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ドラマの感想など

【連続テレビ小説】はね駒(56)

公式あらすじ※初見の方、ネタバレ注意 

りん(斉藤由貴)の女学校の先輩で、東京の明和女学校に移った二宮しづ(高橋ひとみ)は、りんをはじめ東北女学校の生徒たちの憧れの的だった。そんな折、雑誌で明和女学校の滝村先生が亡くなった記事を見つけ驚く。滝村は二宮しづが崇拝し慕っていた先生だったからだ。りんはしづの身を心配していたが…。

 

 

わーい、先日(49回)「小公女」の話が出ていたので(ドラマ内では「小公子」)、翻訳の若松 賤子(わかまつ しずこ)さんのことをwikiで調べていたら、ドラマでもその話をしていた。予習したとこが出た感じがして嬉しかった。ドラマ内では会津若松出身なので”若松”というペンネームにしたと言ってました。

 

このドラマでは、しづたちが編入した明和女学校で教鞭をとってると言ってましたが、実際は明治18年に開校され、明治42年に閉校された”明治女学校”で教鞭をとっていたらしいです。東京のカトリックの女学校で「花子とアン」でも修和女学校のモデルになった東洋英和女学校かと思ってたけど、この明治女学校がモデルだったりするのかな。教会や宣教師の経済的援助を受けなかったので経営は苦しかったみたいです。

 

りんが同室の後輩が読んでいた「女学雑誌」をパラパラめくると二宮しづが崇拝していた滝村東風先生が亡くなったことを知った。新聞じゃなく雑誌に載るくらいなら何か月前の記事なんだろう。

 

明治女学校の発起人の一人が若松賤子さんの夫・巌本善治さん、滝村東風はこの学校の教鞭をとった北村透谷がモデルだったりするのかな(教師陣で明治時代に亡くなった人を探しました)。英語教師が若松賤子さんと津田梅子さんとかやたら豪華な教師陣! 他に滝村東風に何となーく語感が似ている島崎藤村もいます。「女学雑誌」を発行してたのは明治女学校。やっぱりここか。

 

節子と部屋で命の重さについて語るりん。軍人の死は価値のある死で滝村みたいな詩人の死とは違うという。だったら、あなたのお母様の死は価値のないものなの?と節子に聞くりん。節子は答えられなかった。

 

二宮しづ、里見なつ、浜田くにの3人は今や東北女学校の伝説の生徒になっていた。その3人が編入した明和女学校から一人の編入生が来た。黒田菊子(田島先生いわく”きぐご”さん)ももちろんその3人は知っていて、滝村東風が自殺だったことも教えてくれた。

 

この東京からの編入生を演じたのは、「おしん」のおりつちゃん! 声がかわいい。

 

ドレス姿の菊子を見て、東北女学校もドレスにしようと田島先生と梅沢先生が相談する(梅沢先生いたのね)。

 

田島先生は親の遺言で人前で足を出してはいけないと言われていたため、梅沢先生がまず着てみる。ちょっと嬉しそう。あの黒いドレス、田島先生に似合ってた。でも、梅沢先生は足は遺言通り人前で出すもんじゃないみたいなこと言ってて、ちょっと失礼な。

 

たまたま来たりんがそれを見て、田島先生を誉め、りんも着てみる。まだ生徒達には内緒だというのに同室の子だけでも見せるとドレスのまま部屋を飛び出し、誰かとぶつかる。りんは変わってないねぇ~。明和女学校へ行った浜田くにだった。しづが死にそうと聞いて、節子を伴って夜の街を走るりん。

 

菊子いわくしづは滝村東風先生を崇拝というよりラブしてたらしいので思いつめてしまったのか…。