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【ネタバレ】KANO~1931海の向こうの甲子園~

2015年 台湾

 

あらすじ

日本統治下の台湾代表で甲子園でも活躍した嘉義農林学校野球部の実話を描く。ヒットメイカーのウェイ・ダーション監督が脚本と製作に名を連ね、俳優マー・ジーシアンの監督デビューをサポートし、台湾で大ヒットした逸品。嘉義農林学校の弱小野球部の新監督に就任した近藤(永瀬)は、猛練習に加え、漢人や台湾原住民の特性も生かす混成チームで台湾予選を突破し、甲子園でも快進撃を続ける。

2021.11.22 日本映画専門チャンネル録画。観たい映画だったけど録画時間が3時間超え!

 

1895年(明治28年)

日清戦争の後 下関講和条約により

台湾は日本に割譲された

 

その後1945年(昭和20年)に

ポツダム宣言を日本が受託し

第二次世界大戦が終わるまでの間

台湾は日本の統治下にあった

 

1931年の嘉義農林学校野球部の実話に脚色を加えた

 

1944年 台湾 基隆港

日本兵達が汽車に乗り、1人が嘉義に着いたら起こしてくれと眠りにつく。

 

1931年 日本 甲子園

日本の旧制中学だけでなく、朝鮮の京城商業、満州の大連商業なども参加。台湾の嘉義農林は5日もかけて船に乗ってやってきた。

 

1929年

台湾映画だけどほぼ日本語。永瀬正敏さんなど日本人キャストもチラホラ。ただねえ、日本語はすごくうまいけど、どこか不自然な感じもある。

 

嘉義農林学校の野球部は弱い。嘉農の農業技師で野球部部長の濱田は近藤兵太郎(永瀬正敏さん)を監督に誘う。兵太郎の妻・カナヱが坂井真紀さん。兵太郎が監督に就任した。時間厳守、礼儀に厳しい。兵太郎は松山商業の選手で監督もしたことがある。嘉農の生徒たちは「甲子園! 甲子園!」と言いながらランニングした。

 

カナヱは鬼監督がきたと噂されてると兵太郎に言う。ただ体を鍛えたいだけかもしれないし、配給だけでは食事も足りないんじゃないか。

 

授業は日本語。大沢たかおさんが日本の水利技術者の八田與一を演じている。日本より台湾での有名人らしい。

 

台湾人の呉明捷(ご めいしょう)がピッチャー。ニックネームはアキラ。

東和一(あずま かずいち)がキャッチャー。アミ族で本名はラワイ。

 

負けても楽しそうにはしゃいでいる選手たち。日本人が6人、漢人が3人、番人=アミ族が4人。番人は足が速い、漢人は打撃が強い、日本人は守備にたけてる…兵太郎は必ず甲子園に行けると言うが、寄付を募った周りの人たちは金も出さずに笑った。

 

雨が降り出し、映画でも見て帰ろうという生徒たちが他校の生徒とケンカになった。その後、練習試合をし、大雨で試合中止。試合は僅差で負け。その後、練習を重ね、第9回 台湾予選。嘉農が勝利を重ねていく。決勝は台北商業。延長の末、11対10で嘉義農林が優勝。

 

地元に帰って凱旋パレード。同じ頃、八田與一が手がけた嘉南大圳も完成し、パレードそっちのけで見に行った。

 

札幌商業VS大連商業は10対1で札幌商業の勝利。札幌商業のピッチャーの錠者(じょうしゃ)が最初の軍人の中にいた。

 

嘉義農林VS神奈川商工の試合を見ていた錠者は試合途中に席を立った。試合後、「日本語分かる?」などと失礼な質問をする記者たちに日本人の小里が「自分たちはいい友達だ」と返した。

 

1944年

嘉義駅に降り立った錠者が練習場を見に行った。今では寂れた練習場があった。

 

1931年

札幌商業VS嘉義農林の試合。嘉義農林は1回で3対0で負けていた。蘇の打った球はレフトのフェンスに当たった。外野フェンスに打ち込んだ初のアジア人選手となった。嘉農は点数を重ね、錠者は勝手にマウンドを降りた。19対7で嘉農の勝利。

 

準決勝 嘉義農林VS小倉工業

9対2で勝っているもののアキラに疲れが見える!? しかし投げきり10対2で勝利。

 

錠者は俺のラッキーボールだと言って渡すが、アキラはお前のラッキーボールが俺のラッキーボールとは限らないとボールを返した。しかし、返されたボールには血がついていた。兵太郎も松山商業の恩師・佐藤と再会し激励された。

 

決勝 嘉義農林VS中京商

満員の甲子園。投手戦となるが、アキラの爪は割れて出血していたが続投。兵太郎は劉に交代させようとするが、あと半分だから投げさせてほしいと言うアキラ。お前だけが英雄になりたいのかと止める者もいたが、人生最後の試合かもしれないから投げさせてほしいと言う者もいた。

 

ストライクが入らなくなり、三者連続フォアボールとなり、結局押し出しで1点入った。デッドボールで2点目が入る。チームメイトは打たせろと叫ぶ。

 

1944年 

錠者は練習場で「いらっしゃい」と叫ぶ。

 

1931年

勝戦で嘉農の選手たちが口々に「いらっしゃい」と叫んでいたことの再現!? 9回表 嘉農は満塁。甲子園は嘉農の応援ムードになっていた。失礼な質問をしていた記者もすっかり嘉農贔屓になっていた。しかし、完封され、準優勝。

 

1944年

錠者がひとり練習場を走る。

 

1931年

錠者が客席から「天下の嘉農」と叫び、客席もみんなで叫んだ。

 

1944年

錠者はホームベースにボールを置いて去っていった。

 

その後のメンバー。戦死したメンバーも数人。

 

帰りの船の上で野球を始めた嘉農の選手たち。(終)

 

面白かったけどさすがに3時間は長い。インターミッションもないんだもん。八田與一とか素晴らしい人だけどいるぅ?って思うし(本当に関わりあったのかな?)、アキラの初恋の女性の出産シーンとか…。野球シーンは経験者を集めただけあって面白かったからもっと試合中心に描いてくれたらな。せっかく民族の違う選手たちなら一人一人がもっとスポットを当てて欲しかった。

 

僕はすっかり嘉農びいきになったと言ったのは、甲子園観戦記を書いた菊池寛さんと知り、へぇ〜!!

 


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