っ越そうとも思ってるの。心機一転!」
蝶子「そう」
台所にいた蝶子がお皿を2つ持って居間へ。「食べよう」
テーブルの上に二つ折りのお札を置く邦子。
蝶子「何よ?」
邦子「貸すんじゃないわよ。あげる」
蝶子「いいのよ」邦子の前にお札を返す。
邦子「遠慮すんの?」
蝶子「遠慮なんかしないわよ」
邦子「じゃ、取りなさいよ」
蝶子「今日の着物、7円で入れられたからいいの!」
邦子「いいから!」
蝶子「いいって!」
邦子「頑固ねえ」
蝶子「質に入れる物なくなったら、その時は遠慮なんかしないから」
渋々うなずく邦子。
蝶子「質屋通い、誰にも言わないでよ」
うなずく邦子。
野々村家
富子「質屋に?」
うなずく邦子。
泰輔「『毎度』って言われてんの?」
うなずく邦子。
速攻で話しに行く、邦子、よい!
富子「おなじみってこと?」
泰輔「そんなに困ってんのか…」
邦子「それが困ってるようには見えないんですよ。何だかのんびり構えて楽しんでるみたいなの」
富子「チョッちゃん、そういうとこあるもんねえ」
泰輔「う~ん」
邦子「だけど、大きいおなかして質屋通いしてるの見てたらかわいそうになっちゃった」
富子「うん」
岩崎家
ごはん、みそ汁、刺身や豆腐などが並ぶ食卓。
要「食べるもん、結構、あるじゃないか」
蝶子「ああ…うん」
要「どうしたの?」
蝶子「うん」
要「ん?」
蝶子「道に落ちてた」
一瞬、箸が止まる要だが、「へえ」と言いつつ刺身を口に入れる。
<そんな話を要さんが信じたのかどうか、私には分かりません>(つづく)
野菜が足りなくて雑草を入れた蝶子だし…じゃないよ、要ぇ! 自分はいいけど、妊婦さんは食べさせなきゃダメだろー!

