先日まで「アンという名の少女」という「赤毛のアン」を原作にした海外ドラマを観ていましたが、キャストもアニメのキャラクターに近く、景色も美しくて、面白く感じたところもあったものの、どうにも違和感がありました。私的にはすんなり終わらない最終回が気に入らないのもあって、原作を読むことにしました。
恥ずかしながらアニメを見たことはあったものの、原作は読んだことがなく、「花子とアン」でおなじみの村岡花子訳を選んだのですが、購入した後で、赤毛のアンの翻訳は結構種類がありそれぞれ特徴があると知りました。
村岡花子さんの他に気になったのは、アニメの底本となった神山妙子さんバージョンです。kindleでお試しで少し読めたのですが、こちらも読みやすかったです。
元々本を読むのが好きで、会社帰りや休みの日に小説を3、4冊買っていたり、本棚もいっぱいになってきて、引っ越しもあってもう本を買うのはやめようと数年前から電子書籍を買うようにしてます。
だけど、漫画は電子書籍の方がサクサク読めるんじゃないかと思えるほどなんだけど、小説はホントに読めなくなった。読むのがめちゃくちゃ遅くなってしまって、「赤毛のアン」は11月1日に電子書籍で買って、26日でやっと読み終わった…はあ…。決してつまらなかったわけでもないのにね。
「アンという名の少女」は、きっと赤毛のアンのシリーズを好きな人が制作したんだろうと思うけど、あまりにも現代感覚を入れすぎてたし、アンが嫌われすぎ。なにかっつうと”孤児”だなんだと周りの大人や学校の同級生たちに言われてたけど、ギルバートとケンカして学校に行かない時期はあったものの、他のクラスメイトはアンの登校を待ち望んでいたし、大人だってあからさまに差別する人はいなかった。
ちゃんと原作を読んで知ったのは、アンの両親はどちらも教師だったということで、アンの地頭がいいのはそのせいだったんだなーと納得。
おしゃべりで頭はいいけど、想像で頭がいっぱいになり度々失敗をやらかすところは「はね駒」のりんみたいな感じ。りんは「赤毛のアン」も少し意識してたのかなぁ。だから、イライラする人はするんだろうね。
ドラマの中で原作と大きく違うのは、マシュウの生死とギルバートの父親の描写かな。ドラマではギルバートの父親の調子が悪く、ギルバートは学校に行けずに働いているという描写があったけど、原作ではマリラと若い時にケンカしてそれっきりという話をマリラがしてたくらいのものでした。
マシュウもドラマでは倒れたけど、助かった。あとふくらんだ袖の服を作らせた店の女主人と若い頃好き合ってたみたいな描写もあったけど、それも原作になし。マシュウはどうしてもアニメのイメージが強い。ドラマのマシュウは結構ダンディなおじ様だった。
アニメも多少オリジナルストーリーも含まれているものの、ほぼ原作に忠実だと思います。特に1話はグリン・ゲイブルスに到着するまでで1本なのがすごい。
ドラマになくてアニメで印象的だった赤毛を緑に染めてしまった話は原作にありました。アニメは1979年なので、さすがにリアルタイムでは見たことないと思うけど、再放送でたまたま出会う話がこの緑色に染まる話が多いような…。
時間はかかったけど、読めてよかった。面白かったです。原作の他のシリーズもちょっと興味が湧きました。