徒然好きなもの

ドラマの感想など

【ネタバレ】大地の子 4~5話

1995年11月11日から12月23日 NHK

 

あらすじ

(4)「黒災(へいつぁい)」

労働作業中、砂嵐に襲われた一心(上川隆也)は、江月梅と再会する。二人は心を寄せあうが、一心は月梅に迷惑がかかると、彼女を拒む。その後一心は、養父らの奔走で釈放され、北京に戻るが、月梅への思いを断ち切れず、彼女を呼び出す。それから二人は交際を重ね、ついに結婚にこぎつける。そして1972年9月、日中共同声明。国の関係も大きく動き出す中、一心と日本の父・松本耕次(仲代達矢)の身辺も慌ただしくなってゆく。

(5)「長城」

日中共同声明後、日本と急速に関係を深める中国政府は、最新の鉄鋼プラントを東洋製鉄に発注する。東洋製鉄には、一心(上川隆也)の実父・松本耕次(仲代達矢)が勤めていた。松本は戦中の中国での経験を買われ、工事責任者として上海に赴任する。一方、一心も日本語ができる技術者ということで、プロジェクトにかかわることになる。その頃、養父の陸徳志が、省の役人から日本人残留者の肉親捜しが始まっていることを告げられる。

巡回中、激しい砂嵐で道に迷った江月梅と再会した一心。包(パオ)?に月梅を運び込む。一心は毛主席語録に日本語を書いていた。黄書海に日本語を紙に書いてはいけないと言われていたが、ここならバレないだろうと書きつけていた。

 

ある日、一心の破傷風を看病してくれた陳という囚人が脱走し、一心が巻き込まれた。毛主席語録を見られ、日本語で暗号を書いてると決めつけ、脱走幇助とされた。他の囚人の前で吊し上げられ、最後の告発者として黄書海が書が好きな一心が草書として訳の分からない文字を書いていた、脱走幇助より重い教唆罪だと罵って顔に唾を吐きかけた。

 

しかし、黄書海は一心にヒントを与えていた。日本語ではなく草書の名手・張旭のマネということで15年の刑となり、銃殺を免れることができた。一心は月梅に養父からの手紙を見せた。一心の居場所を教えたのは月梅だと見当をつけていた。

 

月梅の父も医師だったが反革命分子の右派分子とされ、月梅は医師になりたかったが高級学校に行けず、看護師へ。一旦職場復帰できたものの文化大革命で再び吊し上げられ、絶望して自殺。家族もバラバラ。月梅も僻地の巡回医療隊へ。冤罪が晴れたら連絡をくださいという月梅に一心は私に近づかないでください、と砂嵐の中、外へ飛び出した。

 

徳志は8回目の北京を訪れ、一心を待った。突然、一心の釈放が決まり、囚人服から労働服に着替えて、汽車に乗った。5年半ぶりの北京。駅には徳志が待っていた。涙の再会。徳志は10日も待ち続けていた。その日は駅のベンチで毛布にくるまって、いろいろ話をした。一心に力を貸してくれた力本が秀蘭と結婚することを知った。徳志は教師を免職されていた。

 

4ヶ月後。木更津に住む耕次が本社に行き、柿田に会った。柿田は常務会で忙しかったが、社長は国交正常化したら受け皿になる研究チームを作りたいと考えていて、耕次の中国の知識を利用したいという思惑があることを教えてくれた。稲村社長が西村晃さん。

 

1972年9月、日中共同声明

 

3ヶ月後。労働改造所から出て半年。江月梅と再会した。翌年の春、結婚式を挙げた。長春から両親と北京にいる月梅の母と弟も出席した。みんなに祝福され、涙。翌年、子供が産まれた。早い! 名前は燕々(えんえん)。

 

ある日、人事処長に呼び出された。日本語ができるだろう、日本語を通訳しろと言われても日本語は話せないと言い張った。明日、日本の鋼鉄協会視察団が見学に来るということだった。

 

女性の通訳がついて説明。「遅れてるな〜、玩具みたいだ」とふと工場見学している日本人が漏らした言葉を一心は聞き逃さなかった。2週間後、また人事処長から呼び出された。「はじめまして、陸さん。お忙しいですか?」日本語で話しかけられて振り向いた。「やはり日本語分かるよね」と重工業部の外事司長だった。子供の頃、日本語教育を受けて日本語が話せる。

 

外事司長は外事司で一心を採用したいと言ってきた。日本の視察団が残した文献や資料の翻訳をしてほしい。一心は読み書きも喋ることもできないというが、日本語学習班を作って特訓するため、人材を集めてる。一から学ぶより飲み込みが早いと決まってしまった。

 

元の技師長の朱子明に日本人に嫌悪感があると言った。ここまで4話。

 

一心は傲慢無礼な日本人に腹を立てていた。日本に捨てられたのに日本の罪を償わなくてはならないのか。日本語を勉強してきたが、喜ぶ気になれない。今は妻子もいて巻き込みたくない、などと朱子明に心の内を明かした。

 

1976年1月 周恩来首相死去。

同年9月 毛沢東主席も後を追い、1年後、文化大革命終結宣言。

 

中国金属学会考察団が北京をたった。団長は重工業部時間の趙大烈。一心のかつての恋人・丹青の父親。考察団は日本へ。一心は重工業部にきて3年。職場も外事司から計画司に変わった。楊処長の強い引き上げがあったせいだった。

 

東洋製鉄の稲村会長は財界トップ。西村晃さん「けものみち」でもそういう役じゃなかった? エロジジイだったけど。 

peachredrum.hateblo.jp

視察は1ヶ月。考察団の副団長は女性。日本の鉄鋼業は先細りで海外に目を向けていて、中国が標的にされたのではと同僚に話していた。

 

考察団が日本に帰って1ヶ月。一心は海防艦上にいた。臨海大型製鉄所の建設を国務院が認可し、その候補地探しをするためだった。2週間の船旅。鉄鉱石と水深が必要。

 

木更津工場と同様のものを2年でできると趙大烈が言うと、東洋製鉄側の人間は驚く。2年では建設費が膨らむのではと懸念した。一括現金払いにするから国際価格より安くならないかと言い出す。

 

一心は3週間ぶりに帰宅。月梅と託児所にいた燕々が帰ってきた。月梅にはセーター、燕々にはキャンディをお土産に買ってきた。

 

徳志に吉林省公安庁がきた。呼び出し? 一心に何かあったのでは?と心配する。公安庁に行くと、日本の肉親探しの話だった。当時7歳の一心は養父母に気を遣って日本のことを話さないのでは?と処長が言う。身元引受人がいれば中国がお金を出して里帰りさせる。徳志は一心は辛い目に遭って記憶がないだろうと言うが、国同士の取り決めだから知らせた。本人に知らせるかは徳志に託すと言われた。徳志は帰ろうとしてフラついた。

 

春節を前に孫の顔が見たいと徳志が急に一心に会いに来た。何か言いたげな養父に何か感じる一心。徳志は明日の日曜日に万里の長城に登ろうと急に言い出した。

 

万里の長城で外事司の人々と会う。一心が柿田さんと知り合いになってる! え、耕次もいた! 目の前で流暢な日本語で話す一心を見て、徳志は肉親探しの話をした。

 

1978年10月 上海で製鉄所建設が始まった。耕次もまた上海にいた。狭間からの手紙で更科郷から帰宅した女性から信濃郷開拓団の大沢咲子が生き残って中国人の妻になっていることが分かった。木更津に帰った耕次は狭間に電話をした。狭間から大沢咲子が里帰りしていることを知らされ、明日、議員会館で残留孤児の連絡会があるので会うことにした。

 

うわ! またいいとこで終わった! 今回は企業ドラマっぽくなってちゃんと理解できてるかどうか。西村晃さんや宇津井健さんなどまだ今に比べれば戦争を知ってる世代がいた時代だったんだよねえ。

 

子供の頃、中国残留孤児のニュースはテレビでよくやってた気がするなあ。なかなか日本になじめなかった人もいたみたいね。一心みたいにあれくらい日本語が話せればだけど、全く話せない人の方が多かったんじゃないのかな。

 

今回、副音声で日本語吹き替えも聞いてみたけど、字幕あるし、結局は元の言語で聞いていました。面白い試みだと思いました。