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ドラマの感想など

【ネタバレ】約束の旅

1987年5月4日 NHK

 

あらすじ

昭和36年秋、父親の転勤にともなって広島県呉市から東京への引越しが迫ったある日、次男の文彦が突然家出した。家出の理由は、特別な存在である祖父が引っ越しに入っていないからであった。文彦を捜すために、両親と文彦、そして祖父は旅に出る。旅のおかげでバラバラの一家が一時的に崩壊の危機を免れる。

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このドラマに出会ったのは偶然で、「澪つくし」を見ようとBSプレミアムをつけていたら、直前に「大殺陣」という映画の宣伝があり、忘れないうちに録画しとこうと番組表を見たら、ちょうどこのドラマを見つけました。

 

池端俊策さんは「麒麟がくる」の脚本家で「太平記」なども書いている。

 

秋山武彦(森本レオさん)の家の庭先に母・津留(藤真利子さん)が来ていた。母は食道がんになっており、半月後、手術を受けた。うわごとを言い続ける母の言葉から幼い頃を思い出す。

 

昭和36年広島県呉市。あと少しで引っ越しだというのに庭に種を蒔く武彦の祖父(千秋実さん)。母は弟の文彦が家出したという知らせに慌てていた。父(中村嘉葎雄さん)は「お前に全部任せていたのに」とか母に責任をなすりつけた。

 

祖父は戦争中は海軍で細面の弟・文彦を軍人風だとかわいがっていた。

 

文彦は翌日も帰って来ず、遠い親戚の徳大寺刑事(円広志さん)から大阪まで行ったらしいと聞かされ、警察は事件にならないと家出少年を探してくれないと言われたため、翌日が日曜日ということもあって、祖父と両親が大阪まで行くことになった。

 

一人残されるのが嫌で、バスに乗り込もうとしている両親に文彦の家出の理由を知っていると言ってバスに乗り込んだ武彦。武彦は家族で引っ越して行くのに、おじいちゃんだけ置いていかれるのが嫌だったんじゃないかと言った。官舎が小さくて、おじいちゃんの部屋がないからと母は説明した。

 

寝台列車で大阪に到着。大阪在住の母のいとこ・花田(川谷拓三さん)に案内を頼むことにした。花田は親戚中にお金を借りて評判の悪い人だったが、子供には優しい人だった。

 

父は明日の公務までに帰らねばならない。あなたみたいに暇じゃない、と花田に嫌味を言う。花田は以前、秋山家に遊びに来て以来、文彦とは文通している仲で先月もいつもと変わりない便りをもらったと言っていた。

 

父は忙しい人でしょっちゅう職場の人と電話でやり取りしている。朝の9時から道頓堀から手分けして探す。顔を見て逃げられないためか両親はマスク姿。

 

待ち合わせ場所に花田と武彦がいないと思って、父は祖父を戦争が終わった途端、何もできなくなった海軍大佐、花田をいまだに独身の詐欺師まがいと罵った。祖父は母の父だったのね。

 

祖父を引き取ったのは間違いだったという父。夫婦喧嘩に発展した両親にわざと物音をさせて自分たちの存在を気付かせた花田。また職場の人に呼び出された父。電話の相手の女性は「からかったのよ」の笑っていた。

 

花田は母に「長野に土地を買ってアシバッタの木を植える」という話をして、母は文彦の家出騒動以来、初めて笑顔を見せた。

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越冬するのは難しそうな木。

 

祖父は昼過ぎでも姿を現さず、武彦と母はそのまま待つことにし、父と花田は道頓堀に探しに行った。そこに徳大寺刑事から連絡があり、文彦が大阪にいるというのは嘘で、長野に行ったという。

 

花田の住む鉄筋コンクリートの団地を訪ねると、冷蔵庫などの家電に全て差し押さえの札が付いており、花田に向かって男(Mr.オクレさん)が「逃げろ」と言い、一斉に逃げた。男が言うには花田が詐欺師まがいのことをしていたらしい。

 

一足遅く父が花田の部屋を訪ねると、ヤクザ?に取り囲まれた。しかし、親分(綿引勝彦さん)は父の知り合いだった。父は元々船作りをしていたが戦争が激しくなって飛行機作り。戦後は飛行機作りが出来なくなってヤミ屋へ。

 

そこでの知り合いだったが、父は昭和24年から役所勤めをすることになった。綿引勝彦さんは「はね駒」の大工さんの時と同じ笑い方だった。懐かしい。

 

花田は長野の牧場作りを夢見て投資をしたが失敗。今はボロアパート暮らしだった。文彦に手紙で長野の牧場作りを手伝って欲しいと書いたことがあり、それを信じたのかもしれない。

 

祖父とようやく会えた武彦。家出の前日、文彦から一緒に旅をしようと誘われていたのだと祖父は武彦に言った。しかし、母のことが気になって断ったのだと言う。

 

母にブラジルに行こうと考えていると話す花田。何をやっても成功しない、ブラジルこそが新天地だ。こういう人が多かったのだろうか。

 

そこに親分と父が乗り込んだ。二人きりでいることに怒りを爆発させる父。事務所に呼び出された花田は逃げ出した。

 

文彦は長野で保護されたという連絡が入り、その日は通天閣付近で宿を取り、翌日長野に向かった。一面、雪景色の長野。警察に保護された文彦は、家族の顔をジーッと見ていた。泣くわけでもないのがリアル。涙を流したのは武彦と母。

 

しかし、祖父が倒れてしまい長野の病院で1週間入院することになった。一旦、呉に帰ることになった家族。文彦は電車に乗り込まず、じいちゃんの世話をすると言って家族を見送った。

 

6年後、弟は未成年のまま病死し、祖父もおじの家で3年後に亡くなった。

 

1987年ー。母は亡くなり、祖父から文彦に渡ったドイツ製の時計をいじっていた武彦は妻にそんなに古いものは捨ててしまいなさいと笑われた。日本は何でも世界一という妻。ブラジルに渡った花田を想う武彦だった。(終)

 

ドラマ後に脚本家の池端俊策さんのインタビュー付き。広島県呉市で生まれ育ち、父は海上保安庁で働いていて、転勤もあったが基本的に呉で育った。ドラマの父親とは全然違うそうです。弟が家出したのは実体験。弟が早世したのも実体験だったのかなあ?