公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意
マリ子(熊谷真実)から励ましの手紙が届いた千代(二木てるみ)は、一平(益田喜頓)とともに大和田の身を案じる。一方、マリ子もみさと美容院のトセ(三崎千恵子)に、大和田の無事を祈って千人針を縫ってもらう。すると、国防婦人会がきて、パーマをかけて外国人の真似をしたり、贅沢はやめろと抗議される。マリ子からその話を聞いたオネスト神父(ラットバウト・モリン)は、なぜ自分が日本で伝導を続けているか語り出し…。
[rakuten:book:10973793:detail]
マリ子が千代にあてた手紙
「雨が降っています。ひさしに当たるその雨音を聞きながら、私は今、お千代ねえやがお嫁に行った晩のことを思い出しています。結婚式を終えて、百道の家へ帰ってきたら雨が降っていました。お千代ねえやが行ってしまったあの晩の雨音がそれまで家族同様だっただけに何やら寂しく心細く聞いたことを私は今でも覚えています。
お千代ねえやには初めて高男さんと2人だけで聞いた雨音だったことでしょう。それだけにもし、今、福岡が雨だったとしたら一人でそれを聞くお千代ねえやの気持ちは私には痛いように分かります。
でも元気出してください。例え遠く離れていてもお千代ねえやにはいつも私たちがついていると思って頑張ってください。
ゆうべ、お母様とみんなで高男さんの無事をお祈りしました。手柄なんぞ立てなくてもいい。一番乗りなぞしなくてもいいから傷ついた人をかばい、家を焼かれ、親を亡くした子供たちをいたわって無事にお千代ねえやの所へ帰ってくることをです。」
大和田高男の写真と陰膳。そういえば、「純ちゃんの応援歌」でも陽一郎が帰ってくるまでは毎日写真の前にご飯を供えていたよね。
千代の家には牛尾のおじいちゃまも来ていて、2人で手紙を読んでいた。千代は高男の写真に語り掛ける。
千代「聞きんしゃったね、あんた。ほんなこと、お嬢様の言うとおりうちも手柄も勲章も要らんけん、きっと無事に帰ってきてつかあっせ。なあ」
一平「ほんなこつ死んだ者は損じゃ」
千代「ご隠居様」
一平「うむ。いや、わしも日露戦争に従軍してな戦争のむごいことはよう知っとる。なんぼ頭を抱えても死ぬものは死ぬ。真っ先かけて突進しても弾の方で逃げていく者もいる。それが戦争ばい」
千代「はい」
一平「ばってんあんたもつらかろうが決してひきょうな振る舞いばせんで、ええ、無事ば祈んなさい。高男さんは大丈夫たい」
千代「ほんなことでしょうか?」
一平「ああ、そりゃあ当たり前たい。こげんよか女房ばそう簡単に靖国の妻にしてたまるか。そう思ってるはずじゃ。立派に気張んなさいや」
千代「あんたきっと帰ってきてつかあっせ。無事に」
マリ子はみさと美容院に行った。
トセ「絹代さん。五銭玉持ってきてちょうだい。私はとら年ですからね、年の数だけ縫わせていただきますよ。虎はね『千里行って千里帰る』といって縁起がいいんですよ。そのとら年がね五銭玉をここへ縫い付けますからね。死線(四銭)を越える五銭玉ってね。その大和田さんって方はきっと無事に帰ってらっしゃいますよ」
マリ子「はい、ありがとうございます」
くしくも、千人針の話題が出たのは「おしん」「澪つくし」そして「マー姉ちゃん」も昭和13年のことです。「あぐり」ではそういえば出てこなかったかな~。昭和13年だと淳之介はまだ兵隊に行くような年でないし、エイスケたちも30過ぎで戦争に行くような男も周りにいなかったよねえ確か。
「澪つくし」の吉武とねも寅年(おそらく明治11(1878)年生まれの60歳)、「おしん」の初子も寅年(大正15/昭和元(1926)年生まれの12歳)で、三郷トセさんは息子が30歳ということは、明治23(1890)年生まれの48歳と思われます。ん? 別にとねさんと同じ歳の60歳でもおかしくないか。どうでもいいけど。
あ、智正さんは昭和11年の時点で30歳なんだから、今、昭和13年で32歳。トセさんはやはり吉武とねと同じ歳の明治11年生まれの寅年か。
普通の人は一人一針、しかし、寅年の人は年齢の数だけ結び目を作ることができる、そして、五黄の寅年(明治10(1878)年と大正3(1914)年)の人はさらに倍。ドラマ中では語られてないけど、とねさんもトセさんも120個以上結び目を作れたということ!? すごいな。
そのみさと美容院に「パーマネントはやめましょう! ぜいたくはやめましょう!」と大日本國防婦人会のたすきをかけた女性たちが数人店に乗り込んできた。
「え~今戦地では兵隊さんたちがお国のために一生懸命戦っています。私たちはやまとなでしこなんですから、なにも外国人のまねをして頭を縮らせておしゃれをしている時ではないと思いますのよ。それで是非お宅でもそういう不心得者が来たら、パーマネントはやめるようにと国策に協力していただきたいと思って伺いましたのよ」
マリ子、ただ驚く。
「よ~い、はい。(声を揃えて)パーマネントはやめましょう。外国人のまねはやめましょう!」
千人針は出てこないけど、パーマネントの自粛は出てきたよ。
今年の夏、ちょうど「あぐり」で大徳寺さんが出てた辺りでやっていた特集で面白かった。社会の役に立ちたいと思っていた女性たちがうまく利用された。しかし、大徳寺さんはたすきもかけておらず、隣組の副組長と名乗っていたんだけどね。
家に帰ってマリ子が国防婦人会の話をするとはるは「三郷さんのご商売の邪魔をする権利は何もないはずよ」と怒った。マリ子はその人たちに何も言えず、千人針を一針ずつ刺していただいたと聞くと、「まあ、とんでもないことだわ。そんな出しゃばりさんたちに刺してもらったら当たらんでもいい弾が高男さんに当たってしまいますよ」とまた怒る。
マリ子「嫌よ、そんな!」
神父「そうです。そこまで人の心を悪く取ってはいけません」
はる「でもございましょうが…」
神父「兵隊さんたちの無事を祈る気持ちはあなたたちと同じです」
はるは髪が縮れているだけで外国人だという考えは悔しいと戦争中だからこそ人と人とが助け合わなくてはならないのにと嘆いた。
オネスト神父はマリ子マチ子とゆっくり神様の話をしたことがないと自分の父親の話をした。オネスト神父の父は鉄を溶かしてすきや馬のげたをつくる鍛冶屋。学問はないけどすばらしい父で村一番の力持ちで優しい男だった。
父の所へ来ると馬もじっとしていた。馬は父がどんな鍛冶屋より気を付けてひづめを削り、一番上手に馬のげたを作ることを知っていた。人も花も動物もすべて愛していた。困っている人を見ていることができなかった。ケガ人がいればいつも飛んでいき、ひもじい人がいればいつもパンを持っていった。
でも育ち盛りのオネストはいつもおなかが空いていた。父に僕だってひもじいのですと言うと、お尻を裸にして岩みたいな手でたたいた。神様は教育の丘を2つつくった。すなわちお尻。だから愛のためなら遠慮はいらない。
お尻を叩きながら父は言った。私にはお前たちがいる。これは一番幸せです。その幸せを感謝するためにいつも多くの人とパンを分かち合い、苦しみを引き受けたいのだと、父は涙をこぼしていた。父は感謝すること、いつもすべてを分かち合うこと、喜びも苦しみもいつも全てを私に教えた。そしてオネストを神の学校に入れた。もっと多くの人に父の意志を伝えるため。そして日本にやって来た。
日本に来る事になった時、オネストはびっくりし、うちに帰って父と世界地図を広げて日本を探した。日本のことは野蛮なハラキリ、フジヤマしか知らなかった。しかし、オネストは自分が必要とされている人間であることは誇らしいと考えた。
別れの朝、父はお前を愛してる。別れはつらい。でもお前が多くの人を助けられる人間ということは私の誇りだと言った。父はオネストの助けがいる年寄りだったが、父の勇気に打たれた。
「人間は誰でも自分の幸せの鍛冶屋である」…幸せになりたければ自分をどんどんたたくこと。
オネストは本当に幸せになりたいから神様の命じられた伝道を続けている。オネスト神父、長セリフお疲れさまでした。
マリ子「人間は誰でも自分の幸せの鍛冶屋である」
いつもはすたこらと逃げ出していた苦手の神父様でしたが、父を語ったその話は娘たちに素直な感動を与えたようでした。
大造が磯野家を訪ねた。オネスト神父がスパイだという噂が立っていることを知らせに来た。マリ子は今ならはるがオネスト神父の手足になりたい気持ちが分かるという。
ヨウ子の肖像画を仕上げながら「私は一体誰の幸せのために絵を描いているのかしら…」と考え込むマリ子だった。自分が好きだから描いてはいけないのかな…。