【連続テレビ小説】はね駒(62)

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

明治29年(1896)6月15日、三陸沖に未曾有の大津波が押し寄せ甚大な被害をもたらした。りん(斉藤由貴)の働く東北女学校も救護隊を作り、現地に赴き救援活動を行うことになる。叔父・彌七(ガッツ石松)と小野寺源造も、魚の買い付けで、南三陸志津川へ行っており、心配するりんときわ(永島暎子)だったが…。

 

 

明治29年6月15日の午後8時過ぎ津波が起こったそうです。

 

東北女学校では救援隊を作り、現地に持っていく食料や医療品などの準備をしている。彌七の家の使用人に話を聞くと何の連絡もないが、きわさんが来ているという。きわさんは一刻も早く現地に向かわなくては!と着物を持って出かけようとしていたけど、りんがきわさんの食べるものは?と冷静に聞いていた。自分の食べるものなんてどうでもいいと、きわさんは言ってたけど、最近の災害ボランティアでも一番迷惑な身一つで行くパターンの人ですね。

 

きわとりんが店先でもめていると彌七がボロボロで帰って来た。源造も助かったが、現地で救援活動をしている。渡辺謙さんは東日本大震災のときもいろいろやってたもんな…って役と混同しない!

 

鶴次先生とは会わなかった。彌七の津波体験がリアルで恐ろしかった。旧暦の端午の節句日清戦争から帰って来た人のお祝いをやっていて地震もあったけどあまり気にする人はいなかった。このときの大津波地震の震度はそれほどではなかったらしいですね。イワシが大漁に獲れて、彌七と源造は高台の宿で酒を飲んでいた。そこに大きな波が…。

 

幸いなんて言葉は悪いけど、6月のこの季節は暑くもなく寒くもなく(それでも朝晩は肌寒いかもしれません)、避難するにしても救援に行くにしてもまだ動きやすかったと思う。とはいえ、仙台から志津川をあの荷車で行くと思うと…(-_-;)

 

彌七も店の商品をタダで配るために再び志津川へ向かう。昔からそうやって助け合って生きてきたんだね。

 

まさかまたこんな地震津波が起こるなんて思わなかっただろうな。ま、東日本大震災ほど大きくなくても、まあまあ地震とかはあったけどね。私は内陸の人間なので津波は経験してないけど。

 

今日はシリアスだけかと思いきや、田島先生が救援隊から外されたのは年寄りだからと梅沢先生に言われたと言い合いになっていた。突如昨日から登場した新しい校長によると、田島先生を仙台に残して救援活動のリーダーにするつもりだった、もうすぐ花嫁だし、と言われてまたウキウキしだす田島先生。こういうくすっと笑えるシーンがあるのも「はね駒」らしくて好き。