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【連続テレビ小説】あぐり (113)「淳之介の初恋」

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

日本軍は各地で敗退し、学徒動員が始まる。あぐり田中美里)は大切なパーマネント機を国へ供出させられる。一方、燐太郎(野村宏伸)は恋人のつた子(麻乃佳世)から一緒に帰郷してほしいと告げられ、あぐりの様子を見に来ると、あぐりは派手なカーテン地でモンペを作るなど明るく振る舞っている。しかし、病気で床につく老婦人の「一度でいいからあぐり美容院でパーマをかけてみたい」という夢にこたえてあげられずあぐりは…。

今日のエピソード全く見た覚えがなかった。

 

戦線を拡大していた日本軍は各地で敗退し始め、昭和18年の秋には学徒動員が始まりました。戦局の厳しさが日々の暮らしにも暗い影を落とし始めていました。

 

おしん」でも雄が…

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昭和18年(1943)秋

 

大徳寺が来店し、お上からの命令として明朝一斉に鉄製品の供出品を回収することになったと言いに来た。パーマネント機が回収品に含まれている事、出征の見送りは洋装でなくモンペ姿が正装だと言い、にやりと笑いながら店を出ていった。

 

昭和12年あたりから「パーマネントハヤメマセウ」と言われながら、東京のど真ん中でまだパーマネント機があるの?という感想を見かけたけど、それこそ東京なら女優や皇族、作家など発信力のある女性も多くて、抵抗してたんじゃないのかなと思った。

 

「とうとう来るべき時が来たわね」と、夜、ひとりでパーマネント機をきれいにするあぐり。辰子、とめ、沢子も加わり、思い出を話す。雷坊主のこと。

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そしていろんな人にパーマネントをかけたこと…

あぐりの母・美佐

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エイスケの母・光代

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平山真佐子

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綾小路貴子

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翌朝、リヤカーにパーマネント機が積まれた。

辰子「気を付けて下さい! 壊れるでしょ!」

大徳寺「おかしな人ね。どうせ壊されちゃうのよ」

キッとにらみつける辰子。

とめ「これは私たちの命なんです!」

沢子「最後まで大切に扱ってあげて下さい!」

とめと沢子がいつもぎゅっとくっついてるの可愛い。

 

珈琲 世良美でつた子と燐太郎が話をしていた。つた子は長野の両親から「新聞記者辞めて田舎で結婚しろ」と言われているから、一緒に帰って両親に会ってもらえないかしら?と言ってきた。そっかー、つた子は「はね駒」おりんちゃんの後輩ってことか。この頃にはもう当たり前に女性の新聞記者がいたんだね。

 

「私、結婚するなら燐太郎さん以外考えられないもの」と本音が漏れるが、慌てて否定し、「両親にお見合い諦めてもらう口実」だという。燐太郎は一緒に長野に行こうと承諾した。燐太郎はエイスケと同じ歳なら37歳。つた子さんは10歳以上は若いと思うなー。モテる男だ。

 

エイスケの書斎にいる淳之介と燐太郎。燐太郎が言うにはパーマネント機なんてたいして鉄が取れずに倉庫に放り込んでおくだけ。しかし没収するのは見せしめのため。淳之介は「見せしめで夢を奪われちゃたまりませんね!」と珍しく感情をあらわにした。

 

燐太郎はさすがのあぐりも意気消沈してるだろうと店に様子を見に行くが、派手な生地のカーテンでモンペ作りをしていた。あぐりさんはめげないな、と燐太郎は感心。

 

そこに来店した俊子という女性客がパーマネントをお願いしてきた。事情を聞くと、母が70歳過ぎて脳溢血の後遺症で動くことができなくなったが、倒れる前に口癖のように「一度でいいからあぐり美容院でパーマをかけてみたい。自分も洋髪にしてみたい」と言っていたという事だった。

 

バルコニーで落ち込むあぐりに燐太郎が「落ち込んでますね」と声をかけた。「悔しいです。パーマネント機の供出はしかたないけど…。でもああいうお客様の気持ちに応えられないのが私悔しいです。もう…戦争なんて早く終わればいいのに」と悔しさをにじませる。

 

戦争なんか早く終わればいい、いずれこの戦争は終わる…というようなセリフはいかにも戦争に負けることを知ってる未来人のセリフであんまり好きではない。「おしん」や「澪つくし」だと戦中にそういう事言う人はあまりいなかったように思う。

 

「しかし、どちらにしても寝たきりのお婆さんにパーマは無理だよ。仮にパーマネント機があったとしても家庭用の電気ではかけられないし…」燐太郎が冷静に励ます。

 

翌日、珈琲 世良美で燐太郎を待つつた子。

 

燐太郎は昨日、東京中を探し回って見つけた持ち運びできるパーマネント機を持ってあぐり美容院を訪れていた。家庭用の電気でかけられる。「やっぱりあぐりさんには落ち込んだ顔は似合わないよ」と笑顔を見せた。濡れ髪で眼鏡なしの燐太郎は確かにかっこいい。そのやり取りを陰で見ていた光代は微笑む。

 

雨の中、あぐりととめは出かけようとしていた。タイミング悪く大徳寺に出会い、怪しまれる。あぐりはパーマネント機の入ったかばんには母の備前焼の花瓶を質屋に入れようと思って見えを張りましたと恥ずかしそうに言い、行こうとするが、今度はモンペをどこで作ったか聞かれた。

 

こんな派手なモンペで!と怒られるパターンかと思ったけど、1着差し上げましょうか?と言われると「そう…悪いわね」と嬉しそう。

 

おばあさんの家でパーマ。多分普段寝たきりの人が長時間起き上っているのは辛かろうと思いますが、今みたいに何度も洗髪したり、パーマ液を使ったパーマではないんじゃないかなあ?

 

あぐり75話のナレーション

パーマネントウェーブは1906年ロンドンでドイツ人の美容師チャールズ・ネスラーによって発明されました。パーマのかけ方は現代のようなコールド液によるパーマネントではなく電気の熱を利用してウェーブをつけるために電気の知識も必要とされました。

 

しゃべれないおばあさんはあぐりの手を握って感謝を伝え、あぐりたちもまた感謝を伝えた。

 

燐太郎が世良美に行くと、つた子の姿はなかった。

 

暗いことが続く毎日の中であぐりの心にさわやかな風が吹いたような気がしました。

 

shiruto.jp

”例えば、1943年。歴史年表を見れば学徒出陣などが行われた年であり、いよいよ日本が窮地に立たされつつある時代といえる。

そんな中でも、大都市ではパーマネント機を10台以上も設置した大規模美容院が出現しており、順番待ちをする女性たちが列をなしていたという。”

 

”「繰り返し何度もパーマネント禁止令が出されたのは、それらの禁止令が実効性を伴っていなかったからだといえます。その後、電力制限令が出されると、電気を使わずに木炭でパーマをかける『木炭パーマ』と呼ばれる道具が、日本各地で出回ります。中には、防空壕の中でパーマをかけたという例もあるほどです」”

 

fujinkoron.jp

上の記事と同じ本の紹介。吉行あぐりさんが髪のお手入れ方法を伝授した当時の美容記事も載ってます。

 

” 今になって、エイスケさんはすごい人だったと思います。一緒にいた頃は私も若かったですから、全然、そんなのわかりませんでしたけどね。それが、この頃になって、「この人は百年くらい早く生まれすぎたかなあ」と思うような人ですよ。”

 

1906年生まれのエイスケさんなので2006年に生まれてたとしてもやっぱり生きづらいだろうと私は思います。多様性を認めるなんて嘘です。